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美しきまち
大阪に出る事は滅多にないけれど、大阪市内は下町に限る、と思う。
犬や猫がのんびりした表情で暮らしているので。

下町の猫や町家や古びた家屋や雑貨屋、駄菓子屋と言う辺りの風景の写真を観るのが好きで。
そういう人達のお話がとても平和でよく馴染む。

下町要素ってやっぱり月くさいなあ、善い意味で。

今や全国的に大阪オカンはヒョウ柄、派手、馴れ馴れしくも図々しい態度、
などとステレオタイプな評価が横行しているけれど、本当にそうかな。
いまどきの若いお笑い芸人が鉄板ネタにしてから随分経つけれど。
だとしても、私は別に嫌いじゃない。

むしろ、実は府下の郊外の一見すれば上品そうな住宅地、
特に新興の場所や人達が自分には難しい感じ。
なかなか上手くコミュニケーション取れない気がする。
どうしてだろうと思うのだけど。
その人の本音もだけど、バックグラウンドが観えないからか。

なんとなく地面と住民であるその人自身との結びつきが弱いような、
地に足がついている、という空気を感じ難いのだった。

以外と都市部の下町で何代にも渡って住み続けた人達は、
出逢って話して見ると穏やかで滲みだす品の善さを感じる。
物質的にではなく、本当にふくよかな暖かい優しい空気でいっぱい。
チャキチャキと動き回っていても、どこかに余裕を感じるのだ。

反面、郊外の綺麗に整頓された住宅地住まいの人とは何か馴染み難い。
一見、おっとりした空気を出している様に見えるけど、
何気に騒がしさや微細な棘や苛立ちを感じる事が多い。

どうも、その土地に実際に人が馴染んでいるかどうか、が鍵のような気がする。
飽くまで自分の体感ですが。

あとマスコミでの宣伝や発言は本当にどうかしてると。(´・ω・`)
特にTVでのそれは。

例えば阪神間だと阪急沿線はお上品、阪神沿線は庶民、っていうけど、
実際そうでもないよー。
その阪急沿線に産まれた頃から暮らしていて、震災の様子もつぶさに観て来たけれど。
結構、阪神沿線の人達の方が穏やかに観える事が多かった。

阪急の方がバリバリの新興だしね。
それを小林一三翁の巧みな経営とイメージ戦略で、
阪急沿線=上品と刷り込んでいった。

阪神沿線には、実際旧いながらも手入れの行き届いた家屋がよくあったりする。
何にしても、しっかりしたバックグラウンドを感じる事が多い。

震災後はその変わりようは顕著で、全壊した家屋や田畑は駐車場やマンションに。
その後は亡くなったり、去っていった旧い住人の後に新たな人達が入ってくる様に。
当然、空気は変化して行く。
最初はその騒がしさに戸惑ったし今でもそうだけど、それを受け入れて生きるのだ、と。

何代にも渡った大阪下町育ちの人達は、穏やかで人の噂話や悪口よりも、
最終的に自分達が相手を受け入れるにはどうすれば、
という智恵を絞って来た人達のイメージだったりする。

実際には地域でも衝突やトラブルもいっぱいあったのを乗り切って来たのだ。
そんな土地の空気への馴染み方がいいと思う。
人との距離の取り方も絶妙だ。


東京って以外と多いよね、大きな公園とか緑が。
皇居は明らかにサンクチュアリであり。
よそものを受け入れていく、という前提で街の設計が出来ているから、
という話を伺った事がある。

緑地を人為的にでも多く街中に置いたり、
という配慮をしていかないと首都なんて機能しなくなるんじゃないかな。

反面、大阪市内には川が多いのに都内のような大きな公園って以外と少ない。
よその土地から人が流入して来る、という前提を重視していなかったのかもしれない。
皆、近隣や地元の人間、いわゆる関西人ばっかりだろう、という油断があったのか。
そのせいかどうか、近年非常に殺伐とした空気を感じる。

キタやミナミに出たとしても、用が済んだらさっさと帰る。
いまどきの店が増えた、と雑誌などで評される中崎町ですらあまり足が向かない。
本来の油断がならないけれど、それでも不思議と春風駘蕩な下町的空気が薄まった感じがする。


東京でも大阪でも下町育ちの品の善さ、というのを理想の一つに思っている。

それは、観ていて本当に「かっこいい」のだ。(`・ω・´)

都会の下町の土地のエネルギーと人との繋がり方がいい具合で取れているというのは、
何代にも渡ってそこで暮らして、お互いのエネルギーが練られて慣れ親しんできたのだろうか。

