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天から
今月半ばから木星魚イングレスということで、やっぱり惑星がサイン移行したときって実感湧きます。
その前から予兆はあるんだけど、はっきり変わった辺りで。
もう1°に入れば本当にそうなんだなあと。
土星の天秤イングレスもそんな実感得た人も多かったかもしれない。

気持が自然とプラス思考になる。
自分が今はあらかじめ天文暦観てるからじゃないか、とか疑いもあったけど、
実際12年前の魚イングレス時も思い興せばちゃんとそうなっていた。

実際、薔薇栽培を本格的に始めたのが木星魚の時だった。
先日思い出したんだけど。

動植物との交流が更に活発になったのだった。
木星が太陽サインにイングレス時に、自分が本当にしたい事が解るのかもしれない。
本質が木星の光で照らし出されるから。
結果はともかくやってみろ、という感じでもある。

ルミナリーズ、ソーシャルプラネットが木星とハードアスペクトなら加減しながら、
ちゃんと周囲の意見を聞いてとりいれながら何か計画を進める、
何かに着手するといいと思う。

特にネイタルの太陽月がハードアスペクト取る人は特に注意と加減が大事。
自分では気付き難いので、周囲からの冷静な視点と意見を改めて受け入れるといいと思う。

本来がソーシャルプラネットなので客観性を伴わない木星は暴走するし、
その計画に実態もなく終わったりする。
太陽ならエゴが、月なら感情が暴走して、
”ただの悪ノリ”というあまりカッコ良くない結果で終わる。

場合によっては思わぬアクシデントを招き寄せる。
木星の太陽合は特にパワー増幅されるので要注意。

まあプラネットの働きとその結果って、
それまでの考え方ややり方、行動が常に考慮されてるんだけど。
なので、その人のアスペクトの使い方、プログレス時とトランジット時の意識の持ち様とか、
その辺も思い出して検証してみるといい。
ネイタルのどのハウスで起こるか、という舞台設定もソーシャルプラネットには重要だ。
自分のアスペクトに合った木星との付き合い方が解ると思う。

ASCに合ならば、何かを自然と始めている人も多い。
なにより自分自身の発展と成長を願ってそれを初めているようだ。
心身の健康と喜び多い人生を創造する為に始めるといった感じ。

自分でも、そして人から観ても善いようになりたい、という。
そこにはただ自分の為だけではない、という空気がある。
善い意味で我に返る、心持ちを正しくすると。


天のサンタクロースと呼ばれている、と何かで読んだのは小学校高学年だか中学入学時頃だったと思うが、
その頃の木星のトランジットを天文暦で遡って観るとなかなか興味深いものだった。
そうだ、12歳前後という、人生最初のジュピターリターンの時だった。

なんというか、攻めの姿勢で、というよりは自然と色んな恩恵が降り注ぐ感じ。
その人のチャートやエレメントの分布、木星のサインやエレメントにも依るだろうけど。

その人の本質の最もおおらかで、まっとうな精神の在処に光が当る。
どこか男性的なパワーを伴う優雅さの空気が流れる。

木星の作用は、まさにカッコ良くなりたいという感じ。
身も心も。
グンと背筋が伸びるようだ。

心身がフィジカルなものを求めて伸びやかにグングンと動き出せる感じだ。
さすが拡大作用を持つだけのことはある。
そして、自然と我に返る感じがする。

その人の本来の姿のうちの、明るく情熱的な何かを照らし出す。
愉しい、嬉しい、と呼ぶ、あの感覚だ。

何かを始めるのなら、少なくとも12年後を見据えて取り組める何かに着手するといい。
本当の結果を知るのは、再び木星が訪れたその時。

木星にはキスマークがついてる、なんてクシー君のピカビアな夜だったか、
そんなコミックのエピソードを思い出した。

続きを読む

Moon Lighting


先月剪定した薔薇の枝を水に挿しておいたら芽が出てたり。
やーすごい。 根が出れば挿し木出来るのに。

外に出ると必ず畑や田んぼの傍を通ります。
今は田んぼもお休みだけどそこに朝霜が降りてたり、鳥が食べ物探したりと。
こういう何でも無い場所を歩くのが意味も無く愉しい。

そういうのが実は肝心な気がします。
何にもないんだけど、そこの空気が素朴にいい。
その田んぼはいまどき珍しくなった蓮華の田んぼ。
最近蜜蜂が驚くほど減っているらしいけれど、
蓮華が満開の頃にはせっせと蜜を集めているけなげで可愛い様子が観察できる。

