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ぐるりよざ
まだ火星が獅子で逆行中のせいか、自分の幼少期ばかり思い出すな。

あまり子供関係の話ばかりしたくないのが本音なのだが。

世界中の小学生の普段の生活を撮った短いドキュメンタリーなどを観ていると面白かった。
酪農家に生まれて三歳から稼業を手伝ってる少女なのだけど、実に眼が老成していた。
意志的なのだけど、透徹しているというか。

番組のスタッフから飼っている牛達のことを必ず「牛さん」と彼女が呼ぶ理由を尋ねられると、

「牛は私の後から産まれても、後で自分より早く歳取ってしまうでしょ。
 私より先に大人になるから。」

両親からそう教わったのかもしれないが、彼女の中でしっかり身になってる感じだった。

彼女は産まれたての可愛い仔牛が、オスであれば数日で肉に出される現実も日常で見つめつつ、
将来はきっと酪農を継ぐ、ともう自分の道を決めていた。

道理であの眼が老成していたわけだ。 
まあそれだけじゃないだろうけども。

別の酪農家の男の子が仔牛の世話を任されている様子を観た事もあったけど。
「仔牛が僕を待っているから。」と語っている眼が、
もはや子供ではなく老人のそれだった。


小さい頃から動植物に触れている子は抵抗力がついて丈夫に育つ。
土に触れていることというのは大事だ。
以前ドイツでも農場で手伝いしている子供は、
そうでない子よりもアレルギーなどが出難いというデータが得られたという話を聞いた気がする。

実際に自然の中に飛び込んで実践してしまう方が良いのだ。

巷には色んな情報やらよく解らん本だのが多過ぎるなあと思う。

例えば砂糖の取り過ぎはよくないから、砂糖無しの生活が一番、などという本がある。
だけどそれは程度の問題だな。
実際には糖分が足りなければ、足りない分を摂取したら良いし、
精製された砂糖で作られた菓子やデザート類が溢れている環境ばかりではない。

実際料理には、砂糖は欠かせない。
肉を塩漬けして水分を抜く時には砂糖も使うと上手くいく。
料理が上手い人の家では、ちゃんと常備されている。
要は使い方と量の加減だ。
味醂を切らしていても清酒と砂糖で上手く料理する、ということも可能だ。

巷のグルメ漫画なんぞが調味料一つでも昔ながらの製法以外のものはダメだとして、
大手メーカーが作る商品は一方的にダメなもの扱いしたり、
というのも歪な安物のプライドや感情が突き刺さって来る。

実際には大手企業の努力あればこそ、低コストで一定の品質のものが手に入る、
流通のインフラもそれなりに整えて来た、というのが現実なのに。

手に入り難い高級品ばかりを入手出来る家庭ばかりではない。
一般に安く売られている大手の商品が更に安全性が高くなる事や、
品質向上する事を願って見守って行く方がいいな。
その方がより多くの人がしあわせ感得られるんじゃないかね。

その組織で働く人達だって、そんな空気の中でお勤めできるようになれば、
また色んな豊かさを感じられるのでは、と。

そういう本当のことを無視して、孤高のつもりでいててもなんか情けない。
自ら土や水に触れてみれば解るよお。
高みに居座って自分に都合の良い事ばかり言っても仕方が無いからね。


インフラという大掛かなところをまず作った後には、
どこかにへそ曲がりで偏屈な(天王星的)物言いも出て来るのが常だけど、
本当にそれが未知への突破口になっているのかどうかは時間が経たないと解らない。

昔ながらのやり方がそれで認められるのならいいけれど、
だからといって、あっさり手のひら返したみたいに、それまでのことを否定するのはどうかと思うのだ。

ブック○フなんてところに行けば実に解りやすい。
肉や動物性のものを食べるのは残酷、砂糖要らない、ガンになるぞーとか。
完全な菜食こそが正しい、と一方的な解釈で書かれた翻訳物のベジタリアン本など、
新興宗教関連の本などと一緒に安売りされてたりもする。

