英雄と
蟹から獅子に太陽運行中は真夏で暑さも盛りの時期だからか、
いつも思い出すのは、早生まれの私には同級生の夏生まれの子の気の強さ。
とにかくやりたい放題、好きにしなけりゃ気がすまないという感じ。
成長や発育も早生まれより断然早いし。
夏、特に八月生まれの子は押しが強いなあ、子供心にもそんな印象でした。(´・ω・`)
っていうと、随分な言い草ですが、まあ月が獅子だと、色々火のサインにツッコミ入れたい感情ですな。
獅子ー水瓶、5ハウスー11ハウスは自分だけ、自分のため、自分本位の場、
という印象です。
梅雨の時期、紫陽花革命なる言葉、ネット上で一人歩きしてました。
花の名前を冠して自分たちの信念を美しいことにしてしまいたいのでしょうが。
個人的には鼻白んでいたわけです。
反・もしくは脱原発なる言葉に自分だけの正義感の臭いがまとわりつく。
(個人的にそれまでの世界や自身や周囲を否定しない卒原発でありたいという意思。( ・`ω・´))
革命という言葉、実は最も自分本位でしかないものなのだなあ、
というのが正直な感じ。
今の状況は大企業だけ、資本家、大きな組織や力じゃなく、
実は個人の身勝手な都合と思惑が一番大きな原因なんじゃないかと。
実は、皆してこのような状況を仕立てていったのだ、という。
獅子 英雄(王者)
水瓶 革命(民衆)
この二つのサインでの綱引きやシーソーゲームがあるとすれば、
そこにはまず権力という解りやすいものが出てきそうですが、
実は「共同体」という一見マルクス主義くさいキーワードが出てきます。
英雄を調べると、常人では成し遂げられないことが出来たヒトなのだそうですが。
この社会を牽引する、統率するのはどっちだ、というところなのか。
どちらが力を持ったとして、そこには葛藤が生まれるのは変わらず、
それが個人の心の中だけなのか、多くのヒトの感情がまとまらない感じは、
実は一人のヒトの心の葛藤と同じものという気がします。
これでいいのか、という気持ちは葛藤や自問自答を繰り返すし、
ヒトは誰しも自分の中で会議や評決を出そうともがいてるのかも。
獅子サイン、自分がなにより創造したい、賞賛を浴びたい、誇りたいという感情が優先。
ガキっぽいエネルギーなのに、タロットでは剛毅STRENGTHであり、
内面の力といった、むしろ表面は静かで内側から滲み出るようなエネルギーを表しています。
一方水瓶サインだと星STARであって、希望、事態が明るく変化していく期待感。
サインだけ見ると獅子が最も自分本位なエネルギーの印象ですが、
タロットと組み合わせてみると、こうあれたら、という願望が出ているようで。
社会の望みなのか、個人の心の奥からの叫びなのか、それはどっちとも言えないような。
英雄であれば、賞賛を浴びるなどという一瞬の高揚よりも、
その後の施政者としての資質や長続きするかどうかの手腕を問われる。
革命など起こして前政権や権力者を糾弾、引き摺り下ろしたところで、
その後のしあわせを誰かが保障してくれるわけじゃない。
実際には民衆、と呼ばれる立場の人々がもっとも自分本位であり、
一番権力を振るいたい願望を吐き出しているのだ、と私は思っていて。
世の中で本当に怖れられているのは、実は「庶民」と言われる自分たちなのだ、
という昔から言われていて。
国家権力でも警察でもない、なんでもない普通のヒトとされる存在が一番怖く始末におえないのだ、と。
5H-11Hはそんなシーンを垣間見せる場であって、
5Hは自分がイージーに愉しみたい深みのあまりない娯楽性の強い要素が追求され、
11Hでは自分と志同じくする人々との集い共同する場というイメージ。
血縁や縁故といったしがらみに囚われない、意思を同じくした他人同士が友人となって助け合う。
そこには思いがけない出逢いやラッキー、そんな関係もある。(養子縁組など)
