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sota de copas

いと小さき祈り

とりあえず無くてよかったとつくづく思う、「霊感」。
怖がりだから、お化けだの幽霊だのが観えないというのは、ありがたいのです。
観えたところで対処法が解らないんでね。
せいぜい塩まくか、お香焚くとか、お題目やマントラ唱えるぐらいしか。

前にちょっと書いたと思うけど、
実際、世の霊能者やら観える人達に浄霊だの浄化だのって出来る人、
解っている人はほぼ皆無、という事実はやっと最近知られてきているようで。
せいぜい、その場を乗り切るヒーリング程度ならともかくねえ。

そうなると、じゃあ普段からどうするかっていえば、抹香臭いかもだけど信仰ってやつでしょうかね。
それも別にお金積んでやる必要ないし。
わけわからん術だのなんだのはいらんと。
だいたい個人的に嫌いだしね、特に魔術って...。
人の幸不幸って自由意志のものを、己の欲望一つで術でなんとか思い遂げようとするのってどうよって話ですしね。

はい、いまどきの「復活愛」ってやつですねえ。
あんなので煽って金取ろうとする占師やら、魔術師やらがこの二十一世紀でもリアルでまだいますなあ。

無駄ですって。
人の自由意志はそんなのを本気で凌駕しますから。
命がけで抵抗されたら、ハネッ返されますよ、呪詛だのつまらん小細工だの邪念だのって。
人の本気の心と肉体はそれ自体が結界にもなりうると思う。
小手先の「術」なんぞでどうにかなってりゃ、とっくにこの世界、
今とは違う世界になっとるわい!

西洋占星術ってのも術だけど、生きる智慧って程度で使えればいいんです。
占師がやるのは、その精度を上げる為の勉強ですから。
この現実世界の空間に人間として生まれる前に、何を誓ったのか。
そんな「愉しみ」を知るツールでいいんです。
そそ、生きること、これ「愉しみ」と「遊び」と思えたら大成功かな。
全身で愉しめることがいいよね。 何でも。

だから、私は世間から無趣味で仕事人間といわれる人達を可哀想だの、
お気の毒だのと決して思いませんね。
そんな風にバカにした様に言う人って、あんたこそどうなんだっつーの。

だって、素晴らしいじゃないですか、そういう人こそ生涯現役でいられるんですよ。
別にいいじゃないですか、趣味なんて。
わざわざ他にあれこれ手を出して自分で探したり、めんどくさい設定つくる必要ないんだから。

あれですね、「自分探し」なんてのをしゃかりきになってやるのもしんどそうで。
結構傍目から見てて時間の無駄じゃなかろうかとおもったり...。

仕事でもなんでも全力投球できる何かがあれば、
つまらん術だの他力本願だのにはならないでしょうね。
そんな人を支えているのは、実は素朴な信仰かもしれない。
仕事の中に、それに関わる人間関係の中にそんなところを見つけるのかも知れない。

別にお寺やお宮さんにお参りするのだけが信仰じゃないでしょう。
素朴に今こうやって生きてられる喜びを振り返る、もうそれで充分じゃないかな。

言葉も宣言もシンプルな程にパワーがダイレクトに伝わる。
凝縮されたのが、たまたまマントラ、真言とよばれるものなのかな。
みんなのお経と呼ばれる般若心経の小さいポケット判を最近は持ち歩いてますが、
実際まだまだ読めません。
もちろん意味も解ってませんしね。 本来かなり難解と言われている様ですが。

大日如来、不動明王真言もあるし、これはなかなか使えそうと思って。
真髄が解ってるわけでもなんでもないけど、漠然とありがたい気がするって感じで。

祈り、信仰って本当に凄いもんだと思うな。
何に祈るって、まず何より自分自身に向けてだろうから。

ただひたすらに生きている。 それだけですでに世界へ、宇宙への祈りになっていると思う。

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