そんなところで実際リサイクルとかモノを安く売り買いしている現場を観ていると、
その時は面白いのだけど後々尾を引くというか、冥王星的な複雑な気分だ。

人の肉体にはちゃんと抵抗力とか、自然治癒力という自己浄化能力が皆に標準装備なんだからねえ。
規格なんてのは人の身体には当てはまらんなあと思う。

自分で判断(木星、土星)する、という事は大変面倒だ。
だけど、これを使わない、やらないわけにも行かない状況ってのが、
「現実生活」になっちゃうか。

やっぱりなんか凄いなー、色々ねえ、っていう。

自分にとって何が一番大事で必要なのか、と、ずっと後々まで問われているみたいで。

この世界には色んなお恵みあるなと思う。
Domingo
12H、タロット関連メモ

秘密のハウスとか、隠れた敵などという古典占星術じゃそんな象意。
呼び名はGenius mals、悪霊ですよ。
以前にも書いた8ハウスがPorta superna、天界の門なのに。


匿名性を感じさせる。
もう個人としての在り方や個性うんぬん、ということは12室では解体されると。
自分なんてもの無くしていく、その必要を感じなくなっていくような。

現実にはこういう感覚というのは非常にヤバいわけで、
この手の状況はうっかりすると足元すくわれやすい。
世に出る、というのは自己主張して利益をしっかり確保できる強さと抜け目無さがなければ。
なのに、もう自我なんてのが解体されてちゃねえ。

そんなとこからですかね、隠れた敵、なんて言われているのは。
その心は自分の秘密と弱みを握って揺さぶりかけて来る嫌なヤツ、と。

秘密、というのは守りたい何か、弱々しいデリケートな何か、
もっとも微細な美しいと思う存在や有り様なのかな。
人に簡単には理解されない、できないと自分で思っている何か。
ここにプラネットや感受点が入っていれば、それに関する事柄にはかなり陰の要素が強くなる。
そして、社会生活においてはそれがネックになったりする。

隠れた敵、というのはそういう作用らしい。

現実生活からすればまったくもって生産性皆無なハウスで、
ここの状況次第では実生活で足を引っ張られている、と思えるような状況が出来る事もある。
8Hと共に秘密めいた状況にしておいた方が平和でトラブル無く済ませることができたり。

ただ、ふとこのハウスの事を思う度に、タロットの「吊るされた男」のカードを思い出す。
迷った時、精神的に疲れている時に必ずでる大アルカナ十二番。

このカードに対応するのは海王星で占星術のハウスの意味合いまでは考慮されてないけど、
どうもこのカードは12H的状況を表すのかなと思う。

サーシャ・フェントンの著書ではこのカードが出た時には、
事態を哲学的に観る必要がある、としている。
自分の精神性を今一度振り返る必要がある時に必ず出る。

あなたに取っての「隠れた敵」、心が疲れた、と思っている要素は一体何なのか。
現実には苦しいと思える状況でも受け入れられるとしたら、それは何か。
力だけでは到達できない何かを知るきっかけ、という辺りか。

最後は何かを信じられるかどうか、"I believe"という、
魚サイン、12H的な状況設定を受け入れて生きていくのかどうか。
何かを信じてゆだねていくというのは実はなかなか難しい。
依存、というのは大変高度なテクニックなのだなー。

むしろ自己責任なんて言ってガシガシと精神論燃やす方が、或る意味楽なのだ。
といっても、なかなか理解はされないけれど。


いやー、つくづくカードってよく出来てるなーと思う。
この道具を最初に作った、歴史上では無名の賢者に大いなる感謝。


例えばタロットを扱うのに年齢制限はないけど、
解釈する上では大人としての考え方や経験は必要だろうな。
一枚のカードに色んな象徴や意味合いがあるから、
それをどう読み取るかはやっぱりその人の普段の生活や考え方が大事なのは確か。

人はパンのみで生きてないしね、というとこを実生活では嫌という程実感するわけで。

心や精神と言われる中での事も、一つの経験Experienceとして。

この世の中を信じて生きていかないと、ってところはカードから言われるような気がするかな、
色んな事を占ってみるけど、結果はそんなところ。

そして今日は日曜日。

この世間は二十四時間営業だし、お仕事する人もおられる現実だけど。
とりあえず日曜日の春風駘蕩な空気は人になにより必要だな。

音と水への作法
基本、ホールコンサートよりもライヴハウスや比較的小さいハコでやってるライヴが好きなのだけど、
最近はそういうところに足運ぶ人は減って来たらしい。

私は方向音痴なので、四条河原町や心斎橋みたいな大きなところでも、
すぐに東西南北や道が解らなくなる。
なので、初めていくところには小さいコンパスを持って行くぐらい。
これが結構役にたつ。