道端を人の傍を平気な様子でせっせと歩き回るセキレイ。
実や葉っぱを落として、春の芽を育てている樹々だとか。

こんななんでもない時にどれほど色んなものを受け取っているんだろうと思います。

月に太陽がタイトにアスペクトを取るとき、自分と自然とが同調する、
と教えてくれたマイミクさんとのやり取りさせていただきましたが、
今日はまたt太陽がn月とオポジションなのに気付いたり。

嗚呼なるほどねえ。
月は自分の中の自然と同調するリズムやタイミング。
その人の自然そのものかもしれない。

n月の位置を知ると、自然の美しさが身に沁みる時期や感受性が柔らかくなる時が解ります。
合や衝がダイレクトに感じると。

月は自分が地球に投げかけている光を知っているのかもしれない。
懲りない愛(なんちゃって)
薔薇を栽培してみようと思ったのは、もう十年以上前だった。
一時、ちょっと気落ちして放置してしまったけど。
また去年から本気でやり始めたら、鉢数増えて大変。

当時どうして薔薇なのかと思ったけど、いい匂いがする花を育ててみたくなったのだろう。

自分の中では薔薇の包みのデパートとか、薔薇は愉しさと豊かさ優雅さの象徴。
甘く美しいイメージの結晶だったりする。

沢山の品種と花形と花色、香りがあるのもあれば、無いのもあると知った。
香料を取れるもの、香りは無いけど、ローズヒップとして実が取れるものも。
面白い。 品種名も人名が多かったり、バラエティに富んでいる。

関東の有名な薔薇専門のナーセリーからカタログを取り寄せて毎晩眺めて、通販で苗を買った。
鉢植えで育てて初めて解った。
世間ではどれだけ薔薇というのは手間が掛かると言われている事を。

だけど、結構あちこちの庭では色んな状態でも薔薇がまだよく植わっている。
この棘だらけで病気も虫も他の植物以上に酷くたかられる植物に。
ちょっと眼を離せばあっという間に虫だらけ、黒星病、うどん粉病だらけでボロボロだ。

バラ科植物は花が可愛らしくいい香りや甘い実をつけるのが多い。
さくらんぼ、林檎、イチゴ、梅、枇杷、アーモンドも薔薇の仲間。
綺麗な花やビタミン豊富な美味しい実には虫や病気がすぐにつく。
自然のなかの小さな生き物達、いいものをよーく知ってるんだな。


実はその当時、私は農薬を一度も使おうと思わなかった。
たまたま買ったガイド本の一つが無農薬で薔薇を育てる、というものだった。

当時は、それまで主流だった剣弁高芯のモダンローズ、ハイブリッドティーから、
ひらひらの薄い花弁にカップ咲きやクオーターロゼット咲きと呼ばれる、
古い花形で百年以上前の品種であるオールドローズや、
その形を踏襲したデヴィッド・オースティン氏作出したシリーズ、
イングリッシュローズが大流行していた。

90年代はそんな頃。
その辺りから薔薇を無農薬で、という流れがあったのだった。
私も庭に雀やヒヨドリが来る方がいいから、
と思ってクララなど漢方薬を煮詰めた安全なものという触れ込みの自然農薬なんてのを通販で買ったり。

(後にこれが実はピレスロイドが含まれているとして自主回収されたと知った。)

今でもホームセンターでよく見かける木酢液などと希釈したものを混ぜて散布したり。
木酢液は植物が丈夫にはなるけど、あまり殺虫効果などはないな。
アブラムシ、チュウレンジバチの一齢幼虫ぐらいなら。
カビが元になる病気にはある程度聴くんだけど。

だけど何故効くかと言うと、発ガン物質含むから。(資料
虫やカビがやられるというのは、やっぱり毒だから。
植物本体がやられない、けれど殺虫殺菌効果がある程度に希釈して使っているわけです。

自然のが備えるものは充分猛毒だ。
人間が作る化学農薬だけが毒だとは決して思わないな。
だけど、世間では農薬イコール悪の権化の様に言われる。

ここは自分が作ったブログだし、誤解を怖れずに勇気を持って書いてみよう。
製薬会社が沢山の薬を作り出した中には扱いが難しい劇薬は幾らでもある。
だけど、それは研究生産するメーカーにすれば人の健康と豊かさとしあわせを追求した結果だと受け入れたい。

