FC2ブログ
 

sota de copas

山羊の冥王星からなんか貰った。

夕べたまたまTV観てると、アカデミー賞授賞式だったりして、
そのなかで「おくりびと」も表彰されてたり。

一週間程か十日程前に買っておいて、何故かすぐに読まずに置いてた「納棺夫日記」を、
昨日から読んでいた。
この本を買う時に、「おくりびと」が大変高評を得ているというのを何かで読んで、
作品は観てないけどモックンいい役者になったんだなあ、
と思いながらレジに持っていったと思う。

納棺夫日記 (文春文庫)納棺夫日記 (文春文庫)
(1996/07)
青木 新門

商品詳細を見る


これがなんかもうえらいペースで読めてしまう。
半日でほぼ読み終えてしまう勢いだ。 
今まで自分が読んできた所謂スピリチュアル系ってやつの本は一体なんだったんだ。
ことにアメリカのそれ系の本はどれも皆こぞってページが進まなかったのに。
装丁もいかにもスピ系って感じで明るく綺麗なカバーデザインながら、
そんな見た目に限って、全くページが進まないのだ。
その手の本を無理矢理読み終えても二度と読みたくない気がするし、
半分も読まないうちに叩き売ったのも多い。

「納棺夫日記」は、文章から湧いて来る何かが凄く自分の何かと親和性高いとしか思えない。
それが何なのかはよく解らないけれど。

著者自身をそのまま受け入れてくれる人の眼を観たその瞬間の描写、
もうこれだけで映画を作りたいと思う人の気持は当然だろうと。
自分の中の何かを知った人というのは最強ではあるね。

なんだろうな、この本は。
山羊の冥王星が早々とくれたギフトのような気がする。

ふと書いていて、山羊の冥王星っぽい空気かもと思ったり。
冥王星というぐらいで、占星術的にはカルマ、集合無意識、死後の世界、死んだ人、祖先の意思、
水気の多い汚れた場所、地下や暗黒の世界、徹底した破壊と再生、性、DNAなどを示すのだけど、
それが山羊の空気を纏っているわけで、最近まで目に見えない場所に押し込んできた
「死」を現実世界に取り戻す時期に入ったのかもしれないな。
因習濃い土地柄から余計に差別を受けやすいこの職業を根底から変えてしまった人の日記と覚え書き。

仏教の一部の宗派では、死は穢れではないので、清めの塩を出さないと言うところもあるという。
ところが、実際にはその葬儀の後には、何か気持が悪いと感じて塩を後で料理屋などに寄った際に貰って撒くという話も他のエッセイで読んだ事がある。
それだけ日常を普通に生きていると信じている人ほど、
知らず知らず死んだ人がそこにいるという空気を忌避するのだ。

この国には死を穢れとする集合無意識が最も根強く残っている。
死の空気を嫌っているが故に、死穢(しえ)というぐらいで、
そういうマイナスな空気を余計に変なとこで意識して惹き付けてしまって、
最悪の場合その村落が滅びたと言う記録もあるというぐらいだ。

私は実は神社という場所が大変苦手なのだけど、
それは長年、この日本の世間が「死」を穢れ、ケガレ、氣枯れと認識している空気が引っ掛かっている様だ。
この意識が善いか悪いかではなく、自分はその意識に知らず知らず反発しているらしい。
近所の畑の中の小さな若宮神社もなんとなくこの一週間前からお参りを辞め、
鳥居をくぐらずにお堂と祠を眺めるだけになった。
それもこの本を買った辺りからだね、今思い出した。

反面、お寺というのは全く平気だ。
むしろあそこは死んだ人を弔う場所であり、その手の存在がいっぱい集まっていると思われがちなのに。
お香の香りも好きだし、むしろホッとしている。 仏じゃないっつーのに。
うーん、なんかあるかね。 知らない方がいいかも、今のとこ。

あれこれと呪いやら御利益やらなんやらと紹介しまくったその手の本は多い。
だけど、この日記や覚え書きともいえるささやかな装丁の文庫本一つ、
それがなんでこんなに強力な何らかの作用を持っているんだろうな。
いや、生き物はただ生きてるだけで充分不思議だ。 
チャクラや経絡はさっぱり解らんけど。

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 
 

トラックバックトラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)