誰かに連れてもらったり、連れ立って行けばいいのだけど、
身の回りにあまり趣味の合う人はいない。
マイペースなのと人に歩調など合わせるのに気疲れしてしまう。
誘ってもありがちな理由で一度でも断られると、どうしても次に誘い難くなる。

なので、どこに行くにもおひとりさまになるのだけど、
馴れてしまうとこの方が楽だ。

で、ひっそり夜のライヴハウスで一期一会の音楽愉しみ、
店のマスターや心優しい常連さんとひっそり呑んで聴いている。
なるほど、12ハウス太陽らしいな。

自分一人で好きな様に、とはいってもいろいろだなーと。

ただ最近気になるのは、コンサートや真夜中のライヴハウスに乳幼児を連れて来る人もいる。
これ、驚きなのだが本当にそうなっている。


以前など、まだ暑い初秋の野外ライヴにまだ頸の座ってない赤ん坊を抱えて来ている若い父親がいて、
もう危なっかしいというのが正直なところ。

日中の気温とかかなりシャレにならない暑さだったんだけど、
最近、そんな若い親子連れは多い昨今。

先日、久し振りにホールコンサートに出かけると、周囲は幼児だらけだったり。
さっそく、しばらくしてぐずりだしたり立ったりと落ち着かなくなる。
出演者が幼児番組で音楽を担当したことで有名になったというのもあって、
確かにプログラムは親子向けだったのだけど。

次第に時間と共にあまりにぐずっている様子だと、
ホールのスタッフにそれとなく注意されて外に出されるというシーンにも出くわしたり。
昔なら有り得なかった状況が今は展開されているんだな。


この20年ぐらいの間に娯楽が多様化して、家でゲームとかビデオやDVD借りて観てるとか。
そういう遊びの方が気楽でお金掛からなくていい、のかもしれない。
ゲームなんてのは何度でもリセットしてやり直せるのかな。
自分ではゲームというのに手を出さないでいるのでよく解らないんだけど。

実際その頃からライヴハウスという場所に出入りする人は減って行ったような話も。
色んな音楽、色んな舞台が世の中にはあるんだけど、
そこに自ら足を運んで観ようという人が以前よりも少ないかもしれない。

自分の好きな音はなんだろう、と探して色んな店に出入りするという愉しみ。
そういうのに魅力を感じないのか、それともまだ知らないだけなのか。
一人でも好きに出かけてみる人は以外と少ないらしい。

自分が好きな未だ知らない音を探す、そんなことをずっとしているのだけど。

そんなお店で以前プロデューサーから聴いたこと。
ミュージシャンは演奏するときは常に一発勝負の世界に入っている、という話。
それだけに店ではそんな緊張感を大事にしてマナーを守って欲しい、という。

そんなシーンに立ち会うのが好きなのかもしれない、と思ったな。
シビアながら美しい佇まいのある大人の世界は、音と自分だけになれる場であって。
そういうのも端から見れば近寄り難さがあるのかなー。

そういう店にあちこち出入りし出して二十年経ったけど、
どこでもそれは変わらない。
そんな中でただの客とはいえ、それなりにそういう場でも身の処し方が解る様にはなってくる。
そんな音の程よい緊張感とたゆたいのシーンに身を置くには、
こちらとてそれなりの作法を心得えるようにはなる。

この辺はちょっと前に書いた6、7H、乙女、天秤って辺りの訓練的要素が絡むかね。
自分が本当に好きで必要な何かと対峙するには、という。
スキルを手に入れるにはトレーニングとか鍛錬といった大人目線のの切磋琢磨が必要だ。

ライヴハウスでも真夜中に幼児が連れて来られればグズって泣き出すのは当たり前で、
そこで出だしのきっかけを取れずに出演者が弱り切っているシーンも目撃して来た。

人は経験を積まなければそういうった空気を読む、
そこでのマナーや行儀といったものを身につける機会を得られないのだな、と。

私は基本、子供好きじゃない、と思っていたけど、
本当はいまどきの子供じゃなくて、その親が苦手だったりするのだと。

本来、月の年齢域である7歳以下の乳幼児に行儀よくといっても無理な話だ。
親子で同じ時間を共有したいから、というのも解らないでもないけれど。
それでも周囲からすればどうだろう。

最近妙に増えたな、と思うのは大人と子供の世界の境界の曖昧さのようなもの。
とっくに三十代なのに「私おこちゃまだからー。」と言われても。

別に酒呑めなくても珈琲ブラック飲めなくてもお子様ってことないから。(´・ω・`)

