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Zero gravity

この現実の時間、過去、現在、未来、って普段は分けて考えている。
最近はそういうのを直線的な時間軸って難しい言葉でいう。
そうすると解りやすいので、とりあえず。

人には皆、歴史がある。 
歴史は色んな感情や心の動きとセットになっている。
マイナスのもプラスのも、全部その人のものだ。

だから、どの人の人生の時間も尊重すべきものだ。
というのは理想ではあるけれど、人には好き嫌いもある。
どうにもならない、マイナスな感情の濃い何か。
本当はカルマって言葉が最近ひとりあるきしている感じなのにとまどいがあるんだけど。

苛めという行為について

プログレスの月がネイタルの冥王星とハードアスペクトを形成した際、
またはトランジットの冥王星が太陽、月、パーソナルプラネットとハードアスペクト形成時に、
この様な状況に置かれる事がある。
何の落ち度もないはずのに、突然心引き裂かれる様な仕打ち、
肉体へのダメージを受ける状況。
中途挫折や、その場から離れるしかダメージを避ける事が出来ないかと思われるそんな時期。

実際に耐えられないのなら、心身の安全を守るためにもそこから一度逃れてもいいと思う。
そんな状況でも、誰か助けの手を差し伸べ支えてくれる、
そしてなにより自分がそこから離れたくない、そんな必要はないと思う場合もある。
暫くの間そこで耐えられた場合、劇的に状況が変化することがある。

そして苛めはそれを行っていたものが、ある日突然苛められる側に立たされることがあるという。
根底から立場を覆される、それもそれまでのその人の歴史の内容を考慮して行われているらしい。

この辺りがまさに冥王星的とも思う。

人間の心を作っていく上で重要な脳といわれる繊細な臓器を傷つける行為が苛めだと思う。
それを肯定することは、一種の破壊行為なのではないかと思ったりするのだが。

苛めを行う、ということは、実はそれ自体が得体のしれない存在への恐怖心だと思う。
自分に無いものを持っていると無意識に感じる存在に対して行われているような。
苛める側の人間こそが、実は何かにおびえている様な気がするのだ。
高潔さってなんだろうと思う。

苛めという行為、無条件で無償で何かを愛するという事の対極にある気がする。
自分にその力を利用できそうもないほど得体のしれない強靭さをもっている相手、
もしくは利用価値がない、自分より弱そうだと思われる相手に対して行う行為の様な。
それは勝手に苛める側がそう下しているだけなのだと思うが。

シナストリーで自分のネイタルの月に土星がヒットする相手は、
第一印象がよくない、鬱陶しい感じがする。
その空気から月は土星側からうんざりするような劣等感の空気を感じ取ってしまうのだ。
これもまた暗い状況を仕立て上げる一つの設定が出来る場合もある。

苛める側には、ただムカつく、苛立つ、という理由、ただそこに苛めやすい対象があっただけ、
という言い訳や、哲学めいた物言いで言い逃れる手合いまでいるようだが。

卑怯、正々堂々、とは何だ。
一人で苛めを行う人間は滅多に無いような気がする。
必ずといっていいほど誰かを仲間に引き込んで徒党を組んで行う。
それは実に小賢しい様相を呈している。
苛める側の論理はやはりどこか破綻しているようにも思う。

それは自分なりに存在する事を怖れている人間の心の膿のような気がする。
加害者側が徒党を組んで一人の被害者に苛めを行うというのは、
誰かの評価がなければ自分の価値観に自信が持てないからだと。
自分の世界観、価値観の脆弱さを被害者側にそれとなく指摘されているからではないのか。

自分を擁護する時には小賢しい理屈を並べ立てるが、実は弱々しい知性とお粗末な感覚の持ち主だと感じる。

先日、苛める側の理屈を述べ立てる小説を、新刊書の棚で見かけた。
川上未映子の「ヘヴン」(講談社)という本の苛める側の百瀬と主人公の対決シーンの件を斜め読みしただけで、
こんな簡単に言い切っていいものかと思うが。