そして不思議な事にそういういい感じの人に出逢うと後にその下町っ子な空気の人のルーツが、
お寺さんであったと知らされる事が何度もあった。

ゆるぎない、とか安心させる空気と馴染みやすさに不思議な品を感じてホッとする。
そんな時に何かの加護を受けている事をなんとなく「解って」いるのでは、
と感じたりする。

地に足がつく、という昔ながらの表現ってこれかー、と腑に落ちたり。

庭に猫がのんびり何匹も出入りしたり、花がいつもなにがしか咲いていたり。
yummy jam 追記あり
ローカルな事柄の方が世界に通用する、
というのは宮崎駿監督の言葉だったと記憶しているのだけど。

この度のクロマグロに関する話なんてのも、観ていて或る種のリベンジ的なとこを感じたり。

リビアって80年代だったか。
カダフィ大佐って覚えてる人いるかな。
今はもう彼は軍人ではなくなったけれど、
当時の大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、
リビア人テロリストなんてのを引っ張りだしていた。
当時はあんな描かれ方してたんだけど。
そのリビアが鍵を握ってたり。

そして改めてEUも決して一枚板ではない、と。
大陸ほど個々の民族色が強くなるところと思う。
ましてや旧大陸は複雑だなあ、と。

民族というのが差別意識でなくて、
人と言う存在の豊かさを呈示するものだと認識されたほうがさいわいな気がする。

日本人が知らない小国はいくらでもある。
言語や風俗も民族の中で更に細かく枝分かれしていく。
ローカルな人達がその時代での中央と呼ばれる場所に飛び込んで、
色んな物を作ったり、自分の中のものを出して見せる、魅せる事で発展していったりという。

音楽だとかつてはリストや今年生誕200年のショパンが、皇帝陛下のお膝元で活躍したりとか。
特に音楽は境界線超えやすい、解りやすい海王星要素だな。

北欧辺りで結構ジャズや現代音楽、メタルが盛んだったりするのが面白い。
渋さ知らズが日本以上にオランダ、ドイツ、ベルギーなどで高評だったのが、
日本に改めて人気逆輸入されたり。

スウェディッシュ・ポップで早期に人気を博したカーディガンズも、
1st Albumではブラック・サバスのやたら可愛い仕上がりのカヴァーを入れてたりする。
一見保守的ながら、音楽になると途端に面白かったり弾ける要素も出やすいのかな。

トーベ・ヤンソン作品や、家具などのデザインなどで、
クールで個人主義的なイメージで紹介される事も多いけど。
そんな北欧には、実は泥臭さを愛する風土が強い気がする。

そうね、「風土」という言葉が一つ意味深いものだなと。


ヨーロッパに限らず中央というのは基本ミクスチャーになると思っていて、
そこではとりあえずつつがなくやって行く為には個人主義も発達するよなあ、
そこそこの距離感取る必然性はあるよなあ、とも思うけど。

そんな中で、王道、正統派とされるところからは邪道と言われるところもでてくるけど、
不思議と定着してしまうのは、それが結構的をついているからかもしれません。

和製英語と呼ばれる奇妙なカタカナ言葉の類いも、そうね。
こういう言葉が産まれた背景というのを愛しているのかもしれない。

ライヴハウス、って面白いなあ。
音楽の生演奏をライヴと呼ぶのも随分定着したようで。
その一方ではもうギグって言わなくなったな。

和製とはちょっと違うけどjam、ジャムセッションなんてのも改めて面白い言葉ねえ。
最近この言葉もあまり聴かれなくなったかな。
こういう形態のライヴはむしろ70年代の方が盛んで面白かったのかもしれない。

これだけ、と限定しない、ローカルなところから産まれて来る新しい何か。
インディペンデント、まれびと、異文化、温故知新はブレイクスルー(共に天王星要素)ということで、
これが中央とか都会的要素を実は動かしているという。

そんなのが産まれてくるのが、
集合無意識の底や組み込まれたDNAからの叫び(冥王星)、
だったりするのかね。
どうだかね。



追記

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8573682.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8573745.stm

チャーリー・ギレットさんは日本のミュージシャンをUKで積極的に紹介してくださった方。
ピーター・バラカン氏は彼に多大な影響を受けているといわれている。
60代はまだ若いと思う。 
長い闘病生活の末であり、向こうでまたゆっくりいい音聴いて愉しくしておられれば、と思います。
魚の新月だったメモ
先日三月十六日が、AM6:02に魚25°10'で新月。

この日は午前中、のんびり歩いて廣田神社での御例祭を観に行ったり。
お祭りって神様のライヴなんだなー、などと感心してたり。
私は神道ってまったく知らないんだけど、いつお祭りを行うのかというのも、
やっぱり月齢をちゃんと観て占いの結果を考慮しているのだろうなと。