農薬は基本身体に悪い。 確かにそうだ。
だけど、何もかもそれに悪役を押し付ける様に無農薬を叫びたくはないんだな、私は。

本当の農家の作業は困難と苦難の連続だ。
自然相手でどんな病気や虫害、自然災害があるかと思うと、
米作り、野菜作り一つ取っても気が遠くなりそうだ。
実際、薔薇一本ですら、どれだけの虫や病気が寄って来るか。
小さな生き物は皆して必死だ。

とりあえず、私は今でも無農薬で薔薇を育てている。
今は未だ冬眠期だから楽なものだが、春夏は地面に這いつくばるようなもので。
今や芋虫も小さいのなら触っても平気。
テデトール、でかいのはハシデトール、そしてフミツブース。
もう小さい生き物には私という存在は悪魔だろ。

今では農薬としても少しでも安全なもの、というのをメーカーも一生懸命作ってる。
還元澱粉糖化物って水飴なんかだな。
効き目はそんなに強力ではないようだけど。

薬品メーカーだって、農家の皆さんや園芸家が少しでも身体が楽になるように、
いい栽培ができるようにとしあわせ願って開発して来たと思う。
元々ニーズも無いものを会社組織は生産しないし、
農作業は本気でやれば身体壊しかねない重労働だ。
そんな農家の人達を少しでも楽に、効率よく作物が出来る様に。
そこにはたとえ農薬だって人のまごころや愛があるんじゃないかと思いたい。

士農工商なんていうほど、お百姓さんは厳しい環境と仕事をする尊い存在されてきた。
食べるもの作るならば、安全なものを。
そんなの当たり前だ。
だけど、どこまでやればという終わりが無い。
一方で虫食いの無い綺麗なピカピカの野菜を未だに欲しがる人が多いらしい。

本気で無農薬有機野菜や玄米食べたかったら、もう自分で着手するしかないんだよなあ。
そうそう出来ないけれど。

それならそれで農薬でも基準値守りつつ、少しでも安全性を模索しつつ。
そうして拒否しない方が私は愛があると思う。(キッパリ)

虫食いも黒星も出たり、下手するとコガネムシが花喰ってたりしますが、
そんな薔薇でも、世話しているとそれなりに丈夫に育つようだ。
すぐ病気にもなるけど、以外にも頑張って芽を出したり蕾を上げて来る。
薔薇は豪華か弱そうな花咲かせるくせに、結構丈夫で強い。
たとえ人の手で作られた園芸種とて自然の中で生きる為、精一杯抵抗するだけの力はちゃんとあるのだ。

そんな潜在能力は生き物の標準装備ってことで。

この世は病気と美味いところを早速食い荒らす虫もいっぱい。

プルトニウムですらごく微量ながらこの自然界に存在している。

農薬は悪、とは決して思わないけれど。
なかなかこんな愛の持ち方も理解はされにくいけどね。

そんなの愛じゃないとかなんとかかんとかヒステリックに言われても気にしない。
だけど否定しないとこから始まるものがあると思ってるのでね。

なにごとも限度と匙加減。

ホームセンターと100均の中心で愛を叫んだけもの。
メッセージ・ソング
世の中は結果とか法則性というのが重視されるんだと思う。

これってもろ土星だなあ。
法則性を証明して、理論が出来て、常識とか権威になって。
 
こうすれば必ずこうなる、1+1=2で正しい、計算通りで常識だ。
そう言って貰えたら世間は安心する。
眼に見える結果がそこにハッキリ現れてたらホッとする。
自分に取ってプラスであれマイナスであれ納得はする。

占いって「当る」と思っている人はこういう結果が欲しいのかもしれない。
最初はどっかビビりながら迷信だインチキだと言ってたはずが、
急に手のひら返した様にそうなるのは、
あれこれ分析してみた挙げ句、法則性と結果重視な人。
今までの来し方を惑星の運行と照らし合わせた時に、
急激に反省してそうなる。

反省ってのもこれまた土星な要素じゃないの。

振り返ることは悪くない。

私は時間は振り返る為にある、と思って来た。
時間が経った後の結果に出来あがる無形の財産ともいえるものが「思い出」。

今まで色んなライヴを聴いてたり、色んな絵を描いたり色んな馬に出逢って乗って、
思い出というものがどんなものでも自分の財産だったと思うので。
積み重なって残ったものは色々あるけど、基本しあわせな気がする。

