砂の器

2014/04/13 09:22
花冷えですが、初めて味噌の桜仕込みをしてみました。
今年はもう仕込みしないつもりでいたんだけどなー。(・ω・)?

なぜか麦麹が注文の二倍も来ちゃったので、思った以上に仕込み量が...。(´・ω・`;)

気がつくと発酵、自家醸造を初めて三年目。

醸造にまつわるあれこれや子供時代やら思い出しつつ。

食のグローバル化というのにも別に全面的に反対でも酸性じゃない賛成でもないというスタンス。
これは実践者となった自分自身で感じた手応えです。

皆して同じものでなくてもいい、でも大衆の間に広まったファーストフードや即席麺のエネルギーも凄い。
いざというときのカンフル剤的な役割があるという実感。

これはまたいずれ後ほど、か。

今回は微生物(海王星と個人的に考えている要素)の肉眼では普段見えない微細な作用に感謝とか。


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天王星から後に続く土星外惑星は守備範囲が多岐に渡るのと、
その深さが無意識の領域へダイレクトに入ってくるので、最初それとは解り難いとこがあります。
この社会で効果がすぐ表面化しやすいのは、自我の太陽から現実を表す土星辺り。

ガリレオやコペルニクスの頃、地球から最も遠いとされた土星、
長老、家父長的な人物像だったり、現実の厳しさや努力、老成を促したり。
この世で時間を掛けた事柄から結果を表したり。

Cold & Dry 心にはマイナス面では重荷やコンプレックス、冷淡さ、制限や抑制、
プラス面で真面目、冷静、落ち着き、老成、長持ち、伝統、古典的要素。
これを基本として、心の中で12サインで色付けして使ったりというお話は今まで通り。

そこを超えた何かを、一皮むけたヒトの何かを掴もうとするのを助けるエネルギー、
と捉えられているわけですが。

例えば選手と呼ばれる人達だと、現実の練習を積んでそこで結果が出せるかどうか。
成果を出すための精神へのアプローチとしてヴィジュアライズのエネルギー海王星を使う、
上級の軍事教練にも活用ということも以前エントリーしたけど、
スポーツに限らず舞台に立つような状況に使い勝手がいいエネルギーなのです。(`・ω・´)ノシ

「晴の舞台」に立つ為に必要なのか、海王星エネルギー。

律動感を伴うもの、舞踊、音楽、スポーツ選手は活用しやすいです。
振動、バイブレーションを感じやすくなる、といった辺りを利用。
感受性というのは実は肉体を使ってから、初めて伸びて行くので。

知性マインドでは捉え難い状況や性質ではないかな。

現実の感覚を味わってその人なりに頑張ってみた結果を手にしてから、
さらなる拡大を試みる時に使うのが土星外惑星のエネルギーだと思います。
肉体の外にある何かの手応えを知る、感じる、受け取って行くという。

現実に留まって精一杯やった、そのご褒美がアウタープラネットのプラス面のエネルギーかも。

その一見すると逆に見えるやり方での活用法が科学かもしれません。
仮説を立てて、実験を繰り返してデータと実証を掴んでから公表されて定説、常識(土星)となるには、
閃き(天王星)とイメージの想起(海王星)が必要。
もしかしたら視えない世界からの呼びかけ集合無意識と言った辺り(冥王星)があるかどうか。(・ω・)?

そのヒトの有り様次第で実際に得た事柄から想像以上の何かを受け取ったり、
後から更にもっと深く腑に落ちるものを得るかも。

こうやって得た結果は明らかに現実を変えるし、替える。

何かが公表される時、なんとなく不思議なタイミング的なもの感じますけどね。(-ω-)

ハッとする(天王星)素晴らしいと感じる(海王星)何か、
後からジワジワくる(冥王星)何かを残すヒト、
このアウタープラネット土星外惑星のエネルギーを活用出来た存在ということですが。

3Dプリンターでそれまで二次元でしか観られなかったイメージを手応えとして感じられるものに置き換える、
デザインされて見た目にも使い勝手も向上して楽しくなる、
海王星(ヴィジュアル)を土星(結晶化)とか。

大きな何かに一番抵抗が少なくストレートな空気を受け取りやすいところに何かが宿るのかも。
エゴが最も少なくなったところに何かしらのギフトが届く気がします。

音楽でもリハーサルや終わった後のお客さんが帰り始めた頃になんとなく出した音やお遊びっぽい演奏が、
何故か本番よりいい音であったり。
エキシビションの方がのびのびしてて表情イキイキだったりとか。

まるで何かから解放されたみたいなんですが。(・ω・)

巧くやりたい、いいとこ見せたいエゴが消えた辺りに宿る、そのキラキラ感、イキイキした何か。

視点が変わったから、観る角度を変えた、変わったから、違う世界観が見えた。
気づいたと最初は思ったけど、実はただ思い出しただけ、という感覚に徐々になっていったり。

誰かから褒められたいと思ってくそ真面目に「頑張って」いるうちはそこにどうしても辿り着けない。
これまた不思議なことに遊びで描いたものに、うっかり欲を出して再び真面目になぞろうとしても、
どうしたって同じものは二度と出来ないこの不思議。(・ω・;)

無理やり出来上がったそこに現れたのは、なんだか似ても似つかないコレジャナイロボ感。(´・ω・`;)

元々定まった形が無い水や砂のようにヒトが両手を必死で合わせてすくっても、
いつの間にかスルスルとこぼれ落ちて残らない。

バイバイヾ(*・ω・*) (*・ω:;.:... (*・:;....::;.:. ::;..::;.:..

海王星エネルギーって欲をかけばかくほど、もがくほどに実体がないこと、
力では掴むことも辿り着くことも出来ない場やエネルギーということを思い知らされ。
しかしそれでは寂しい。 ではどうしましょう。

..:;...::;.:.:::;..・´):;.:.:;.:.ω・´)(`・ω・´)モドリマシタ

ヒトの目を気にしたり、損得感情やエゴが生む緊張緩んで遊び心が顔を出した途端、
そこから溢れ出る何かがヒトを捉えて話さないものを持っているという不思議。
以前書いた自分が好きなこと、それに集中しているときの楽しさが鍵かも。(`・ω・´)

お題目やお祈りの仕方、儀式は知らないけれど、実は大きな何かを知っている、
エネルギーが純真無垢に近づくと、そんな現実を引き出すのか選び出すのか、
はてまた作り出すのか。(・ω・)?

それが満員の舞台とは真逆な小さな四畳半の部屋でも、
どこかの研究室、宇宙ステーションであってもどこでもかまわないんですよ。

ただ、そこにじっと籠もりきりではなく外の世界や自然を観る。
そこで感じた新鮮な何かはいつでも思い出せるように。

いつもの、普段、という現実は大事だけど、もう一つの見えない領域と折り合いや共存が出来た時、
そこに広がるフィールドは格段に大きく深く、制限がない。
すると、もう一つの新たな現実の捉え方が「いつの間にか」身についてしまう。

土星は「努力」を促すというけれど、実は真面目に長続きするというのは、
本人にとって面白く、楽しいと思わない限り出来ない話で。

長続きすること(土星)は心に思い描ける、素晴らしい壮麗と感じ魅了される何か(海王星)。(-ω-)


「世界を、こんなふうに見てごらん」の著者日高敏隆氏の教え子に細馬さんがいらしたとはねー。(`・ω・´;)



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