どちらもサクシーデントであって、安定させて継続していく場というところは同じ。
水瓶ー獅子サイン自体が不動宮であるということが、まず自分のところに集約させていく作用。
集約させて蓄えていくということは、そこで発酵させるように何かを待つのかも。
貯めた物をいきなりおおっぴらに出すことは、拒否反応を生みやすい。
激しすぎたり、多くの人々からは受け入れにくい要素が強いのです。
じっとしてその機会が来るまではじっくり貯めておく。
獅子の主星太陽、水瓶の主星天王星がそれぞれの強さをお構いなしにぶつけ合うと、
そこには破壊しかないだろうなあ。
まあそこで英雄ー革命という綱引きをまた思い出す訳ですが。
タロットのSTRENGHのような自主的な制御や抑制が効く表情や、
そんなヒトの言葉が重く静かに染み渡るように、
あからさまなものはあまり敬愛されない傾向があります。
獅子は基本、周囲から「敬愛」されたいのです。
水瓶はそんな理想的なヒトが現れるのを待っているようなのです。
自分だけに都合のいい世界を作ってくれる誰かを。
そんな願望はやっぱり「自分本位」ということになりそうですが。
ただ自分を愛するということはヒトの基本中の基本であって、
それが当たり前にできる獅子というのは、神の子とも言える。
強烈な自我をエゴイストにしないようにするには、
自分の内面を信じて、人前で一歩引いて泰然としていられる「不動心」を得るしか。
太陽はその人の英雄像。
天王星はその英雄を見ている民かもしれません。
自問自答するのは、その中でずっとやり取りを繰り返しているような。
大丈夫という言葉、使い慣れてしまいがちながら、自分の中の太陽がどのサインであっても、
これを忘れないようにするには、ということに死ぬまで終始している気がします。
こんなにも変化して先のことなど解らない今の日本だからかもしれませんが。( ・`ω・´)
いつも思い出すのは、早生まれの私には同級生の夏生まれの子の気の強さ。
とにかくやりたい放題、好きにしなけりゃ気がすまないという感じ。
成長や発育も早生まれより断然早いし。
夏、特に八月生まれの子は押しが強いなあ、子供心にもそんな印象でした。(´・ω・`)
っていうと、随分な言い草ですが、まあ月が獅子だと、色々火のサインにツッコミ入れたい感情ですな。
獅子ー水瓶、5ハウスー11ハウスは自分だけ、自分のため、自分本位の場、
という印象です。
梅雨の時期、紫陽花革命なる言葉、ネット上で一人歩きしてました。
花の名前を冠して自分たちの信念を美しいことにしてしまいたいのでしょうが。
個人的には鼻白んでいたわけです。
反・もしくは脱原発なる言葉に自分だけの正義感の臭いがまとわりつく。
(個人的にそれまでの世界や自身や周囲を否定しない卒原発でありたいという意思。( ・`ω・´))
革命という言葉、実は最も自分本位でしかないものなのだなあ、
というのが正直な感じ。
今の状況は大企業だけ、資本家、大きな組織や力じゃなく、
実は個人の身勝手な都合と思惑が一番大きな原因なんじゃないかと。
実は、皆してこのような状況を仕立てていったのだ、という。
獅子 英雄(王者)
水瓶 革命(民衆)
この二つのサインでの綱引きやシーソーゲームがあるとすれば、
そこにはまず権力という解りやすいものが出てきそうですが、
実は「共同体」という一見マルクス主義くさいキーワードが出てきます。
英雄を調べると、常人では成し遂げられないことが出来たヒトなのだそうですが。
この社会を牽引する、統率するのはどっちだ、というところなのか。
どちらが力を持ったとして、そこには葛藤が生まれるのは変わらず、
それが個人の心の中だけなのか、多くのヒトの感情がまとまらない感じは、
実は一人のヒトの心の葛藤と同じものという気がします。
これでいいのか、という気持ちは葛藤や自問自答を繰り返すし、