もしくは雑誌の見出しにも異様に増えた「大人女子」ってなんだそれ。
さすがにそこまでリアルで言う人は見た事無いけど、
私が出逢ってないだけかなー。

話逸れたな。

ともあれ自分でふらりと出かけて、ふらりと入ってその音に出逢う、遭遇する。
その出逢いが好みであれ、そうでないとしても、そんな時間をミュージシャンや店のスタッフ、
他の客との密やかな距離感と空気を愉しむ夜、という過ごし方をする人は減ったなあと。

それでも自分より一回り下の世代、更にもうちょっと下がって二十代前半でライヴハウスや、
カフェなどのスペースを借りて自分達で好きなミュージシャンを呼んでライヴを主催してたり。
そんな小さい音楽のスポットとも言える店にふらっと入って来るのを見かける時、
いやー、まだ大丈夫。
自分が知らない音や空気に風の様にさらりと触れてみたい人はいるから、と。

そして、そんな中で自分の肉親以外の大人の空気に触れていつのまにか切磋琢磨される愉しみ、
というのを経た時に大人になるって本当に愉しい、と思えるのかね。

人が成長してそんな夜を愉しむまでは、しばしかかるけど。

むしろ小さい子供のうちは夜は沢山寝て、沢山自然の中で遊んだ方がいい。

傍に親がついてなくても、近所の子供や親以外の大人達に見守られたり、
自然と一緒に遊んでいたことを思い出したりもするが、なかなか愉しかった。
自らをふと振り返ってみたら田んぼや畑で花を摘んだり、虫や蛙を追いかけたり。
夏の海水浴とかプールの思い出が真っ先に浮かぶ。

田んぼで花を摘んでいれば、近所の小母さんが草笛の作り方などを教えてくれた。
たまに今でも蓮華やクローバーの冠などを編んでいる子供を見かけると、
まだ子供達は大丈夫かな、などと思ったりもする。

子供と大人では吸い込む空気や水が違っててそれでいいのだ。

続きを読む

イヌイットの賛美歌
バンクーバーオリンピックの開会式など観ております。

ロスアンジェルスオリンピック以降、すっかり派手な式典でショーアップされるのが常識になったけど、
これはこれで愉しい。
先住民族イヌイットの衣装が実に美しいし。

周囲で踊る雪のイメージなのか、真っ白なニット帽とセーターの衣装もシンプルで可愛いなあ。

参加する事に意義がある、なんてのはただのお題目や現実にありえない理想だけみたいに思われてるかもれない。
それでも、普段マスコミのニュースでは聞かれない小国の名前が呼ばれて、
片手で数えられる程の少ない選手達が嬉しそうに行進しているのが愉しい。

大国がごっそりメダル取りに行くし、この国だっていくつメダル取れるかが話の中心だし。

去年のあの事業仕分けですか、
あれだってメダル取れる見込みないマイナー競技なんかに金出す必要あるのか、
などと発言した仕分け人、おりました。

あれ観てて思い出したのは、去年だったかノーベル賞受賞者の科学者のお三方をスタジオに呼んで、
子供達が色々質問する、という番組。

その内の一人の10歳ぐらいとおぼしき少年が、
「どういうことをすればノーベル賞を取れるんですか?」と。
こう書けば、或る意味、子供らしい正直な質問かもしれない。

だけどその真意は、
自分はとにかく賞を取る為に最短距離を行きたい、ということなんでしょう。
それはその子の表情を観た時に感じたひっかかる何か、
そして受賞した科学者達の呆れ顔とで、あららーというところ。

受賞は飽くまで結果であって、自らがやりたい研究を一所懸命やっただけ、
という風な答え方だったと思う。
賞うんぬんではなく、まず自分が何をしたいのかを見つけなさい、と。

賞賛が欲しい、というのはストレートな欲求だからそれはそれでいいんだけど、
なにが引っ掛かると感じたのかと言えば、その子の眼の表情が気になったのかもしれない。
どこか好奇心とか面白そうだ、と思って世の中に向き合うあの感じ。

そうだな、無邪気、という様子がまったく感じられなかった。

とにかく利益にならないことよりも、自分がおいしい思い、いいところを取りたい、という感じ。

あの仕分け人達の表情とか言い草に非常によく似ていた気がします。
それは眼に見えることだけ、現実の解りやすい結果をもたらさないものには一銭も出さなくていい、
という眼のつり上がったあの刺々しい顔つきと声のヴァイヴレーション。