その後にはまたライヴハウスに行っちゃってたり。
やー、これまた愉しかった。
平日ながら結構お客さんも集まってて常連さんとも愉しくお喋りして、
うっかりちょっとだけ午前様だ。

こういったお祭りの日にお参りすると、いつも以上に手が熱くなるので。
まあ気のせいかもしれないけど、皆していい感じで盛り上がれたらいいかなと思う。
前日は随分雨が降ったけれど、その日もたまたま訪れていて雨の中で明日の準備している様などを。
お祭りの前日に雨が降ったせいか、当日は実にすっきりしたいいお天気で風が吹いても爽やかだったり。
初春のいい空気だったし。

こういうところをいまどきは「パワースポット」などと呼んでやってくる人が増えたらしい昨今。
それはそれで意味があるだろうなあとは思う。

ただ、こういう場で祝詞を自分で上げてたりお寺でもマントラ唱えたり、
長々と念じてる人も見かけるんだけど、正直どこか苦手な空気を感じたりする。

近所の人達が買い物や散歩、仕事の合間や帰りで素朴にただニコニコ手を合わせてすっと帰って行く。
近所の親子連れがちびっ子が親御さんと一緒に暢気にお参りしたり、
境内でどんぐり拾って遊んでいる時を眺めている時が一番和むかなー。

まあともかく、お祭りという神様のライヴ活動はなかなかいい感じでしたよ。
それぞれの祠にもお供えされてるお神酒や野菜や果物、お米などがなんだか清々しくも美味しそう。
手のひらは温かくなるし、境内がいつも以上に明るく愉しそう。
拝殿では宮司さんが祝詞を上げたりする中でもご近所さんはごく普通にお参りして、
のんびりまた散歩やお買い物に行く。


改めて新月図を観ていると、新月の状況に水星、天王星合、天秤1°で逆行中土星との衝、
それが獅子0°で順行中火星が調停していると。
その火星は魚天王星ともトライン。
サイン的には無関係ながら度数の関係で、という。
0°って29°と共にクリティカル度数っていうけど、さてさてどうなりますやら。

魚のルーラー海王星はキロンとの合以外は冥王星とのセプタイルと金星とのセミスクエアといった、
マイナーアスペクトのみで。
同じく古典からのルーラーで現在魚運行中の木星も、
山羊と蟹18°のノード軸とのイージーアスペクトの他は先に上げた合の方が強い。
獅子火星とのセスキコードレートってちょっとしんどいかな。

ASCは魚20°、MC射手24°、オリエンタルプラネットが木星、天頂に最も近いのは山羊冥王星と。
結構ハードなクリアリングと変容といった風情を感じたり。

この日の夜はライヴ観に行ってたり、まあいつものことですけど。
聖域のお祭りの日に訪れて参拝したりとか、魚サインらしいことは一通りやっちゃった感が。
意識してなくても、なにげにやってしまってるもんですね。

その前日に、ブラッドストーンのタンブルがなんとなく欲しくなってネットで安く購入したのが届いたり。
実はいまでこそ三月の誕生石は一般にアクアマリンですが、
私が子供の頃にはブラッドストーンでした。
濃い緑に血赤の飛沫が掛かったような色合いから、キリストの受難を連想させると。
そこから自己犠牲の象徴であった魚サインに当てはめられたらしい。

たまたま届いたタンブルは緑ほぼ一色であまり血赤の色は出てないけれど。
個人的に心身の安定と安眠にマラカイトと共に高価絶大石だったり。
大変落ち着くのです。 グラウンディングしやすいのか。

アクアマリンとブラッドストーンはどちらもアメジストと共に好きだし合うサポートとして大変役立つ石なので、
魚サインが効いている人、ヒーリングに興味や関係がある人は、
一度ブラッドストーンも手に取ってみると面白いかもしれない。

魚の月は古典の方ではたしかStrongだったかな。
牡牛の月のJoy程に強力ではないんだけど、前向きに働くと。
獅子火星も同じく。

魚に月運行中にそんなことをしているというのもねえ。
しかも土星様相や山羊と蟹ノード軸ってあたりもかなり「現実」というのを認識させられるものがあったり。
魚とかヒーリング的な要素の強さ感じますけども。

目に観えない、ただ信じる以外に無い事を現実化するには、というのは大きな課題だけど。

癒し、というのも本人の実感以外に客観的に証明し難い要素ではあるんですよね。
病院での検査では何の異常もないけれど、不眠や不調は続いている、
などという状況を自律神経失調症という括りで説明される事は多いけれど。
こういう時にそれぞれに自己ヒーリングの意味に気付いて自分に合う方法とか見つかるといいなと思う。