ページの字面から嫌な空気を感じた。
哲学めいた物言いを加害者側にさせてはいるが、空っぽな言葉をもてあそぶ様に羅列、
帯の安い煽り文句もうんざりする。

「たまたま」だよ、などと苛める側が答えるのは、「たまたま」そういう状況設定だっただけ、
という言い方なのか。
その設定に乗っかった、という主張だが、
これが苛める側の理由ならばまんまと宇宙の動きに乗せられて動かされたということなのか。
苛めを行う側、受ける側、いずれもそれが「釈迦の手のひら」というヤツなのか。
なるほど、確かにこの世は理不尽と不条理と苦しみだらけだ。
だけど、不思議と最後はプラマイゼロになるらしい。

冥王星ってやっぱりゼロなんだな。

批評、批判精神などという上等な芸当はできない自分だが、
そうだな、好き嫌いでしか判断していないとは思うが。
精妙なものを感じ取れてないだけかもしれない。
ただ何か、あのページから湧いて来るマイナスな感じ、
自分の主観が産んだ単なる妄想や表面的な浅いものであればいいのに。

未だ見た事ないけれど今までの有り様が何処かにレコーディングされていたとして、
その再生シーンを観る時に苛めた側は耐えられるのだろうか、と思う。
これがあなたと言う人間の全て、と提示されるときがいずれは訪れる気がしてならない。

そして、ある日を境に突然苛めた側と苛められた側が逆転すると言うこの現実。
特に子供同士の苛めのシーンではこういった逆転劇が頻繁に起こるのだと言う。
動きの速い、中立的な性質のプラネットである水星の年令域の頃ほど。
傷みは受ける側、与える側両方に。
因果応報という言葉は好きではないけれど、宇宙はどんなときも公平だと思う。
そして、残酷に一見思える現実に「慈しみ」があるらしいという事にも驚く。

人として公平であるということは不可能にも思えるけれど、
一つの理想として何処かで思いを忘れずに、という思い。
チャートの天辺であるMCの両側に配置される9ハウスは射手サインと木星、
10ハウスは山羊サインと土星が管轄する。
寛容さと発展、謹厳な現実との間に理想がある。
そして、木星も土星も法律を表す。

その真下にあるICは3ハウスの双子サインと水星、4ハウスの蟹サインと月が管轄して支えている。
興味を持って学び、感情や感覚を持って共感する心が社会を作る理想を支えている。
気付き、思いやり、は社会の天辺を作り上げる根っこや土台だったと。
今さらながら気付かされてしまうのだが。

そして9ハウスの前段階が蠍サインと冥王星が管轄する変容を促す8ハウスが、
一つの試金石と思われる。
自らが一度滅びて新たに産まれる場を通らなければ、
9、10ハウスの高みには辿り着けない。

こんな事実を宇宙からなんとなくでも教わっていたなら、
誰かを犠牲にしているヒマなんぞ無いと思うのだが。
そしてそんな行為を行っていたとして、小賢しい言い訳など出来ない。

苛めとは、人の心というものを創り出す脳という臓器を傷つける傷害行為でもある。
確かにこれは罪なのだ。

冥王星、土星の作用を自分一人のマイナス感情の解消にしか使えなかった人間にくだされるのは、
驚く程に、苛めた側からすれば残酷な程に公平な結果がエネルギーとして還って来る現実だ。
これがブーメラン効果というものかどうか。
それは人為的な行為でなく、宇宙がいつの間にか行う話。

人をバカにする側からバカにされる側に突然立場を変えられる、
というタイミングって、メッキが剥がれた時。
多分。

嫉妬、妬み、自分の都合のいい様に権力を持ちたい願望、劣等感、冷ややかな思いやりのない心。
それを持つのも、その奥に熱い何か、柔らかい何かを持つのもまた人間だったりするようだけど。
どちらを選ぶにしても、それなりの覚悟は出来ているだろうという前提で書いている。

「高潔」「気高い」というものを簡単に書き表すことも出来ない。
この奥に「愛」というものがあるのかどうかは知らない。


バーバラ・アン・ブレナンによるとトラウマとはそれ自体が意志を持っている様に感じると言う。
なので、それをすぐさま引っ掻き出すというのではなく、辛抱強く説得に当たるのだと。
それを後生大事に持っていたい気持が人の中にはあるのだ。
そうすれば、自分への理由付けが色々できて「便利」なのだろう。
そして、傷ついた人間は「二番目に得をする」という。

