FC2ブログ
 

sota de copas

core

色んな音楽を聴いてみたのは90年代から。
自分の好きな音はなんなんだろう、と思いつつ。
最近になってやっと気付いたのは、
「聴けば聴く程に自分の個性みたいなのが消えてくような気がする」音。

「自分というのがただの粒子になって、散っていくというのは、
俗に言うチルアウトってやつになるのかね。」
などと書いてますな、自分で音楽関係の徒然日記は。

私が好きな音楽家が日記で書かれていたのは、
自分が演奏する程に中心部に向かってまとまって行く感覚がある、ということだった。
演奏家が全てそうかどうかは解らないけど、
彼の場合はセンタリングするのかもしれない。

形を無くしていく、ただの元素や粒子みたいになっていく、
時間軸というものも無くなっていくあの感じというのがチルアウトなのかどうかよく解らないけど。


「実はただ散ってしまった様で、本当は凄くコアなところに向かう段階の一つなのかもしれませんけど。
それが何処なのか、一体何なのかは解らないけど。
普段、現実の中で持て余している余計な個性とか、
表面的な知性やら知識や言語なんてのが要らなくなるような。

世の中は色んなグループがあって、その中だけで通じてるような共通言語がまたあったりで、
あんまりいい感じがしない。
そういう枠が取っ払える力があるものの一つが音楽のような気がする。
縛りが無くなっていくところがあるな。」

などと書いたな。 
うーん、よっぽどこの現実世界の自我というのがキツく感じられてるようだなー。(苦笑)

枠を取っ払うのは土星外惑星、神話で言うところのウラヌス、ネプチューン、プルートの役目であるのだけど、
あまりに否応無しの作用をしてくるので大変。
肉体への影響が後でジワジワ出てくる事もあるので、油断出来ない感じ。
そういえば、ちょっと前に始末に負えないお三方と書いた気がするけど。

とはいえ、このお三方にもういいやー、と覚悟を決めてゆだねてしまうと逆に何かが一つ楽になる。
後に何か形に出来ない遺産のようなものが残るような。

自我とか自己というのは場合によっては自分を萎縮させるようなとこがあるようです。
「自己責任」という言葉がその人の枠を作ってしまい、そこから抜け出せなくなると。
これは土星の作用をマイナスに使った場合。

水瓶サイン後半度数にに長らく海王星、キロンが留まり、木星もかなり長く作用した2009年。
水瓶サインのルーラーは天王星が発見されるまでは山羊と共に土星だった。
進取の気風がありながらも、他者から観ればそこに独特の頑固さも感じたりする。
それが溶解させる海王星、傷と癒しと「鍵」を渡そうとするキロンがやってきたというのは、
キツいながらも一つのチャンスだったとも言える。
日常生活に上手く活かせるには、すぐにはできないという難しさがあるけれど。

その天王星が魚サイン運行中で水瓶サイン運行中の海王星とミューチュアルリセプションというのが、
一つ大きなヒントだったわけで。
理想や夢という形に出来ないものを自覚したりする上で、
何かを形にする、結晶化する土星を元々ルーラーに持っている水瓶サインにとっては、
何らかのステージに到達出来るチャンスでもあったと思う。

来週半ばには木星が古典からのルーラー魚に回帰するし、また色々面白くなりそうで。
あまり精神性とかなんとか追い求めずに、自然と愉しくする方が実りが多いと思うな。
ふと気がついたら、形に出来ない遺産がそこに、という。

個人的に音楽を聴いていて「浄化」ということをあまり意識した事はないな。
瞑想なんてのもめんどくさがりな自分に修行モードな事がどうも合わないらしく。

自分で自分の精神高めたい、なんて思って何かして上手くいった試しが無い、
というのがあるな。
あまりこの手の事に「目的意識」というのを持ち出しても、結果は得られないらしい。
結局、自然に任せてしまう。

男女での性差みたいなのはあるかもしれませんね、こういうことの結果は。
男の人は「修行」が好きだからなあ。
やっぱり土星の作用は男の人が使いやすいんだな。

で、自分の中のクリアリングは飽くまで結果であって、
仮にそれを目的にライヴを聴きに行くとか音源を探しにいっても、
いい結果を得られた事がない。
むしろそんな事を考えずにただ音と空気を愉しんでいて、
気がついたら「何か」を掴んでいたという事になっている。

解りやすい現実的な結果を手にしようとして掴みに行っても、するりと逃げて行く。
ただ静かに受け取るだけで、実は水が乾いた場所に沁み込む様に、
霧が自然と流れてくる様にいつの間にか入って来る。
音楽というのはやっぱり不思議だなあと。
何度もライヴや音源聴けば聴く程に思いますけどね。

で、演奏家側のセンタリングして行く感覚というのは、
それが「役目」だからなのかどうかはご本人さんに伺うしか仕方ないけれど、
実際はそんな事を演奏中に意識してやろうとは思ってないでしょうね。
それはそうなった、という結果じゃないかな。
自分からそうしてやろう、などと狙って行う話ではないと。

目的意識というのは傍目にはとても立派だし、
意義を求める、というのはまっとうな考え方に思える。
現実は意識的に生きなければならない、みたいな考え方が一般的だけど。
人が自我やエゴ、「自分」と呼ばれるものを持っているのは、
一度はそれを放してみる必要があるからじゃないかと。

手放して距離が出来たところで、また新しい「自分」性ってヤツができるかも。
それもまた時が満ちればまた手放し、ということを延々繰り返しているような気がするけど。

それがカルマというのかどうか解りませんが、未知への突破口、委ねて緩んで、後は解体再生。
チルアウトChill Outなんていうのも、その一つの手段かなー。

そこには狙って行うとか、自立的な行動原理なんてのは役に立たない力が作用している。
不安とワクワク感がありながらも、確かにどこかの中心に向かってく感覚が奥にあるような。

音楽家というのは、そんなセンスが活かせるかどうか、が一つの鍵かも。
コアなところを開く「鍵」を作れる、とか。

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 
 

トラックバックトラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)