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sota de copas

宇宙からのリーサル・ウェポン

最近電車に乗ってたりして思うのは、太陽と月のアスペクトについてだったり。
昔は漠然と太陽と月がイージーだといいよねー、みたいな解釈が。
自分の中で満たされてるから穏やかそうに見える人多いでしょうね、
特に同じエレメント同士でできるトライン。

実はいい人なのは自分の中だけで、他人からのその人の評価はまた別だったりすると言う。
以前、アスペクトは相対的なものって書きましたけど、ほんと。
特にトラインは始末に負えないんですよ、自分の中で矛盾が無いから。
客観性ってまた別なんですよね。

昔は与えられた身分や環境をそのまま受け入れて辛抱しがちな生き方多かったかも知れない。
それが個性やら自己責任だの、人との関係性でも自由度の高さだのといった奴を重視するって設定になってくると、
今いる環境に満足してるわけにいかない状況についていけなかったり、
改革を押し進められた日にはおろおろしがち。

世の中がその人を必要とする状況(社会)と恋愛などのお付き合い(個人)という中で、
じゃあどっちにウェイトを置くかって話ですけどね。
もしも太陽と月がハードアスペクト、もしくは太陽と他の天体、月と他の天体とがハードであるなら、
その人は社会性、世の中の中での自分を意識するほうが上手く生きられます。
トラインだったら、個人、特定の人物、自分を必要とする誰かだけを漠然と求めやすい。

何故、今はハードアスペクトが重視されるかって言えば、
もう四の五の言ってられん状況ってことなんでしょう。
まあ、発展性ってことを思うと、衝突と化学変化起こさないわけにいかないので。

私を必要としてくれる誰か、なんてお子様な甘酸っぱさ、
すぐに飽き足りなくなっちゃうから。 
たまにそんな時を振り返るときがあったとしても、
自分のあるがままを受け入れた人はそこに帰りたいとは思わなくなる。

だけど、未だにそこに帰りたがる人もいるのは事実で。
で、無い物ねだりなこと言ったりしてしまう。
だったら、この自己矛盾って前提が標準装備されてる太陽と月のハードアスペクト、
もしくは全く関わっていないと、予測不可能な変化にも受け入れ態勢は作りやすい。

現在の社会で表現する太陽のサインと、
月の過去と幼児期、家庭内でのパーソナリティを、
すっぱり切り離してけじめをつけられるって、なかなかお得だからね。 
人の表情の豊かさと陰影の濃さというのは魅力と正比例するのだー。

月はその人の心だから、矛盾が無い方が幸せみたいに思われてたんですね。
それはそれで僥倖なのだけど、そうは問屋がおろさないのが「世の中」「世間」「社会」。
土星、木星、天王星、海王星、冥王星が仕立てる社会というのは、
太陽と月がトラインだとなかなか立ち向かうには大変なんですね、これ。
だって、「世の中」は平和が尊いっていいながらも常に変化を求めてるじゃないですか。

イージーアスペクトでも、セキスタイルや度数の関係でエレメントが違う「無関係なトライン」だと結構使えます。
エレメントが変われば幅が広がったり、変化に対応しやすくなります。

特別な誰かに特別な相手として認められたいと思う素朴な感情をないがしろにすることはないけれど、
もしも太陽や月がハードなら、この世間とか世の中といった「誰か」を限定しない場所に向かっていく方がいいです。
そして、そこを自分の居場所にするには時間が掛かるけど、
それこそ後々振り返って、嬉しくなるんじゃないかな。

それが自信って奴の土台になるんです。

人は一人では生きていない、誰かといつも繋がっているのだ。
特定とか特別な誰かという個人というのじゃなくて、
実は眼に見えない山ほどの複雑な繋がりで生きているということを、
ハードアスペクトは早いうちに気付かせてくれるアイテムなわけです。

厄介な事を「特別な」誰かに投影してしまって、
最終的にその人にとって大事なはずの「特別な」誰かを傷つけてしまう可能性。
そんな危うい部分ばかりを、クローズアップさせがちだったのは、
昔ながらの状況だったのかなと。

不穏な空気の中でも、あまり漠然としていて個人レベルでは解り難い世の中と言う所に、
自分なりにイキイキできるところを見つけにいける。
そんなハードアスペクトは、自分から選んで身につけた最終兵器かもねー。
ハードだからこそ、むしろ誰かと一緒に過ごす時間を大事に出来ますよ。
痛い目をしたり、傷つくのも理由があってのことなのだ。

傷跡が出来たら、労ってそこに磨きをかけるのだ。
誰かとかつて真剣に向き合った証拠だからですよ。

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