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sota de copas

墨汁一滴

特になんということもなく徒然に。

アイスランドの大噴火の報道観ていて、感じた事。
時間が経つにつれて疲れも相まって、
実に人々の淡々とした表情が印象的だったり。

最初の困惑した表情から、諦観、ただじっと待つ人の表情の疲れから滲んで来る何か。

それを尊いとここで言えば、不謹慎だとかなんとか変な難癖つけられそうな気もするけど。
まあ、その時はその時で。

ともあれ非常事態ってその人のそのままの根っこが観える。
いつまでもピリピリした空気を出しているのか、
それとも早々に受け入れて待っているのか。

何かを待つ、待てるというのも一つの才能かなと思うときもあります。
結構占星術だとアドバイス時に色んな予測が立てられるんだけど、
実際にはタロットなどのカードでその人のエネルギー状態を観てから。
そこで最終的に色々な流れを選択してもらう、と。

土星とか木星、天王星、海王星、冥王星関連のトランジットがタイトに来ると、
血が騒ぐような人も珍しくはないんだけど、実際には何かアクション起こさずに待つことも多い。
カードで観ると、結構そんな時は「隠者」とか待ちの姿勢のカードが出る、など。

ソーシャルプラネット、アウタープラネットの結果は時間が経たないと実感湧かないので。
しかもそれが逆行して三回ヒットする事が解っていれば、余計に慌てない方がいい。

土星、天王星、海王星、冥王星、なんて辺りは、
多少知識がついてしまうとビビったり及び腰になりやすい。

この辺り実際はどうかというとね、やっぱりそれまでのその人の来し方次第、です。

なので、今さらながらビビってなんとかしよう、としてもどうにもならないです。

土星、アウタープラネットが来るから、と怖れているのは、
自分になにか足りない、ダメな要素があるのでは、と。

というと、凄く冷たいようですが、なる様に、善きように、と。
そんなじっと「待つ」姿勢ってのを一つ試してみれば、と思うのだけど。

隠者のカードってウェイト版もマルセイユ版も共通でフードを被った修道士のような老爺が、
六芒星のカンテラをかざしている絵柄なわけだけど。

どこかの高みに身体の左側をこちらに向けて立っていて、右手にカンテラを下げて、っていう。
絵柄によっては左手の杖はカデュケウス、ケーリュケイオン等と呼ばれるヘルメスの杖で描かれたり。
医療系に従事する人々にはお馴染みの、あの二匹の蛇の絡まる杖。
商業系のマークでもあるね、水星は証券取引にも関連するけれど。

智恵とかね。
この蛇ってクンダリーニって言われたりするな。
その人がまた気付いていない潜在能力ってみることもできるけど。

そんな自分で気付いてないとこもいっぱいある、出来ない事もある、
と承知した上でじっと時期や結果を待てるかどうか。

現実には土星も冥王星も最終的にその人に結果と成長の証しをくれるので、
大変解りやすいと思います。(`・ω・´)

木星って解りやすそうで、以外と結構時間が経たないとその本当の作用や結果が分からないときもある。
長い眼で観たしあわせ、なので。
なので、その最中は決しておめでたくもないとこだらけな状態だったりもします。
あけっぴろげに晒されて、そこであなたの来し方がこうだった、と。

行く末なんて、気にしなくて善いと思う。

というと、吉凶を占ってなんとかするのが占師だろうとか言われそうですけどね。

個人のしあわせなんて、誰かが決めるわけじゃないですよ。(´・ω・`)

占いというものが、本来権力者が国を治める為に使った事を思えば、
個人の動向などを決める物でない事は明らかで。
この社会でその人がどうであったか、どうあろうとしているか、というところでしか観られない。

今までの考え方や感じ方、暮しや周囲にどうだったか、
という結果がすでに「現実」に出ているのに。
それをリカバリーしたかったら今を大事にするしかないので。

そんなところでじっと待って、少し今までとは違う、荒涼とした高みに立って観てもいいのでは。
隠者のフードは自分の表情に現れる感情を少しでも押さえたがっているような。

実はこの隠者、老人の様に見えるが、以外と若い人物なのだという。
これは私が初めてタロットを学んだ時に教わった中で最も印象的な話。

実年齢と精神年齢はまた別なんだよねえ。
そんな当たり前な話もカードから出て来る。
実際、大変「現実的」なカード。
対応するサインは乙女だし。

今は土星逆行で乙女にちょっと戻っているので、そんな話。

淡々と空港でじっと待つ人達の疲れの奥に滲む、底知れない色んな想いはあれど。
やっと飛行機が飛べる様になって安堵するまでに様々な何かを実は掴んだかもしれない。
そうであったらいいなあと。(´ω`)


実はなんでこんなことを思ったかと言うと、
たまたまちょっとだけ禅の話を思い出したからで。

下手な瞑想とか素人が真似事でやるのってヤバい、と本能的に感じていたら、
どうもそれは事実らしい。(´・ω・`)

瞑想だの座禅なんてやったこともこれからやることもないんだけど、
そんなことをしていると、次々に感じ取ってしまうらしい。
それを敢えて、どうでもいいこと、と処理してしまう、と。

世にも恐ろしい存在を感じたり、逆にこの世の何にも例えきれない程の美しい素晴らしい至高体験とやら。

だけど、それらの全てを放っておくと。
いちいちそんなことに振り回されずにいる。
距離感を保って、嗚呼そういうもんだ、ぐらいに。ヽ(´ω`)ノ

そういったことが出来る、解っているだけの環境ならば、
瞑想や座禅やっても大丈夫。

なんかねえ、禅僧というのと隠者って見てくれが似ているからそんな連想があったのかも。

墨絵のようなモノトーンな世界観というのも芳醇だ。

一滴の墨汁の黒の中に無限の色彩を観るかのような。

六芒星のカンテラが、普段と違う光でそれを照らし出すかもしれない。

この世間と個人を繋ぐ道行きもまた同じく。
隠者はいずれ山を下りて里や俗世間の中で暮らすような気がするので。

実際いろんな妄想だかなんだか浮く事もあるけれど、
日々は淡々と何事も無く日常生活送ってて暢気なもんだったりして。(o´・ω・`o)


大噴火の様子、畏れ多さという言葉そのままだった。
この国もまた火山国。 
地面の下の見えないエネルギー(冥王星)がどれほど畏怖を持って扱わないといけないものか。

普段の生活や気の持ちよう、そんな普段のなんでもない日々が実は一番肝心な気がする。
それが冥王星的な存在や力と付き合う唯一の在り方なのかなー。ヽ(´ω`)ノ

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