あの顔つきはなんなんだろう、と思ったなあ。
なんであんなに眼を吊り上げて人間の体温もなにも感じられない表情で映れるのだろう、と。


ノーベル賞を取る為の研究は何をすればいいのか、と尋ねる子供、
マイナーな競技や先が解らない研究などに助成金などいらぬ、とする大人。
どっちも同じ吊り上がった目つきなのがそっくりで。

単純に怖かった。 鬼気迫る、というのはあんなの。

結果から書くと、海王星の作用を無視するとあんな感じになるのかな、とか。

スポーツ選手がやるイメージトレーニングとかアファメーションというのは、
ヴィジュアライズする能力で、この辺りは自己催眠と考えてもいいと思います。
よく言われる変性意識状態ってやつですね。
これで自分の中にまた一つのリアルを作り上げることも可能かもしれない。

その結果が記録やメダルに繋がる事も、ある。
より向上して最高の結果を出している自分のイメージを作りあげて、
それに現実の自分を近づけて行く。

それを昔から「理想」という。

理想を持つ事で、今の現状の自分自身から変わって行く事は可能で、
「やればできる」の心はこの海王星エネルギーを前向きに使っていく話でもある。
それは「私を超える私」になる為の準備だったりする。

この理想の自分像を持つというやり方、
グリーンベレーなど軍事訓練でも使われているという。
一流プロスポーツ選手、生え抜きの職業軍人というのは身体能力のみならず、
実はこのセンスに長けているかどうかが鍵。
それほど実は重要なのだなー。

海王星は鮮やかな夢と音が彩るステージに人を引き上げる。
芸術家の為の星のようだけど、実は現実には苛烈な状況の人にこそ微笑んでいるのかもしれない。
あの生前のMJの取り巻く現実が実際にそうだったように。

ってこう書くと、まさに自己催眠ですが。
マイミクさんとちょっと前にそんなお話を。

昔はシャーマンなどが呪術やヒーリングでこういった催眠を行って来たのだし、
それを今はそれぞれが自分で自分の為にやる方法がある、というわけで。

このヴィジュアライズを利用して理想を作る事で、
自分の表面的な感情の揺れに左右されない強さを持つ事もできる。
それが現実化したときに、勝利、栄光、などといった結果も得られるのかもしれない。

精神修養に使う、というやり方ならば、現実世界でも受け入れられやすいのかな。

海王星はイメージ、色鮮やかにしたり、ファンタジックに魅了するというところで、
新しいステージを見せる。
それを掴めるかどうかはもちろん普段のその人のひたむきさとその対象をどれほど愛したか、
に掛かっているだろうけど。

好きでもなんでもないのにただ栄光と賞賛が欲しいというだけでは、
ただ自らを欺いただけ、という結果しかもたらさない。

それは、自分が本当にその対象を好きなのかどうか、愛して大事にして来たか、
ひたむきにその対象と向き合って来たか、がその本番に問いただされるのだろう、と。

賞やメダルではなく本来は邪気の無い心と生き方にこそ、
人は賞賛を向けるのではないかなーと思ったり。
まー、それこそただの理想でしょ、でいまどきは一笑に付されそうですけど。(´・ω・`)

だけどヴィジュアライズには、そんな心がまず必要な気がする。
濁りの無い透明なところ。

あのイヌイットの衣装は実に素晴らしい。
先住民の感じた自然の色そのままだからだろうねえ。

ツンドラブルーアイスなんて久し振りに読み返したり。

ドリーミングボディ、ドリームタイムというのはこれもまた先住民族アボリジニの概念らしいけれど、
そんな話もまたいつか。

明日はヴァレンタインズ・デイで、しかも水瓶新月ですね。
その月がキロンと海王星に挟まれていると。
2009.2.14 am11:52 aquarius 25°18'
ややこしや
占いというものは、生きる上では本来必要ないものです。

ただ、これをちょっとでもかじっていれば、
なんとなくこの社会や世間というものの仕組みを解った気分には浸れます。
本当は全然解ってるわけじゃないんだけど。

宿占で言われる象徴やキーワードの組み合わせと現実の現れ方はそれこそ意表を突かれるもので、
わー、そうきたかー、って結果や、トランジット直後は起こらずにその後の結果にじわじわ来たり。
そんなこんなでちょっとだけその手の経験を積めば、何か安心出来ると。