今まで過ごした時間というのはやっぱり財産だな。
これは木星と土星両方かね。

思い出というのは無形の資産でスキルだったりする。

生きてるうちは地球の重力という縛りからは逃れられないし、
法則というのはそんな環境で生きる存在には必要かもしれない。
なにより肉体で生きてるしね。

凄く気持ち的に盛り上がったら、途端に奈落の底に、なんて経験積み上げて、
また性懲りも無くまたぞろ盛り上がったり、心に色々イヴェント作りたい、
生きた証し、ってやっぱり皆欲しのかもしれない。

他の人とは違う「私」を証明したい、そんな「私」の証しが欲しい、という。
この「地上」という現実世界で。

自分、って自らを分ける、なんて書くんだけれど。
一度他者と分けないと、客観性とか保てないでしょうね。

人から観た「私」が「自分」という存在なのかな。

本来一人称の言葉なんだけど、関西では二人称でも使う。
「あなた」「君」というところを「自分」で呼ぶんですね、なんでだろ。
不思議な距離感というか、時空がどっか捩じれた感じもしますけど。

人の個性はその人が設定して生まれて来たという前提で観ているんだけど、
どう顕在化していくかはその人の時間の過ごし方次第なので。

その環境にどう対応したのか、プログラムしておいた個性をどう機能させたかさせなかったか。
その時々のタイミングにどう対応して時間を過ごして存在して来たのか。

だけど過去のことより本当は今現在とこれからのワクワクの方を思った方が、
もっと面白いだろうなあ。

プログラミングは飽くまで基本なので、
どんな性能を発揮するかは現実に起動させてみないと解らない。
ホロスコープはその人のプログラムのブループリントや仕様書ではあるけれど、
その実際の使用感は蓋を開けてみないと解らない、
という揺らぎがあることを忘れない様に。

その環境によって色々オプションやカスタマイズもされていったりするので。

経験、探求、理解、受け入れ(木星 射手魚サイン)が、広がりを持たせる。
1月18日正午から古典からのディグニティ魚サインに入ったところ。
形無いものを受け取る愉しみと経験のチャンスが来たわけで、

「思い出」の層を積み重ねるのは日々の木星と土星の役目、
ディグニティの木星とエクサルテーションの土星、という最高級パワーの2010年。
誰しも平等に何かが底上げされるような気がします。



何かのメッセージを受け取った、知った、理解出来たような気がする、
と思う事が時々ある。
街中で、店の中で、ただ公園や道を歩いているだけでも何かが飛び込んでくる。
そんな時は、どこかで何かを思い出したような懐かしい気分で胸いっぱいになる。
山羊オーバーロードメモ
先月から山羊サインにプラネット集結しているという、なかなか興味深い状況メモ

15日が山羊25°で新月で、金星と共に蝕だったのでそっちの方が話題になったような。
山羊らしく政治組織と土地に関する大金絡み、ハイチ、カリブ海での地震被害と、かなりの影響。

そんな中で個人的にだけど、気になるのはそのちょっと前14日から始まった土星逆行開始。

山羊サインルーラーの逆行ですか、これで乙女27°までとりあえず春に戻って、
また天秤に戻るのは6月23日と。
ミュータブル後半度数効いてるなって人々はまた後で検証してみた方が良いかも。
29°持ってる人は、色々感じるとこありかな。

今月12日が太陽金星山羊21°で合、15日に太陽月山羊25°で新月、
そこで起こった蝕ということで、ここにまたトランジットで天体が乗ったときをまた検証。
特にマレフィック、火星がハードアスペクト取ったときにどうなるか。

まだ火星が獅子で逆行中なので、火星天秤21°、9/2ね。
天秤火星はこれまた品位が失墜しているので要注意かな。
来年1/6に山羊21°、これで今回の蝕に関する事象で再検証した方がいいかもしれない。

9/8、9に火星が天秤25°、来年1/10、11に山羊25°。

とりあえずカーディナル前半度数(5°以前)効いている人には土星冥王星□アスペクトが一度解消されるので、
この時に何か処理出来る事はさっさと済ませておいた方がいいかも。
こじれないうちに話や手続きををまとめておくとか。
法律、不動産、金融、仕事関係、公共に関する事など。
三月ぐらいはそんなチャンスかもしれない。
金星、水星牡羊にイングレスしてずっと順行している中旬辺りとか。
特にカーディナルの太陽月でハードアスペクトがネイタルで効いてる人は迅速に対応したほうがいいような。