もしもトラウマがいきなり掻き出されて剥がされたなら、そこに残った空虚には耐えられない。
実際のヒーリングには上手くクライエントがそのトラウマを手放す準備が整い、
その通りに離す事が出来た後には、その跡に愛を注ぐという。
どんなに素晴らしい愛の光とて、受け入れまでの段階と準備が必要なのだと。

「嫉妬している方が楽だからな。」
これは立川談志が弟子談春に語った言葉だという。

土星、冥王星の作用を、冷ややかな劣等感、嫉妬、権力と欲望と暴力に使うのか、
忍耐とゼロからの再生、怖れを手放す手がかりとして使うのかはその人の意志一つであって、
誰にも批判できることではないけれど。

暴力、苛め、嫉妬は己の心の嵐を他人にぶつける破壊行為という基本ぐらいは忘れずにいた方がいい。

このような無駄な正義感丸出しな駄文でなにがどうというわけでもない。
たまたま関係者が観たとして、著者出版社側の釣りに引っ掛かった感も無いではない。
自分個人が嫌いだったとして、この宇宙はどんなものも内包して慈しんでくれるのだな。
普段の感情では計り知れない大きな何か、というものは確かにある。
無償の、無条件の、とよく表現される、あの何か。

ただ気高さ、高潔であるということ、当たり前のことを当たり前に考えて行うという普段の生活がどんなに尊いものか、
たとえ嵐の様に荒れ狂った中であっても、光の方向に向かおうとするのが人の心の最終目的だと思っている。
弱っている人に当たり前に手を差し伸べる事と何かを手放すにも、
そして愛と言われる何かを受け入れるにも、実は勇気が必要という事実がそこにあるだけだと。

理想から掛け離れた有り様っていずれは耐えられなくなるものだ。
誰しも暖かくて優しい、柔らかい瑞々しく爽やかな何か、
太陽や月みたいな光が恋しく懐かしいんだと思う。
素朴にそんなのしか人は求めないんだよ。

この宇宙は果てしない。 
その中で自分はどんな方向に行きたいのかぐらいははっきりさせておきたい。
この上下も左右も善いも悪いも無い宇宙という空間の中で。
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.29 2009
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関わり合いの無い話(補足有り)

ハードアスペクトのメモ

クインカンクス、インコンジャンクト(quincunx,inconjunct)について

このアスペクトは360°を12分割した12分の5という見た目にもどこか座りの悪そうな配置。
このアスペクトの働きを解りやすく表すのは、inconjunctという呼び名の方が解りやすい。
よく説明されるのは関わり合いの無いアスペクト、ということだが、
直訳で出る結合しない、共同、協力しない、という意味合いの方がダイレクトに感じられる。

このアスペクトを持つ人で、特に月と他のプラネットで出来上がった場合、
その関わったプラネットに関する事で自分の中で満足感が得られない。
プラネットのそれぞれの意味合いが無効になる。
その一方で束縛を受けるとも言われる。
本来繋がり、関わり合いの無いものが何故か繋がってしまっているので、
状況としては否応無しの空気が湧き上がって来るのだ。

これは実に人間の中にある素朴な感情的には嬉しくない、有り難くない話であって。
じゃあなぜこんなことに、というと、よく言われるのはこれもまた再調整、という。
関わり合わない、噛み合ない、関係ねー、とお互い思っている話をすりあわせろと。

ハウス位置では6H、8H、を表していて、自分一人の意志では勝手に決められない状況を表す。
誰かの意志にしたがう、合わせる事で自分の何かが変容するしかない、という。
外から見れば、こういう状況の人は面白くない、
もしくは切ない表情をしているように観えるだろう。

先にも書いた様に、自分の感情は満たせない。
特に月でこのアスペクト持ちの場合は自分の表面にすぐ湧き起こる解りやすい感情はさておき、
誰かの為に、人助けのつもりで使うのが前向きに対処するコツでもある。