不意に湧き起こる不安要素を押さえ込むにはちょうどいい口実だったりするのかもしれない。

人によってはこれを諦観とか諦念なんていう。
だったら別に占いでなくてもいい、他にも色んな方法と思うので。

なのに、じゃあなんで自分は占いなんて子供のうちはちょっと面白がってたけど、
大人や他人の前ではバカにしたり否定していたことをいまさらながらやってみているのかというと。

自分というのがちっぽけで取るに足らないとか、ろくでもない要素がいっぱい、
というのがよくよく解るからです。

まあこういうことやってると人に知られると、現実にそんな馬鹿げた事辞めろ、
などとご忠告賜ったりもしますよ。(苦笑)
ああ統合失調症なんですね、解ります、みたいなとこですかね。┐(´ー`)┌

占いの象徴をこねくりまわしたところで、何がどうなるわけでもないんだけど、
こんな風にしている自分のささやかなところが結構嫌いではない。
不思議な事に。

同じ条件を持って生まれて来ても、その置いた環境と本人がそれをどう感じて処理するかは解らない。
どう発展しようとしまいと、どっちを選んでどんな最期を迎えてもきっとしあわせだろうと思う。
そんな思いを見つけるのが愉しいと思っているのかもしれない。

まちがいの狂言(まちがいの喜劇)

まちがい、という思いや状況はハプニングなのか、災厄なのか、
どっちの目で観るかでその後の展開も変わるかも。
私はどっちを選んでも最後はきっと上手くいく、
世間的にはいってない状態になったとしても、
精一杯やって時間と共に思い出の一つになれればと思う。

先日は日本の神様カードをカットしていたら、神直毘神/大直毘神が久し振りに飛び出したのが面白かったり。
滅多に出てきませんけどね、この神様。

本当に自分自身という物を生きていられる人は、チャートを無視した人生を生きる、と言われてて。
だけど、まだそんな方に巡り会っていない。
もう凄いよなあ、宇宙のエネルギーの影響とか、「別にー。」って感じなんでしょうか。
すげー。(`・ω・´)


最近では、なぜ私が占いやってるのかなあ、というところで気付いたところ。

なぜか自然の移り変わりに敏感になるから。
動植物や、空や水の色、風や鳥の声がよく響くような気がするので。
それが凄く愉しいから、というところです。
feel (This heal it.)
毎朝観るのは幼児番組。
あのワイドショーとかニュースショーだとかは極力観ないことにしている。
正直、かなり酷いので。

音楽好きの知人友人ともライヴで話していると、
やっぱり観ているのは教育TVの幼児番組だったり。
朝一だと「シャキーン!」とか「にほんごであそぼ」とか。
他にもいっぱい好きな幼児番組あるけれど。

子供向け番組の作りや制作スタッフというのは凄い手練ばかりで油断ならない。
観れば観る程に凄いなあと思う。
滑稽さとお笑いと哀愁が視聴者の設定が幼児のはずなのに、
どこかないまぜになっているという辺りとか。

音楽の使い方が上手かったりします。
これは民放のポンキッキとかもそう。
ジングルとかもセンスがよかったと思う。

一方、民放で嫌という程大きな効果音つけて大声で司会者やコメンテーターが話す事は観ていて酷く疲れる。
なんだか嫌な空気が流れてくるみたいで。
はっきり言って凄くウルサく騒がしいだけだったりする。
不思議なもので、去年辺りからこんな空気にそこそこ敏感になったような。

ふつうの大人向けになった途端に騒がしくてどうにも。

一つだけ面白かった事がある。
MJが無くなった後、そのネタでやたらにどこのワイドショーも引っ張ってて嫌になったのだけど、
SONYの盛田会長が体調不良になった時にMJがカセットテープに自ら元気出して欲しいと、
メッセージを吹き込んだ物を渡したのだと言うエピソード。

その音声が流れて来たとき、ヒーリングエネルギーを感じた。
あの普段話す時のウィスパーヴォイスで「モリタサン、モリタサン...」と話しかけているMJの声、
これだけで気持が大変落ち着き、穏やかになってしまう。
さすが魚の月を持つ天性のヒーラーであり、音楽家、ダンサーだったMJだけのことはある。

実際のライヴを観た日にはそのまま昇天してもいいと感じるだろうなあ。
本当に目の前で彼のパフォーマンスを観れば、強烈な浮遊感を感じられたんじゃないかと思う。
二度と観る事はできないし、「THIS IS IT」も結局未だ観ていない。
いつ私はこの人の最後の映像や音声を聴くのだろうなあ。