後また思いついたら書き足すかも。



続きを読む

core
色んな音楽を聴いてみたのは90年代から。
自分の好きな音はなんなんだろう、と思いつつ。
最近になってやっと気付いたのは、
「聴けば聴く程に自分の個性みたいなのが消えてくような気がする」音。

「自分というのがただの粒子になって、散っていくというのは、
俗に言うチルアウトってやつになるのかね。」
などと書いてますな、自分で音楽関係の徒然日記は。

私が好きな音楽家が日記で書かれていたのは、
自分が演奏する程に中心部に向かってまとまって行く感覚がある、ということだった。
演奏家が全てそうかどうかは解らないけど、
彼の場合はセンタリングするのかもしれない。

形を無くしていく、ただの元素や粒子みたいになっていく、
時間軸というものも無くなっていくあの感じというのがチルアウトなのかどうかよく解らないけど。


「実はただ散ってしまった様で、本当は凄くコアなところに向かう段階の一つなのかもしれませんけど。
それが何処なのか、一体何なのかは解らないけど。
普段、現実の中で持て余している余計な個性とか、
表面的な知性やら知識や言語なんてのが要らなくなるような。

世の中は色んなグループがあって、その中だけで通じてるような共通言語がまたあったりで、
あんまりいい感じがしない。
そういう枠が取っ払える力があるものの一つが音楽のような気がする。
縛りが無くなっていくところがあるな。」

などと書いたな。 
うーん、よっぽどこの現実世界の自我というのがキツく感じられてるようだなー。(苦笑)

枠を取っ払うのは土星外惑星、神話で言うところのウラヌス、ネプチューン、プルートの役目であるのだけど、
あまりに否応無しの作用をしてくるので大変。
肉体への影響が後でジワジワ出てくる事もあるので、油断出来ない感じ。
そういえば、ちょっと前に始末に負えないお三方と書いた気がするけど。

とはいえ、このお三方にもういいやー、と覚悟を決めてゆだねてしまうと逆に何かが一つ楽になる。
後に何か形に出来ない遺産のようなものが残るような。

自我とか自己というのは場合によっては自分を萎縮させるようなとこがあるようです。
「自己責任」という言葉がその人の枠を作ってしまい、そこから抜け出せなくなると。
これは土星の作用をマイナスに使った場合。

水瓶サイン後半度数にに長らく海王星、キロンが留まり、木星もかなり長く作用した2009年。
水瓶サインのルーラーは天王星が発見されるまでは山羊と共に土星だった。
進取の気風がありながらも、他者から観ればそこに独特の頑固さも感じたりする。
それが溶解させる海王星、傷と癒しと「鍵」を渡そうとするキロンがやってきたというのは、
キツいながらも一つのチャンスだったとも言える。
日常生活に上手く活かせるには、すぐにはできないという難しさがあるけれど。

その天王星が魚サイン運行中で水瓶サイン運行中の海王星とミューチュアルリセプションというのが、
一つ大きなヒントだったわけで。
理想や夢という形に出来ないものを自覚したりする上で、
何かを形にする、結晶化する土星を元々ルーラーに持っている水瓶サインにとっては、
何らかのステージに到達出来るチャンスでもあったと思う。

来週半ばには木星が古典からのルーラー魚に回帰するし、また色々面白くなりそうで。
あまり精神性とかなんとか追い求めずに、自然と愉しくする方が実りが多いと思うな。
ふと気がついたら、形に出来ない遺産がそこに、という。

個人的に音楽を聴いていて「浄化」ということをあまり意識した事はないな。
瞑想なんてのもめんどくさがりな自分に修行モードな事がどうも合わないらしく。

自分で自分の精神高めたい、なんて思って何かして上手くいった試しが無い、
というのがあるな。
あまりこの手の事に「目的意識」というのを持ち出しても、結果は得られないらしい。
結局、自然に任せてしまう。

男女での性差みたいなのはあるかもしれませんね、こういうことの結果は。
男の人は「修行」が好きだからなあ。
やっぱり土星の作用は男の人が使いやすいんだな。

で、自分の中のクリアリングは飽くまで結果であって、
仮にそれを目的にライヴを聴きに行くとか音源を探しにいっても、
いい結果を得られた事がない。
むしろそんな事を考えずにただ音と空気を愉しんでいて、
気がついたら「何か」を掴んでいたという事になっている。