たとえば月と金星の150°は人との交際や恋愛が上手くいかない事が多い。
その人の女性性二つが噛み合っていないので
なのに、再調整、擦り合わせを迫られている状況なので、
自分の好みの相手にアプローチして何としてでもという意志を貫こうとすると、
何故かことごとく失敗するのだ。
その失敗の原因は本人自身にはどうしても解らない、という。
自分のどこが悪いのか、と。

社会に出て、初めて気付かされる自分の中のアンバランスな部分だったり。
特に月は無意識に出るクセなので、自分独りでは解らない。
誰かに指摘されて、初めて気付く。

インコンジャンクトという150°アスペクト持ちは、
この辺りが凄く外から観て座りの悪さを感じさせる人物だったりする。
何か噛み合ない、マイナスの意味で意外性を感じさせてしまう。

先に書いたハウス関係の位置からすれば、これは相手に合わせて動く配置だ。
気分はつまらない、むしろ場合によっては不安感に揺さぶられる、
自分が外からの働きかけで、「否応無し」の状況に置かれる。

やりたくもない人助け、自分の意志とは全く別に働かせる、
結果は人には喜ばれたとしても自分の中では不満は残って捌け口は見つからない。
もやもやとよく解らない不満だけが。

その内、自分自身のしあわせを掴む事に段々臆病にもなっていったりするのだという。
ならば、最初からそれを自分の意志、努力一つで満たそうと無茶をしないことだと思う。
自己犠牲は基本その人が望んでする事ではないので、ジレンマだらけだ。

私は先日、某所で自分だけの利益とかじゃない方向(理想)を持たないと使えない、
と月とアウタープラネットのインコンジャンクトについてレスしたが、本当にそう。
太陽のオウンハウスである5ハウスから観ても、
海王星の12ハウス、土星の5ハウスであったり。
その人なりの理想や社会への義務を果たさなくてはならない。

自分の中の何かを変容させていくことを、強制されたと感じたままでは哀しいものだ。
自分の感情や表面的な意志ではない何かの為に、それは自分が望んだつもりはないけれど。
だけど、誰かの、この世の中の為に使おう、と決めた時に初めてプラスに発動するのだ。

自分だけの利益とかじゃない方向(理想)を持たないと使えない、とレスしたら、
ご本人の感想で>自分も人も双方に幸せになることが唯一の抜け道でした。
と。

欲が無ければ人は生きていけないのに、その欲をある意味捨て去って頑張ってみる、
というどこか奇妙な、だけど不思議と人間臭いアスペクトである。

もう一つの呼び名クインカンクスというのは先に書いた通り5つ目のという意味合いだが、
5という数字はプラネットで言えば水星。
創意工夫を引き出す、ベネフィックでもなくマレフィックでもない中立的、中性的な作用。
性的に未分割だったり創意工夫を促すという辺り、本能的な生々しさを削いだ空気がある。

そこが逆に5という数字が人間臭い、と言われる由縁かも知れない。
占星術を構成する一要素である数秘術でもピタゴラス以来、
人間そのものを表すと言われているぐらいだ。

人間としての普段の自分の感情から違う角度から眺めることを促す。
献身を表す6ハウス(水星のオウンハウス)的な役割を担うことをいずれ知らされる。

自分は一人ではない、誰かの為にやらなきゃならないこともある。
そんな時に、このアスペクトを組んでいる人は思い出してみてほしい。

関わり合いが無い、と感じる時には、何かが足りない。
自分は満たされない、だけど善い悪いでなく双方がしあわせに、ってなんなんだろうという。

実際には度数的に組んでいない場合に何か心に矛盾を感じたなら、
サイン的にこの12分の5の位置にあるプラネットの関連性を考えてみる事が、
一つの救いになると思う。

他のハードアスペクトの扱い方への考え方も、そこから始まると思う、多分。

人間は自分の為に生きるものだ。
人間は誰かの為に生きるものだ。
どちらも正しくて必要であって、ディシプリンかインディシプリンか、といえば、
どちらも人には必要であって、いずれは必要なくなるだろうというもの、な気がする。
.25 2009
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査定