ヒトは誰しも自分の中で会議や評決を出そうともがいてるのかも。
獅子サイン、自分がなにより創造したい、賞賛を浴びたい、誇りたいという感情が優先。
ガキっぽいエネルギーなのに、タロットでは剛毅STRENGTHであり、
内面の力といった、むしろ表面は静かで内側から滲み出るようなエネルギーを表しています。
一方水瓶サインだと星STARであって、希望、事態が明るく変化していく期待感。
サインだけ見ると獅子が最も自分本位なエネルギーの印象ですが、
タロットと組み合わせてみると、こうあれたら、という願望が出ているようで。
社会の望みなのか、個人の心の奥からの叫びなのか、それはどっちとも言えないような。
英雄であれば、賞賛を浴びるなどという一瞬の高揚よりも、
その後の施政者としての資質や長続きするかどうかの手腕を問われる。
革命など起こして前政権や権力者を糾弾、引き摺り下ろしたところで、
その後のしあわせを誰かが保障してくれるわけじゃない。
実際には民衆、と呼ばれる立場の人々がもっとも自分本位であり、
一番権力を振るいたい願望を吐き出しているのだ、と私は思っていて。
世の中で本当に怖れられているのは、実は「庶民」と言われる自分たちなのだ、
という昔から言われていて。
国家権力でも警察でもない、なんでもない普通のヒトとされる存在が一番怖く始末におえないのだ、と。
5H-11Hはそんなシーンを垣間見せる場であって、
5Hは自分がイージーに愉しみたい深みのあまりない娯楽性の強い要素が追求され、
11Hでは自分と志同じくする人々との集い共同する場というイメージ。
血縁や縁故といったしがらみに囚われない、意思を同じくした他人同士が友人となって助け合う。
そこには思いがけない出逢いやラッキー、そんな関係もある。(養子縁組など)
どちらもサクシーデントであって、安定させて継続していく場というところは同じ。
水瓶ー獅子サイン自体が不動宮であるということが、まず自分のところに集約させていく作用。
集約させて蓄えていくということは、そこで発酵させるように何かを待つのかも。
貯めた物をいきなりおおっぴらに出すことは、拒否反応を生みやすい。
激しすぎたり、多くの人々からは受け入れにくい要素が強いのです。
じっとしてその機会が来るまではじっくり貯めておく。
獅子の主星太陽、水瓶の主星天王星がそれぞれの強さをお構いなしにぶつけ合うと、
そこには破壊しかないだろうなあ。
まあそこで英雄ー革命という綱引きをまた思い出す訳ですが。
タロットのSTRENGHのような自主的な制御や抑制が効く表情や、
そんなヒトの言葉が重く静かに染み渡るように、
あからさまなものはあまり敬愛されない傾向があります。
獅子は基本、周囲から「敬愛」されたいのです。
水瓶はそんな理想的なヒトが現れるのを待っているようなのです。
自分だけに都合のいい世界を作ってくれる誰かを。
そんな願望はやっぱり「自分本位」ということになりそうですが。
ただ自分を愛するということはヒトの基本中の基本であって、
それが当たり前にできる獅子というのは、神の子とも言える。
強烈な自我をエゴイストにしないようにするには、
自分の内面を信じて、人前で一歩引いて泰然としていられる「不動心」を得るしか。
太陽はその人の英雄像。
天王星はその英雄を見ている民かもしれません。
自問自答するのは、その中でずっとやり取りを繰り返しているような。
大丈夫という言葉、使い慣れてしまいがちながら、自分の中の太陽がどのサインであっても、
これを忘れないようにするには、ということに死ぬまで終始している気がします。
こんなにも変化して先のことなど解らない今の日本だからかもしれませんが。( ・`ω・´)
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