解りやすい現実的な結果を手にしようとして掴みに行っても、するりと逃げて行く。
ただ静かに受け取るだけで、実は水が乾いた場所に沁み込む様に、
霧が自然と流れてくる様にいつの間にか入って来る。
音楽というのはやっぱり不思議だなあと。
何度もライヴや音源聴けば聴く程に思いますけどね。

で、演奏家側のセンタリングして行く感覚というのは、
それが「役目」だからなのかどうかはご本人さんに伺うしか仕方ないけれど、
実際はそんな事を演奏中に意識してやろうとは思ってないでしょうね。
それはそうなった、という結果じゃないかな。
自分からそうしてやろう、などと狙って行う話ではないと。

目的意識というのは傍目にはとても立派だし、
意義を求める、というのはまっとうな考え方に思える。
現実は意識的に生きなければならない、みたいな考え方が一般的だけど。
人が自我やエゴ、「自分」と呼ばれるものを持っているのは、
一度はそれを放してみる必要があるからじゃないかと。

手放して距離が出来たところで、また新しい「自分」性ってヤツができるかも。
それもまた時が満ちればまた手放し、ということを延々繰り返しているような気がするけど。

それがカルマというのかどうか解りませんが、未知への突破口、委ねて緩んで、後は解体再生。
チルアウトChill Outなんていうのも、その一つの手段かなー。

そこには狙って行うとか、自立的な行動原理なんてのは役に立たない力が作用している。
不安とワクワク感がありながらも、確かにどこかの中心に向かってく感覚が奥にあるような。

音楽家というのは、そんなセンスが活かせるかどうか、が一つの鍵かも。
コアなところを開く「鍵」を作れる、とか。
大地のうた
毎朝、必ずブルーソーラーウォーターで湧かしたお湯で珈琲を飲む、というのが日課になったこの一年近く。

タリーズではコーヒースクールという研修みたいなイベントがあって、
それに去年2回参加しています。
それで知った色んなテイストの珈琲を飲み比べて、
やっぱり一番自分が求めているのはスマトラ産というのが解ったり。

世間一般ではマンデリンとして流通してる豆。
酸味少なめで濃厚な味、そして香りは土、大地を思わせるフレーバーと言われているそうで。
味はナッツやバターを思わせるようなコクと甘味。

華やかな香りのアフリカ産モカジャヴァ、
スッキリ上品な酸味の中南米産グァテマラアンティグアも美味しかったのに、
やっぱりスマトラリントン、マンデリンと呼ばれるアジア産の豆が自分が一番求めている味だったと。

植物は育つ土の影響を受けやすく、珈琲豆や茶葉というのは特にそう。
煙草や葉巻もそうでしょうね、私は喫煙者じゃないので解らないんだけど。
薔薇でも同じ品種でその土地や土の質で色や香りの強さが変わってしまうので。

土の匂いは何より自分に取って必要なんだなあと。
こういうのが少しずつ実感できるようになるというのは嬉しいもんですね。
歳取るってやっぱりありがたい。

お茶や珈琲を何種類か飲み比べてみるというのはいいかもしれない。
それで自分が一番気に入った味や香りが自分に必要なもの、大事なことのヒントになりそうな。
地の要素はこの現実で何がその人に必要かを教えてくれる元素なんだなー、と。

大地のうたという作品があるんですね、まだ観ていないんですが。

昔、NHKで偶然観た「砂の手紙」というスリランカの映画を思い出したり。
砂に指で自分への決意を手紙に書いて、世間の荒波に出て行く子供の姿のラストシーンだった。
音の翼
2010年元旦はAM4:24に満月で月蝕。
ブラジルで土砂崩れが。

メディアミックスって海王星と天王星のエネルギーっぽい。
漫画作品がアニメになり、ゲームソフトや映画化、TVドラマ化、グッズの製造販売とか。
これがまた不景気な最中に利益を産み出しているのも事実。

大衆性は蟹サイン、プラネットだと月。
ポップな人気を得られるかどうか、というのが大きな決定要素らしい。

アンケート至上主義とか、その時々世間のニーズに敏感に反応して応える、というのは、
個人の趣味に走りやすいマニアックな要素やインディーズ的なもの、
マイナー好きには色々批判されそうだけど。

