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Tarot CardとAstolorogyのフィルターを通して観る  この世界への感想文とこの世の記憶帖
雨の日徒然
2011-07-07 Thu 10:43
新暦の七夕というと、ちょうど梅雨のまっただ中。
なかなか空気の綺麗なところでも天の川なども観えない夜空、
というのが通年のようです。
今日も関西は土砂降りの朝でした。

先日久しぶりに伺った松尾大社の拝殿の七夕飾りが実に壮麗で。
天に沢山の願い事を届ける、そんな神様の意志があるかのような、
そんな涼やかな風を感じたり。

二十世紀末からここまでの間に、結構な数の震災、自然災害がありました。
数年前に実際に東北地方での大きな地震もあったわけで、
その時に既に心身の備えができていたかどうか、が今振り返って問われているような。

政治家やマスコミ各社の発言や報道の仕方を観ていると、
常日頃思う、他人の「正義感」なんてのは実に面倒なものだと。

木星、土星を使って普段行っているのは「判断」と「政治」。
正義感はこの判断の基準が関わっているようで、
この辺りは世代間アスペクトを形成する関係もあって、
その時代の正義感や社会の空気を読み取る鍵にもなります。


サインがその時代の空気、アスペクトが実際の働きや動きを出して行くので、
これで社会との関わり合いを個人で色々工夫して使って行くことに。

これが面白いもので、同じ世代だから必ずしも意見を同じくするわけでない、
と言う現実を創っていく。
その空気を呼吸しても、どう染まるか染まらないかを決めるのはその人自身。

インターネットなんてものが普及すればするほどに「判断力」が問われるけれど、
そこには天王星のボーダーレスと垣根を越え、枠を外すエネルギーへの対抗もあるかも。
この辺りのバランスは、個人の中で行うちょっとした「政治」かもしれない。

モニターが繰り広げている仮想世界の言葉や映像を自分なりに取捨選択して判断するには、
木星土星のエネルギーを利用するのが現実世界。

正義感は自分の都合で決めているものなので、人は基本「批判」ということは出来ないと思う。

あるのは、ただ目の前の事象の好き嫌いと、受け入れの体勢、
自分の中の可能性、ポテンシャルへの影響、化学変化や変容への対処ができるかどうか。

他人様の視点と感覚を共有するかどうかも、
木星土星にルミナリーズと個人惑星のアスペクトの出方ですが、
これをどう扱うかが個人でも本当に違う。
驚くほど違う。

同じ生年月日の人の人生模様が全く違ってて当たり前だなあ、
といまさらながら感じます。

生まれ落ちた環境のみならず、その後のその人の意志や判断の使い方で、
その未来はいくつものパターンに展開して行くだろう、というのも腑に落ちる。
一方でどこかある程度は決まっている気もするけど、それも100%ではなさそうな。

Natal chartというもの、その人のアカシックレコードなのかな、と。

いにしえから言われているのは、chartにはその人の全てが記されている、と。

一冊の本でも、何度でも読み返さなくては、
一回読んだだけで、こんなのもう知ってるよ、などと傲慢なことを思ってはならない。
ふと読み返したページの記述の深みとその時には気付かなかった文字の奥から沸き出す何か、
観えない情報を受け取ってしまったかのような、なんともいえない感覚。

文字、出版、定まった論理や常識も木星土星の管轄ですが、
その意味を汲み取るのも一生掛かってやればいいわけです。
先を急がなくても。

今は皆してスピードアップ、せっかちにすぐ「結果、結果だよ!」と騒いでいる様に観える。

数字がその人に安心と保障をくれるわけではないのに、
それが解っていてもそうしてしまうクセ、
もう二十世紀に置いておけばいいと思いますけどね。

迅速に行わなければ成らない事と、先を急ぐ事で失ったりする事との判断がつかないのでは、
先々のこの世界、どう愉しくやっていけるかも解らないまま、
百年足らずの一生を終えてしまいそう。

だったら、自分にとって何が大事なのか解るような日々を過ごし受け取っていきたいなー。


そんな事も徒然に思い出す梅雨。

仙台の七夕は旧暦なんですよね。
今年も無事行われるそうで、よかったです。

仙台七夕まつり
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