本屋にいっても、本を開いた時にその空気で自分に合うか合わないかが、
なんとなく感じる様に。
善いと思うと、その本や番組からエネルギーを受け入れてるのかもしれない。
ふわーっと暖かさや明るい感じを。

面白いもので、画面からなにげに言葉や音声画像以外の情報を多少は掴めているのかも。
テレビの画面って結構そういうのがダイレクトに来るので、
実はなかなか怖いものだなあと思う。

去年、骨董品の鑑定に関するエントリーを書いたけど、あの鑑定番組は実に面白いのです。
結構な長寿番組になったけど、それには色んな理由があると思うけど。
私はあの番組が発する様々な情報に相当な価値があると思う。

中島誠之助さんは番組では一番長く出演されているわけだけど、
彼の贋作に対する怒りの感情をあらわにしたときの発言などは実に解りやすい。
人を騙すという目的で作られたモノは嫌な空気を出していると。
遠目から観ても嫌なモノだと。

ニセモノ師たち (講談社文庫)はそんな裏話が多いのだけど、
贋作を作る経緯を思えばそこには基本悪意がこもってしまう。

生身の人間の念というものが、一番強烈なんだよなあ。

その一方、本当に作家が真面目に描いたり制作したものは離れたとこから観てもいい空気を出しているという。
これ本当。
実際にTV画面からでもいい空気を感じるんです。
不思議な事になんとなく眺めているだけなのに、段々とそういうのが感じられる様に。

後、大事な事は鑑定士の皆さんよく語っていることですが、
美術館などに自ら足を運んでちゃんと善いものを観る、鑑賞を大事にするということ。
だいたい、図鑑や本で見たものとよく似ているから、という理由で買った骨董品はことごとくニセモノばかり。
高く売れるに違いない、という気で骨董を買ったところで、そこには愛着は宿らない。
善いものには人の愛情や大事にされて来たという空気が宿っているので。

物を愛でる、という現実の生活を愛する時間を経て来たのが本当の骨董品、美術品であって、
転売すれば高値がつくはず、という株券代わりの買い方では本当に善い物が入手できるはずがない。

愛情が積み重なったいい空気を感じられる様になるには、鑑賞を愉しむという経過を経て行かないと。
好きになる、というのにはちゃんと理由がある。
その理由が解った時に、その人に本当に相応しい物が訪れるような気がする。

番組の鑑定品に、凄くいい空気の美人画の掛け軸が出たのを観ていて、
本物かどうかはともかく綺麗でいい感じの絵だと思っていたら、
実際には菱川師宣作ではないのにそんな名を勝手に入れた為に価値が落ちてしまったというのがあったり。

師宣の写しだったのかな、書いた人の確かな技術もあるけれど、
なにより正直で真面目で爽やかな空気の美人画だった。
作家が解らない場合でも、善い絵はちゃんといい空気がTV画面やPCのモニターからも流れてくるのが不思議。

ほんと解りやすいですよお、伊藤若冲とかレンブラント、ルーベンスなんて。
美術品でなくても、食べ物とかでも地元の職人さんが一生懸命作っている様子とかはいい空気が流れて来る。

で、本とかネットのサイトとかでも、善い空気だとふわーっと包まれてリラックスして暖かい眠気が来る。
そんな温気がすごくレイキに似てるなーと思うけど、
どちらも同じエネルギーフィールドから流れて来ているからかもしれないな。

春の日だまりみたいな感じがする。

ネイタルの月、海王星、キロン、金星、4、8、12Hの状況で、
どんなタイプの物からヒーリングエネルギーを感じ取れるか解るかもしれない。

で、こういう感覚を普段の買い物とかに応用していると。
行儀よくしろ
DSC関係メモ

ASCの目の前というか向こう側にあるのがDSC、
ASCが「私、自分」なら、DSCは「貴方、相手」ということで。

このDSCを挟むサインが乙女、天秤。
この二つは自我をすぐにあからさまにしない空気がある。
自己主張の対極にある相手という立場がDSC。

この相手に対しては見てくれや様子がどうとかいう突っ込みをいれらないようにしたい。
乙女が " I analyze " 天秤が "I balance" ということで。

自己主張をこの世間でしたいのなら、まず智恵と能力つけて見た目も整えてくださいと。
この世の中は見た目でほぼ価値をきめがちなので、その方が賢い。


この世間では眼の覚めるような美男美女でなくても、
佇まいや身につけているものでそれなりに見せることは充分可能です。
知性や能力、洗練されたマナー、礼儀作法やお洒落やモードで飾ることで株を上げる。
世の中で「出来る人」と見て貰えることで、その人が輝くこともある。