本当はヒーリングって実は自分でやるのが一番いいのではないかなあと思っている。
たまたま自分ではレイキというのをやっていて、それ以外にもいっぱい色んなメソッドがあること、
いまどきはレイキにあれこれと何かを組み合わせたりして行う人が多いと今では知っているけれど。

誰かに施術してもらえて、それをきっかけにして自分が好きな物や合う事を調べたり、
探してみたり、というのは愉しいもの。

実際に何か他のメソッドと組み合わせたいなあと思って色々調べて見たり、
それに何かひっかかりを感じてタロットで観てみるのだけれど、
展開からして未だに自分の内側からのGOサインがでるようなメソッドに出逢った事がない。

現時点であまり色々やりすぎない、色んな事柄や人に影響されすぎない様に、
というのがいいのかもしれないな。
この辺りはそれなりに慎重になった方がいいんです。

なので、以前に習った事を思い出して普通に街中を歩いている事が多い。
太陽の下を歩く、というのが実は大変素朴ながら一番自分に合っているようだ。

そして、足の裏から実はどうも色んな目に観えない情報を取り入れているような気がする。

ちなみにくるぶしから下、足の裏なんてのは魚サインが支配する肉体部位でもある。
なるほどー、などとつい最近気付いた事です。

ヨーガの先生からのお話で、認知症が進んで徘徊ということが起こるけど、
それは足の裏からなんとか失いつつある脳の機能を取り戻そうとする人間の反応である、
という説を伺った事がある。

実際にかならずヨーガのレッスン時にはまず呼吸をしっかり意識して、
足の指を伸ばしたり、足をよく揉んだり。
足のお手入れを意識してしっかりしたものだった。

最近は足は第二の心臓、という昔からの言葉をよく思い出す。

畑とか緑の多いところや自然を感じるところを歩く程に、素朴に愉しいです。
魚ASCでバイタリティに程遠い肉体なのに。
オフィス街やビルの中でPC画面見ていたころやどっと疲れてたくせに。
そう言う緑や水辺、自然の息吹を感じるところを歩く時だけは三駅分ぐらい余裕で。
疲れを感じないのです、不思議な事に。

もう月は牡羊サインですね。
次の牡羊新月はブルーソーラーウォーターを飲むのを初めて一年経つってことで。
こんなことで効くわけ無いだろーと思ってたのに、しぶとく続いてしまった。
飽きっぽい適当人間な自分が。

太陽ってパワフルだけど降り注ぐ光は結構優しい気がする。
そしてもうすぐ春分と。
獅子火星順行メモ
この三月から獅子0°でステーション(留)だった火星が、明日11日から順行に。

この三月いっぱいと四月八日まで間は逆行中の土星がまだ天秤サインなので、
この間は順行に戻った獅子火星とのセキスタイルを形成。

なので、この間に魚の0°から3°以内にルミナリーズを含む十惑星やノードを持つ人には、
このセキスタイルがYodを形成する。
この辺りの人達はなにげに忙しかったりするかな。

四月七日から逆行する山羊冥王星とのインコンジャンクトもこの月に形成。
これも関連するかもしれない。
なかなかハードな気がするけど、流れに任せるしかないような。

とりあえず獅子のみならず不動宮にネイタルのプラネットがある人は、
ひと呼吸おいて発言、行動することを普段以上に心がけると後々しあわせになるかも。
火のサインにある火星は作用そのものは前向きに使えると思うので。

創作活動や料理に取り組む、野外に出て自然に触れつつお気楽に愉しく運動する、など。
不動宮で獅子ということで、余裕を持って遊びや娯楽の要素を取り入れると前向きに使えそうな。




ポリリズム
以前はセコハンと呼ばれる物はなるべく手を出さない方向だったのだけど、
今では本でも古書で手に入れる事が多い。
本が売れなくなった昨今、品切や絶版も多いので。
不思議と新刊で買ったもの以上に古書で手に入れたものの方が、
繰り返し読み返すことも多かったりする。

新刊ではあまり評判でもなかったかもしれないけど、
後に時代や流れが移り変わって社会の様相が変われば、価値観も変わる。
読み返してみれば、その価値が当時は解らなかったけど実は...というものも多いのではないかな。


こんなとき、リサイクルというのは実にありがたい。
新古書店が本やCD、DVDなどというメディアを手広く取り扱っていることに意味があると思う。
いまやネット上でも探して入手できる。
何度でも時代を超えてその価値が認められるというのが、いかにもアウタープラネットな。


