アヴァンポップ

2012/02/12 12:13
引き続いてなんとなく月テーマで。

大衆的な流行は月で現れるのだけど、
大衆音楽と言われるポップス、ジャズ言われる辺りは二十世紀を彩る音だった。

ルネサンス期の音楽の演奏を聴いてて思ったのは、
当時は教会で演奏されるものと民間でダンスミュージック、ラヴソングとして作られたものと、
聴いててあまり差が無い感じ。
演奏法やメロディラインが二十世紀に生まれ育った人間の耳にはほぼ同じに聴こえてしまった。

いまの音楽ジャンルの豊富さは全容がつかめないような感じ。
もはや何でもありな状況なので、古典を聴くと反ってまた新鮮な心地よさもある。
昔の人は耳がピュアだったというけど、
いまどきみたいなどでかいスピーカーや音圧で音楽聴くなんてことしませんからね。

音響効果といえば、せいぜい教会やお堂のような天井の高い場所ぐらい。
後は町中や門付、祝いやお悔やみの席で生の唄と演奏。
アコースティックしか無い世界で、空気に自然と乗っている音を直接耳で受け取るだけ。
アンプラグドが当たり前でそれしかない時代ですから。

店舗や町中で無制限にスピーカーで流れ続けている中に身を置く今の環境は、
音楽の消費の仕方や意識も当然変わっているんだろうなあ。
それだけ今は当時とストレスへの考え方や対処が変わってるのかもしれませんが。

クラシックとされてるルネサンス期やバロック期の音楽と、
今の大衆音楽は全く様変わりした感があるけど、
私は基本どっちも聴いて愉しめているので、音楽そのものの根っこはあまり変わらないんだと思います。

ただ、以前あるミュージシャンのテキストを読んでいて、
大衆音楽はどんなに高度なテクニックを使っていてもそれとは気づかれないようにすることがキモ。
というくだり。
これがよく普段から思い出すこと。

「これ見よがし」になったら、その時点でダメダメなんですね。
大衆的とされるものは「すごいけどかんたん」風の仕上がりでないと。
そうでなければ、「大衆」から受け入れられない。

月や蟹サイン流行と女子供の要素に土星、山羊サインの重厚長大さ。重鎮的な空気が対抗していると、
そこで常にやり取りや綱引きがあるんだなあって感じです。
クラシカルな物が大衆的な要素に落とし込まれたり、
軽妙なイメージのハヤリモノが落ち着いたところへ辿り着いたり。

現実化というのはこのラインで観てますが、
甘さとミルキーなとこに苦み渋みもあると、不思議と長くその要素を愉しめますね。
人の身というのは面白い物で、一つだけではやっぱり全般に機能しにくいんだと思います。

実によく出来た物だと。

音は目に見えないのに、空気と同じくこの現実に存在していると誰もが認めているもので、
演劇や踊りと同じ無形文化財なわけですが、
その時間と場所に居合わせなければ基本体験することが出来ないもの。
なのに時空は超えて伝わるという辺り、流行ポップ大衆というのはしたたかで不思議です。

月は記憶してるんですよ。

なので大衆的とされることは、記憶、模倣されやすい、解りやすくないと、って仕上がりになります。

アヴァンギャルドな要素はなかなか大衆的なとこへはすぐには落とし込みにくいように観えますが、
時代の変遷でこれもまた変わっていきます。
大衆性は月、変化や揺れ動きを要求するので。

そうなると、土星的な忍耐や時間の経過も必要ということです。
大衆音楽、現代音楽と言われるジャンルを聴いていても、
ふとした時にクラシック的要素や懐かしさを感じ取る時、時空を超えた何かにアクセスしてるのかも。

現実はこんな風に作られるのかな、という妄想。
記憶を辿りたい時は、自分のネイタルチャートの月を観るといいです。
何か情報を取りたい時、アクセスするときにこれを使ってるんだと思います。

俗に霊能と呼ばれるものは月で観ますが、
過去や現在の状況を遠隔でアクセスする(透視ってやつね。)のが比較的未来より簡単にできるのは、
それが既に確定して記憶されてる話だからです。



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