大人になる、ということを求められるシーンがある。
この社会とか一対一のパートナーシップというのを求められた場合に、
この世間の荒波を乗り越えるには、荒っぽい自己主張でジコチューと言われる以前に、
上手く取りまとめて要望を伝える必要がある。

乙女ルーラーの水星は同じルーラーを持っている双子から一つ発展した実務として使う知性であって、
客観性が加わって来る。
同じく天秤も牡牛と同じ金星をルーラーに持っているけれど、
そこは乙女の知性と同じく自分だけで愉しむ金星でなく、
誰かと愛情や好み、快適さを分かち合う様に使うには、という命題が訪れる。

誰かに査定されるのは大変だ。
オーディションというのも、この乙女と天秤的な空気が漂っている。
水星エクサルテーションがルーラーでもある乙女、土星エクサルテーションが天秤というのも、
どことなく試験的だ。

この二つのサインが強くなると、どこか人を観る時に減点法で観るような空気を感じる。
人様に何かを期待し過ぎるのではなく、冷静にあるがままを観るというのなら、
それがなにより。
自己主張が強くなり過ぎると、自分にだけ都合のいい事を期待しかねないところもある。
「ワガママ」というやつだね。

乙女と天秤の間にあるものが「世間体」というやつかもしれない。
この社会から自分はどう見られているのか、どう価値づけられているのか、
というのを思い知らされるシーンに誰でも一度は遭遇する。
そこで「ちょいと頭冷やそうか。」的な状況に打ちのめされたとしても、
またそれも財産だよねえ。

荒々しさを削ぎ落とした都会的な空気を持てる様に脱皮できるか。

鏡に映る自分の顔は、ついつい自分の好きな、一番「いい」と思っている角度でだけ観てしまう。
自分の声だって、自分の耳で聴いている時の声と他人から聴こえている声は別だ。
写真に撮ったり声を録音した時に、自分の顔や声ってこんなんだっけ、と結構なショックだったりする。

自分のことだけしか意識してなければ、上手く要望が通らないというだけで癇癪起こして「キレる。」
そういう結果を起こさない様にするストッパーが水星土星であったり、乙女天秤サインや、
DSCが教えてくれる内容や役目だったりする。

法律、規則、社会性やルール、テクニック、技法、マニュアルと呼ばれる類いの。
この社会を粛々と動かすツールだ。
これが無かったら破壊行為に繋がる事もあるからね。

見た目がさほどでなくても、行儀よくしている、その中で自分を出せるという人はカッコいい。
抑制が利く、大人の風情、枯れた味わい、というのは天秤土星らしい。
冷静な視点、分析能力と自己管理、衛生観念、勤労精神という乙女水星の力は客観性の後押しだ。

目の奥に冷静な光を宿すのは、この二つのサインとDSCのお役目であって、
ここに成熟した優しさというのも宿る。

相手が、社会が、何か困っているようだ、では私にはその人に何が出来るだろう。
どう指導すればその人は上手くやれるだろうか。
そんな意識や行動を促すために使う。

人に何かを伝えるには、ちょっとだけ距離とテクニックを。
自分の全身像が映る姿見を見る時だって、少しだけ離れて立つように。

今は天秤な土星が、また春には乙女にちょっとだけ戻るので。

相手の視点に立ったとき、ちょっとだけ自分自身に距離を置いた時に、
眺めがよくなる。
全体の「景色」が見えるようになるので。

自己主張をするために肩肘はって鼻息荒くしなくても、
自己の存在証明をする方法はいくらでもある、という話。

Urban、Unityというスマートで賢明、coolながらもさりげないやさしさの空気を。

自分の目の前にある現実であり、「私」が最初は反発する要素。
時間の経過と共に思い知らされるのは、実は自分に足りないもの、
本当は必要だと思える何かがDSC、6H、7H、乙女、天秤な事柄やシーン。

出逢い、相手を知る、というのは正直面倒ながらも、「自分」を発見する話であったりする。

8Hの通過儀礼の準備段階なので、嫌でも勝手にそれを飛び越えるわけにもいかないんだな、
これが。

6Hの訓練期間を経て、7Hの晴れて社交デヴューという大人一年生的なのもまた初々しい。

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Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

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