大衆は月。 絶えず満ち欠けを繰り返す気まぐれな要素だけど。
その一方で普遍的なものを必要としているような気がする。


最初は冴えない容姿や境遇から期待もされなかった人々が、
Britain's Got Talentに思い切って出演してビッグチャンスを掴んで行く様をネットで見た。
Paul Potts、そしてSusan Boyle。

Pottsさんは妻の強い勧め、Boyleさんは亡くなった母の遺言で出演を決心した。
彼らの動画に圧倒された。

妻、母といった世間からその存在意義を認められた社会性を帯びた女性性が月。

月がその人の才能に光を当てて後押しするのだ。
成功やステイタスは月の後押しで。

月は隠された才能を引き出す溶媒ではないかと思う。
その光で照らし出されるのは、隠された宝だ。
世間に最も必要とされているものを探し出して光を当てるのが月。



歌は心【完全版】/スーザン・ボイル (日本語字幕つき)


彼らが唄い出したとたん、大きな音の翼がやってくる。
聴く人の涙や微笑みを引き出す。

最後はまるでその翼達が会場の人々に微笑みを投げかけているよう。

そんな感想を得た2009年でした。

Hard Biscuits
12月27日のエントリーで、書いたのは、ハードアスペクトをネイタルに持っている人だけでなく、
実際にトランジットでハードアスペクトを形成する位置のサインに関わることを中心に書いてみた。

自分でもアップしてから、なぜこんな風に書いたのか、とも思ったけれど。
従来はトランジットでのアスペクトはトライン、セキスタイルといった、
イージーアスペクトを形成する時期がラッキー等と言われて来たものだった。
それもまた事実。
だけど、そのラッキーさを自覚出来る人は以外にも少数だというのが実占を行った結果だった。

イージーアスペクト形成時期というのは、その安楽さに気付かずに終わってしまいやすい。
それも木星、トランスサタニアン(天王星、海王星、冥王星)のトランジットは実に解り難いようで。
何にも何事も起こらず、行わずに終わった、という人が如何に多い事か。

ハードアスペクト形成時を巧く使いこなす、自分のネイタルのハードアスペクトについても。
そんな激しいけれど、乗り越えられると信じていく練習と思って。
敢えてハードなトランジットに焦点を当ててクローズアップしてみたり。

前にも書いたけれど、ハードアスペクトでも一番辛く、しかも解り難いと思われるのはスクエア。
これはネイタルという生まれながらの要素であれ、トランジットやプログレス形成時であれ、
出会い頭の衝突事故の様なところがある。

本人に取って、最初は見え難く解り辛い要素がスクエア。
自分一人では全く気付かなず、人とぶつかって初めて気付かされる要素。

自分に非は無いはずだ、ちゃんとやっているし、私は正しいという主張が突然覆されたり。
グランドクロスならば身動きが取れない状況や、労多くして報われず、衝突ばかりという。
まるでイバラの道じゃないかと思うかもしれないけれど。

ハードアスペクト形成時に解る事。
得てして周囲の状況や人との関わりあいの変化で、
初めて自分がどれほどパワーオーバーしていたか、
その一方、今まで油断していた要素に気付かされるのだ。

ハードアスペクトは、この現実世界で対人面や社会面でパワーセーブする必要のある要素であって、
また現状を一度は否定して、何事かを成し遂げる、形にする際に使うエネルギーでもある。
その時に得た傷みを後にトラウマにしたとしても、いつかは手放せると信じて欲しいなあと思う。

木星ならば社会の中での働きかけや喜びを自分だけでない、誰かと愉しく出来るような配慮とか。
土星以遠のアウタープラネットならば、自分一人の意志でどうにかなるわけではない、
そんな状況設定があると心得て、無理せず何かにゆだねてみるとか、
大局的な視点を得るための練習としてみる。

ハードアスペクト形成時は発想の転換を得られるチャンスと思った方がいいのではと。
ネイタルのハードアスペクトは生まれながらに、
プログレスでの形成時はそんな状況設定をしている時、と。

日々の事に変化など見えて来ない、としか感じられない時でも、何かが何処かで変わっていると。
なので、自らの歩みを止める、という事は呼吸している限りはないのだと。

プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

当方では対面、メールでの有料個人セッションのみとなります。
ブログ上でのコメント欄での一個人のリーディング依頼はお受けいたしかねます。

Webサイト・ブログ、印刷物等への転載はお断りしています。

あしからずご了承下さい。


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