唐突かもしれないけど。

関西だって神戸、大阪、京都に美女はまず滅多にいない。
いきなり敵を山ほど作りそうな発言ですが。

ただデコレーションケーキみたいにごてごての付け睫毛メイクと、
身につけているものと、なんとなくの佇まいだけでごまかしてるのばっかりだ。
男女ともそう、街中には美男美女なんて実は殆どいない。

鄙にも稀な、などというのは嘘っぱちだ。
鄙にこそ美女は多いんだよねえ。
肌がまず綺麗。 水がいいからね。
その辺りの人達が東京や大阪になんて出て来た日には、
水道水臭くて飲めないって言うし。

中央から離れた東北や沖縄など、山や海に近いとこで生まれ育った人って、
色白でも地黒でも皆肌が透明で綺麗で。
都会の垢ってのは嫌なもんだなあ、と思う。
もう素材からして上等過ぎて、街中の人間の汚れが目立ってしまう。

だから、本当にそんな垢が一度ついても、段々に垢抜けて綺麗になっていく都会人なんてのは、
それこそ貴重なんだよねえ。
いや、ほんと。

真の都会人は希少だ。
都会人と言える様な綺麗さとスマートさがさりげない優しさと両立出来る人がどれ程いるんだろう。
ただの都市生活者ならば山ほどいるが。

都会の垢を落として洗練させるのは土星かなあ。
時間が掛かるでしょ、若いうちはなかなか垢抜けない、上手くやれないから。
むしろその土星を冷淡さ、底意地の悪さにうっかり使ってしまうかもしれない。
そんな澱が溜まっているのに気付くかどうかはその人次第だけど。

自分に邪魔になったり利益をもたらさない人間は無駄、
みたいな人間関係の冷たさを醸し出しているのならその土星の力は自分に跳ね返って来る。
そんなシチュエーションを気付かないうちに何度も垣間みた気もする。

ちょっと離れた所で人を見守ったり、必要とされた時にはに手を差し伸べる、
正当にその人の有り様や出した結果を評価するのが本来の土星なんだろう。

ただし、社交辞令や見え透いたお世辞などが本気で嫌いなのも辛いものだ。
いつも自分という人間の価値なんてものが何処かで勝手な思惑で査定されてるんじゃないだろうか、
という不安感も。
そんなのも解った上で軽く躱すスキルも必要なのになあ。

このエントリーみたいに金星的な事を何歩も引いた場所から眺める癖は、
人から観れば冷淡に感じられるだろうねえ。
まあ、本当に円熟した金星が将来手に入ればいいのだけど。

などと、金星土星合のアスペクト持ちが呟いてみる。
.22 2009
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神様の言う通り

なんてことを、ちびっ子時代はよく遊びで言ってたものだった。
お菓子とか、二つあればどっちを取るか、みたいな簡単な選択で。

これも占いね。 
どちらでもいいんだけど、どっちか一つだけね、というシチュエーションでやるわけ。
花弁を一つ一つyes noを言いながら取るとか、最後にどっち、みたいな。
こういうのは遊びが無いとね。

その時には卜占を使っているわけね。
意味のある偶然、ということを皆本能的に知っているんだろう。
それで決めたら、後はもう文句無く受け入れてしまいさせすれば何かが一つ楽になる。
「神様の言う通り」と決めたというのは、自分の中にある神様のかけらみたいなのとちょっと繋がった気がするのかな。

バーナム効果、コールドリーディング、ホットリーディング、などという言葉を引きあいに出せば、
それらしい拒否、「科学的な」拒否理由付けは簡単だ。
科学教信者、などと揶揄してはいけない。
人は誰しも安全と自分の正しさが保障されていなければならない、と思うからだ。

フォーチュンテリングと称されるもの。
花占いや紅茶占い、珈琲占い、ダイスでの占いなどが主にそうだったりする。
なぜこういう目が出るんだろう、ということに意味を感じたり知ろうとするのは、
非科学的と言われながらも人間くささと不思議な説得力を感じる何かがあるのかね。

