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sota de copas
Tarot CardとAstolorogyのフィルターを通して観る  この世界への感想文とこの世の記憶帖
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タイムマシーンにお願い
「『市井の民はな、よう喜ぶ。よう楽しむ。皆、いつも面白き事を探しておる。どれほど痛めつけられても、いつしか起き上がってきて、楽しみを探し始める。強欲での、いっこうに懲りぬぞ。人の業、とういうやつなのだろうな。」秀吉の扇が新九郎のほおにぴたりと当てられた。顔を上げよ、ということらしい。
『しかしな、民というヤツは、飽くことは知っているが、満たされるということは知らぬぞ。銭でも、娯楽でも、次々と、きりがない、底なしなのだ。付き合いきれぬ。ヤツらを喜ばそうとすれば、最期は己が疲弊して終わるのみだ。それが分からぬか』」
「太閤の能楽師」奥山景布子著 中央公論社刊 

これまた、以前エントリー書いた「牧神の午後」みたいだな。
限界まで踊り続けたニジンスキーやMJのように。
まさに大衆の欲望の権化を演じ、現代の踊るポップスターの頂点から一気に向こうの世界に行ってしまって。(-ω-)


お能の舞台を機会を得て観に行った際にちょっと驚く話が。
現在、NHKでは制作に報道畑の人間を投入して、15歳以下の人間に解らないようなものは作るな、というお達しが出ているという未確認情報。
確かに古典芸能や音楽でもクラシック関連は非常に少なく、民放でも思い当たるのは一つだけ。
解り難いものを作るな、ということらしい。

なんてこった。
芸能は人気商売ということで、新奇と共に解りやすさを求めがち。
しかし、本当にそれでいいのかね。(´・ω・`)?

四年前の震災が起こった年辺りからルネッサンス中世の音楽や文化に触れてみる機会がなにげに増えてたのに気がついたり。
洋の東西問わず、今この二十一世紀の時代に中世ってなんでだろう。(・ω・)?

ずっと温故知新というキーワードをここで出しているし。

今よりずっと身分制度が厳しく、人生五十年、人の命はいまよりもっと軽く、儚く、切ない世界だったと。
医療も福祉も制度としては整っておらず、伝染病は一気に広まり、天然痘の撲滅などもっと先、
それこそ病気や怪我などすれば、たとえどんな身分でもあっけなく死ぬ。(´・ω・`)

むしろ身分が高ければ、男なら戦に明け暮れ女なら政略結婚の道具に。
そこで自分らしく生きたいなどとほざけば、実子でも即その場で父親から命を絶たれても当然。
それこそ生年月日の記録も定かでない程、生き死にが日常茶飯事で人生は吹けば飛ぶように軽いとされた時代というけれど。

この状況、欧州であれ日本であれかなり似通っているような。
同じく農耕社会とかムラ社会と言われるのが基本だからか、定住する生き方ならではかも。
そのお話もまた別の機会に。

今日から金星が魚入宮、先に海王星、キロン、火星がある所にやってきたので、
パーソナルプラネットとトランスサタニアンとの組み合わせということで、なんとなく芸能。
トランジットでは魚サインオーバーロードがしばし続きます。(・ω・)ノ

海王星 ヴィジュアライズ 幻想 ファンタジー 音楽 律動性のあるもの 自己犠牲 欺瞞 
    形に出来ない価値 etc.
キロン 土星と天王星の間を取り持つ鍵 扉 Wounded Healer etc.

こういった辺りをキーワードとして観ると、よく言われる古典では双魚宮「黄道帯のゴミ箱」って酷い名称。
まあ何でも有りってことですけどね。(´・ω・`)まったくもー。

12サインの最後の双魚宮はキリスト教との関連が昔から言われるぐらいで、自己犠牲の象徴だったり。
こういう意識エネルギーの溜まり具合もたまらんですな。(´-ω-)

昔から何かというと学者の書く書物に芸能人=河原者という書き方。
事実ではあるけど、このステロタイプもなんだか...。( -`ω-´)

歌舞宴曲は庶民、世俗の愉しみでもあって、基本はそっちなんですね。
貴人達がそこに興味を持って、そこから洗練が始まったというのは能楽も西洋のバレエ演劇も同じような。
昔はもっと幼稚なものだったのを、引き上げ底上げされて現在に至るというのは、
かなりの激しい訓練と自分の現実での肉体もろもろを犠牲にした末、というところもあり。

古典ならではのメソッドとか型がかなり厳格に決まっている辺りも、普遍性がそこに宿ったから、と。
これは最初は新奇で珍妙な面白さ(天王星)が時間を掛けて定着、型(土星)に落とし込まれるという構図。
現実は様々なエネルギーが単独ではなく、関わり合いミックスされて出来上がるので、
人間が直接使うパーソナルプラネットが生きるためには必要。
魅了する、時に媚態を見せる金星、火星の筋肉を駆使した訓練も様相として必要です。

生々しい金星と火星なので、感情表現に関わって劇的な状況やテーマを展開します。
それを飽くまでファンタジーとするので、しかるべき場でもって「演じる」という。

飽くまで「衆人愛嬌」と言います。
演者やその場の空気にもよるとはいえ、
古臭いとか小難しいという敷居が高そうな空気を超えるうっとりエネルギーを放つこともあるのです。ヽ(`・ω・´)ノシ