冥王星は日常で解りやすく利用するとしたら、やっぱりリサイクルというところに辿り着くか。
下水や汚物処理というのもそう。
汚れや排泄物という日常生活の垢を分解してもう一度この現実世界の中で循環させるので。
水も有限だからねえ。

人の精神の中では、執念とか性を表したりするけれど。
往々にしてリベンジというのは、この冥王星作用だったりする。
土星が個人のカルマを表すと言われているのに対し、
冥王星は集団のカルマとされているのは土星より更に遠く、
得体の知れない空気を醸し出してしまうので。

個人の恨みつらみというと面倒な話で、これがものの見事に全部自分にすっ飛んで戻って来るよ。
ブーメラン効果ってあちこちで、色んな分野で見かけられるようで。

一見すると心のヘドロの如く悪臭放つかのような、そんな冥王星的な状況。
だったら、自分なりにその執念などの感情は自分で処理して引き取れるように。
好き嫌いとか愛憎といった辺りじゃなくて、
自分が特定の誰かにではなく、この世の中に何ができるだろう、という。
そんな辺りで考えた方が前向きに使えそうな気がする、アウタープラネットの極地。

以前のエントリーではこの星をデトックス惑星として、Detoxificationで書いたと思う。
一度自分のヘドロを引っ掻きだして処理しないといけない時ってあるんだなー。

徹底する、集中して処理にあたる、という。
最後はその価値がひっくり返される程に強烈な化学変化起こしてしまうのだ。
まさに生まれ変わり。 

究極の状況に追い込まれるのだけど、それだって実は普段の考え方や生き方といった、
その人の普段の生活の有り様がちゃんと考慮されていると思う。

土壇場での強大なパワーもこれ。
周囲の味方がバタバタと倒れたりダメになって行くのを見て、もう自分しかいない、といったシーン。
そんな状況の中で仲間の無念を晴らす、という。
全ての期待を一心に集めて、などというのがそれ。

スポーツとか芸術などの技を競う競技やコンテスト、コンクールがそう。
そんな非日常の中で、自分の究極の力が問われるので。

選手や芸術家の卵で同じ国の出場者がバタバタと脱落していくなかで、
唯一残った一人が頑張って入賞や場合によっては一位獲得、なんてのはそんなとこかもしれない。
皆の思いを一心に集めてそれまで出せなかった程のパワーを放出するという。

潜在能力という、非常事態でなければ出さない力は普段の表面的な知性や意識を超えて。
そこまでの精神集中ができたなら最強だな。

冥王星は一見したたかに見えるけれど、それ強さとて一朝一夕に作られたわけではなく。
やっぱりDNA絡みかなーとも思うけど、それだって自分で望んだような気がする。
自分への強迫に思えるときもあるけれど、
これが実は大きな後ろ盾として観ていくのがいいのかもしれない。
深く巨大な底無しの何か。
暗い情熱のように観える力が、生命力の源だったりするんじゃないかとか。

最後の頼みの綱、のように思えたりもする。
自分にとって本当に必要なことは何か、という話をいつでもしてくるような。

個人的に人は変化して行くのが前提だと思っている。
肉体も精神も大きくなったり老いたりして変わって行くのだけど、
形にこだわることなく、自分に必要なことが何か解っていくと、自然と変わってしまう。
それまで嫌いだった物や存在が好きになったり、その逆もある。

逆転劇やリベンジ、こだわり、固執、徹底、死、解体と再生、
得体の知れない不可視の世界とか。
現実での生活においては脅威でもあるけれど、否応無しでガバッと状況がひっくり返るその時。
それが自分にとってどれだけ大事だったかが、後になる程にジワジワとくる。

今は山羊サイン運行中だからか、余計に色々とそう思えて来るのかもしれないけど。

思えば、二十一世紀に入ってしばらく経ってから、そんな感じになった。
自分を取り巻く空気や流れが変わったのか。
そうだなー、このブログ書き始めたのが丁度ノード軸のトランジットが大きなトリガーになった。
その頃から古書を普通に買う様になった時期の始まりでもあり。

ノードについては、また後に。



廻り巡る、って思いっきりPlutoな。
この螺旋がまんまDNAだし。
しかも"love the world"並みにデトックス効果絶大だったりして。
プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

当方では対面、メールでの有料個人セッションのみとなります。
ブログ上でのコメント欄での一個人のリーディング依頼はお受けいたしかねます。

Webサイト・ブログ、印刷物等への転載はお断りしています。

あしからずご了承下さい。


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