私はよくタロットの小アルカナの7って「神様の言う通り」なカードだと思う。
どっちを選んでもいい、あなた次第だけど。
そんな含みを持たせた辺りが、どことなくこの感じに繋がっている気がする。

どっちにでも転ぶ「可能性」というのを選ぼうとするその瞬間が7かもしれない、多分。
結果は別だけど、なんとなくやってみたい気持というのを7という数字に託したのか。
大アルカナの「戦車」もナンバー7。

7という割り切れない数字。
海王星を表す数字。 3と共に占星術の中でも重要視される数字。
3を二つ足して、+1、という。
マジカルな意味合いが強いと昔から言い伝えられて、その名残はラッキーセブンなんてので残っている。
占星術も長らく天王星以遠の土星外惑星が発見される以前は七惑星でリーディングしていた。
人の現実生活に7はなにげに深く関わって来たようで。

ラッキーかどうかはその人の意識次第なんでしょうが、
この不思議な7という数字、タロットでは「さあどうする?」な光景だ。
3と共に人間の神様みたいな何処かに、大いなる誰かに繋がりそうな、
奇妙な感覚をひっぱりだすシチュエーション。

7の小アルカナは可能性の無限というのを願っている、知っているカードであったりする。
あなた次第だから、もやもやしてるんだろうけど、そのもつれた何かは好きになる、
そしてあなたなりに何かが解るちょっと前だと。

さあ、どうする? 神様の言う通り、その神様はどこに?と言われたら、
神も仏もそこにいる、という感じになるんだろう。
.21 2009
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お月さんも踊ってくれた

月のメモ

月、蟹サイン(IC)のキーワード I sense もしくは I feel

明日は新月ですか、乙女サインで。
個人的に乙女の月って小ウルサく、いや細かく意見されそうで。
うひゃー!って感じで逃げ出しちゃうかね。 
太陽とオポジションになる辺りで落ち着かない。
更に度数進めば冥王星天王星合をちょいと刺激されるので辛いわあ。
心が緊張すんのよね...。 (´・ω・`)

そして日々の生活費を表したりしちゃうせいか、太陽や金星にオポジションの時にお金がどっと出ていく気がする、
そんな風に乏しい財布の中身を引っ張り出してそうな月。

女性ならば解りやすいと思う。
月経はネイタルチャートの月から観て下弦の月に始まるのだ。
排卵、排出作業を行ったり。 月は無意識、水に関係しているので。

月は一ヶ月で12サインを一巡りということで解りやすい。
感情やふとした本音やヒステリックな部分や心身のウィークポイントだったりもするけど、
この月がイージーアスペクトの人って個人的に羨ましいかな。

月、及び蟹サインは大衆性に関係しているので。
普段、生活の匂いというもの。
これがイージーに効いていると、世間への当たりがよかったり馴染みやすい。
松村潔氏の「最新占星術」でも月のテーマとして馴染みやすさというのが上げられていて、
これが実に解りやすかったです。

馴染みやすさ、というのは解りやすさ、垣根の低さであって、やたら高踏なものではない。
前にエントリーした「すごいけど、かんたん」というのにも、
実は月のセンスが関係している。
月は生活のリズムやその人のセンスであって、月がイージーだと高級指向などではないのに、
センスの良さが光る人だったりする。

月金星合やイージーアスペクトだと愛想だけでなく、
センスの善さ、心地よさというのを無意識に表現できている。
これも本人は無意識、天然なままに素朴に表現しているのだが、洒落ているという。

つまり人気運に関係してたり。
人気とかモテってのは金星も関わるんですが、一般大衆に向けての幅広い人気やウケを取れれるか、
といったお話だと月のアスペクト具合による。

なので、月にアスペクトが多く、特にイージーが効いていれば愛想のいい人、
飾り気の無い善さが発揮出来ているようで。
でも月は無意識なので、本人さんは至って天然だったりするけど。

愛想の善さといえば金星効いてる人、というのもあるけど、
金星の愛想は媚び、妖艶な空気を帯びているもので。
美味しい贅沢な思いをしたい、綺麗で可愛いと思われたいという本能、そして金銭。