自分の中の正直な思い、この非情な世への憤懣ややるせなさ、それでも涌き上がる生への希求。
それが時間と共にじんわりとこの世を底上げしてきたんだろうなと。
そんな二十一世紀の世に存在していて思います。(-ω-)

海王星は自己犠牲という在り方も生み出してきたものの、
生々しく生きる本能からすれば、そこに自己欺瞞がないとは言えません。( ・`ω・´)
この辺りのバランスがヒトという存在にとって調和というテーマの鍵かも。

キロン、天王星からのトランスサタニアンで精神性や視えない世界へのアプローチを学ぶと思うのです。
しかし見える形あるものにするのなら、舞台装置という道具や場を作る必要。
今はレコードCD、テープやデータで音ですら記録して後に残すことまで出来る。

映像もフィルムや同じくデータにも起こして記録保存まで出来るように前世紀に整えられた今、
宅録で自分一人でやろうと思えば出来てしまうという現在。
まるでそれはタイムマシーン。(`・ω・´)

以前写真や音楽、映像作品で時空を超える感覚を得られると過去ログ書いた記憶があるんですが、
それこそ時空を超越なんて、なんだかとんでもない話。
時間軸なんてヒトが勝手に操作出来る訳ないじゃん、というのが普段の現実でしょうが。
しかしこれが「作品」として世に出たあまたの創作物を観ると驚く程にそれが「解って」しまう。

そんな「作品」を渇望しているのは、虐げられていると思われる庶民のみならず、
実は何かあれば速攻下克上な貴人武人達なのでしょう。

命と肉体の他、守るものの無い庶民、一般大衆ほど強欲で飽くなき欲求を突きつけてくる恐ろしい存在はないのです。(月)
この月が高揚エクサルテーションが牡牛であるということは、
生命力と本能の満足感を常によこせと始終子供のようにねだり続けているのです。

これも以前書いたような...。(´・ω・`)

対する支配者(土星)は身の程をわきまえろと厳然とした階級を押し付けますが、
その一方で洗練と節度の保ち方、エゴを押さえつつもヒトとして現実に美しい在り方、調和を模索します。
エクサルテーションが天秤というというのはそういいうこと。

どちらも実は金星がルーラーのサインということで、MC軸はこの残酷で非情なことがまま起こると思われる現実への理想化の構図が観えてきます。

そして海王星は金星のハイアーオクターヴと言われるエネルギーであって、
これが天に行わるるが如く地にも、などと言われているその空気かもしれません。(-ω-)

子午線のMC軸社会を表す軸の基本サインで、ヒトと世の中の関わり合いに拮抗するものを繋げるのは、
水や砂のような形に無い、枠を超えた天王星の後から霧やガスのようにいつの間にか取り巻く海王星の和らげる作用です。

金星のようにオンナオンナな空気で媚びるわけでもないのに不思議と魅了される空気から得る結果は、
「癒し」と呼ばれるものだったり。
この「癒し」も80年代のバブル以降から生まれた言葉であって、
とち狂った小金持ちの真似事や背伸びに疲れ果てた庶民が辿り着いた結果。

いまだ勝ち組負け組なる言葉を本気で信じたがるヒトもあり、
それがコーチング自己啓発として残っているのですが、あの時代よりはまだ少しマシそうに見えて結構厄介かも。
一見、理にかなってて立派そうですからね、引き寄せとかなんとかの法則とか。(´・ω・`)

なんでもエネルギー出しゃいいってもんでもないので、その辺の質の違いや好みをしっかり自分で認識して、
変なとこに行かない、近づかない、無茶しないぐらいの智慧もね。

そういった「好み」や「向き不向き」を芸能は教えてくれているという側面もあるのです。

むしろ芸能は自分に大事な何かや挟持、社会に対してどう観るか、どうありたいかというジャーナリスティックな視点を授けてくれたり、ヒントを提示してくれるのです。

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ちょっと聴いただけでは現代人には解り辛い言い回しや設定、だけどそれはかつてリアルに生きた人間の社会模様であって、
それを小難しい、解らないでお手軽なものになだれ込んで貪ってはいおしまい、という在り方でいいのか。

別に生きる証しなどわざわざ作らなくてもいいけど、エネルギーはそこに留まり、溜まる。
本来の味わいや醍醐味は実は観えない部分からの影響を抜きには語れないという現実を思い知らされてしまう。
舞台や作品が時空を超える装置道具というのはそういうこと。(-ω-)

能楽でも特に枠を飛び越えるコメディである狂言は庶民へのアプローチに長けたり、
フットワークの軽さで海王星の得体の知れない部分やウェットさを程よくドライにしてくれてるので、
天王星の要素を巧みに取り入れて庶民に受け入れられやすかった一例かも。(・ω・)ノシ☆

一見すると解り難そうな古典。
芸能でも文芸でも普遍性の一端に触れられるこの現実はありがたい。
解り難いのなら、この専門性の中に身を浸してみる、そこに自分の人生の時間を使って観ると、
自身との対話が解りやすくなると。

これがまさに「鍵」を見つけたという実感ではないかな。
時間軸を超える、橋渡しというエネルギーをうっとりと渡るのだー。ヽ(・ω・)ノ 
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Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

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