強力な世渡りの武器として男女とも意識的に使っているような気がする。
この辺りは女性原理といっても、月とは違う空気漂っている。
媚態というのは、月とは違う、生々しい何か。
そうだな、やっぱり誘い込み誑し込む(たらしこむ)メスの本能だからだねえ。

で、月ってなんとなく単独では使い難い感じがするんですね。
Void Timeというのも、普通は月のVoidを表したりする。
やっぱり月は誰かと組みたいのかな。
その方がいいよね。 
だって太陽の光受けて、初めて輝く。

自分で光るんじゃなくて太陽の光を受け止める要素というのがあるというのは安心なのだ。
月には模倣、という要素もある。
美しく輝いているけど、それは誰かの光を受けているからこそ、という。

普段の事、日常生活の中で「当たり前」にしていることであって、
そこがイージーが効いていると安心感をもたらしてくれそうだ。
月がシングルトンな自分からすると、いやー、羨ましいんだ、これが。

反面、月のアスペクトがやたら多い、前向きな言い方すればバラエティに富んだ様相だと、
これまた家庭や母親、妻という存在や有り様へのこだわりが凄く強いけれど、
落ち着かない空気を感じる。
なんとなくこちらも心がざわつく。
本当だったら、あまりつまびらかにしない方が安全な部分に関係するものが多いと、
変化を求めてやまない気分と、満足感を得たがって常に動いている感じ。

月はその人の生活での満足度を表している気がする。 
金星も満足感表したりだけど、月の方がこれまた生活臭強いので解りやすい。

月の品位を観れば解る。
蟹でディグニティ、牡牛でエクサルテーション、ジョイとなる。
どちらも対外的に観て洗練ということよりも自分自身の安心と快適さ優先であって、
人との距離感を取った上での洗練や美意識なんぞには頓着していない。

母親、身内の女性、家庭、年令域でいえば乳幼児というパーソナリティを表すのも月。

月の年齢域は伝統的に0から7歳だったのだけど、今では4歳ぐらいまでという設定が当てはまる場合もある。
これは得てして今は幼稚園保育園と言った所に3、4歳ぐらいから預けられるのが普通な社会になったので。
戦後暫くは、幼稚園などは一部の裕福な家の子ぐらいしか入る事がなかったようで、
その時代はまだ全般に都会でも田舎でも月の年齢域は7歳でほぼ同じだったと思う。

5歳ぐらいには既にひらがなや数字の読み書きなどを課題に与えられるのが普通という状況が、
既に私の子供時代から始まっていた。
昭和というのはもう月の年齢域が縮まる下地が出来上がっていた時代。
平成の今や、月の次の水星の年齢域(学習、コミュニケーション、兄弟などがテーマ)を5歳ぐらいからに設定している方がしっくり来る場合が多いだろう。

お受験なんてのは中学受験じゃなくて、もはや有名私立幼稚園などへの入園だったりする。
思えば、人間が生まれる前の半分神様みたいな頃を愉しむ時代が三年縮んじゃったわけで、
これがこれからの社会にどんな影響でるのだろうなあ。
.18 2009
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Clarity

DSC00210_convert_20090819103641.jpg

これ、散華というもの。
厚紙で出来てて、縦の長さは7、8センチぐらいかな。
可愛いんですよ。

八月の中旬に隣の厄神明王さんを祀っているお寺で夏祭りの前夜祭があって、
その時に声明を初めて聴いた時に拾ったもの。

厄神明王さんのお堂の前の階段に座っていて待っていたら、
その傍をお坊さん達が散華を撒きながら降りていった。
蓮の花弁の形の可愛い手のひらサイズのお寺のギャラリーですかね。

散華美術館ってサイトが。 へー。

興味を持ったのは、たまたま日本へツアーの為に一時帰国した坂本龍一氏がTV出演の際に、
NYの自宅でバカボンパパのイラストの散華を飾っている祭壇というのを観たので。

そうそう、これ

いやー、この薬師寺のバカボンパパ散華は欲しいなー。
素敵すぎる、赤塚先生!
教授もバカボンパパ好きなのかー。

で、声明、凄いです。
「お坊さんの唄です。」というこれまたシンプルな説明でしたけど。
何かが浮かび上がってくるのかどうなのか解らないんですが、余計なものが抜けていく。
Perfume音源と同じ様な効果あります。
クリアリングというより、もっとダイレクトな感じ。

最後は般若心経で終わり。
これも不思議な節を付けて唄う。
途中で立ち上がったり、また座り込んだり、という動きの中で唄う。
これがまた不思議にありがたい空気。

私はよく神社へ行ったときのことをここで書くけれど、
以前ちょっと触れた様に元々は鳥居とかしめ縄とか苦手なイメージだった。
苦手意識が無くなったのはごく最近なので。

むしろお寺の方が親和性高いのか、気楽でホッとしていた。
別に積極的に行くわけじゃないんだけど、傍を通りがかればなにげに安心という。
お香の匂い大好きなので。

漠然と神社は陽、佛教寺院は陰、というイメージですかね。
お寺は死者を弔う場でもあるし、実際お寺に植わっている樹々の緑は水気を含んだ深みと重みがある。
神社の樹々の緑ってあまりそんな感じしませんしね。
特に私が暮らす地域はアマテラスさんがよく祀られていたりするせいか。

陰の受け入れる要素、というのは、ホッとする場所。
おかえりと言って迎えてくれる誰かがいると知っている場所。
仏というのをあまりよく知らない。
でもそんな感じは、神様に逢う前の段階なのかどうか知らないけど、
まっさきに人に馴染むのかもしれない。

家に帰れば風呂に入ってさっぱりする様に、そんな感じだったな、声明。

追記
なんとなく夕べここを書いてて思い出したのは、
高野文子「絶対安全剃刀」の「ふとん」という収録作品だった。
観音が夭折した子供を迎えに来るエピソード。
旅支度をさせたり、なんにも知らない子供に細々と世話を焼いていたなあ。
.14 2009
こころ comment(2) trackback(0)

Don't Think Twice, It's All Right 再び

人間関係で同じパターンの繰り返し、というのは珍しくない。
職場や家庭、恋愛とか、もうね、その手の話は大昔から枚挙にいとまが無いと。

なんでそんな結果になるかって、同じ事をずっと相手に要求しているから。
失敗したくないと言いつつ同じ事を何故か。
特に恋愛ってその手のネタ、いや話ってそれが大半だったり。
だって執着凄いんだもの。
少し前に書いたものと被るけど。

たまたま私はそういうお話を伺う事は少ない方だった。
あまりそういうタイプのクライエントを惹き付けなかったので。
宣伝とかろくにしないと、自然とそうなるのかな。

なので、たまに伺えば、同じタイプの相手をずっと求めている、というよりも、
自ら相手をそんなパターンにはめ込んでしまっているような気がしますけどね。

だけど、それってやっぱり相手にしたら酷いと思ったから離れて行ったんだろうねえ。
なんでずっと同じフィルター、過去の人物像と同じ感情と欲求でしか、
自分の事観てくれないのかって気付いたからじゃないかと。

人は皆ユニークである、ということを実感しにくいかもしれない。
恋愛とか家族というドメスティックさを要求する時、執着の方が強くなるのだ。
自分は相手の事を誰よりもよく知っている、理解しているはず、という思い込みね。

いやー、それって無茶な。
たった一つのネイタルチャートからの情報量だって計り知れない。
まあ宇宙からのお話だから、そりゃ把握しきれない程でも当たり前なんだけど。

古人はネイタルチャートにその人の一生の事件が全て表されている、と語り伝えてきたそうで。
これ、観る程に実感します。 
色んな技法はあれどごくシンプルにネイタルチャートや、
シンプルな昔ながらのヘキサグラムやケルト十字、スリーカードといったシンプルなタロットの展開を見つめ続けるというやり方を中心にしている。
解りやすい内観法の一つなので。

仮に一卵性双生児の様に同じパターンを持っていてすら、人生模様が全く変わってしまう。
そのパターンの展開の仕方は、気持ちの持ち様と選択で。
その人が得たプラネットのエネルギーの使い方は幾らでも選べるから。

双子ですら、どんなに似ていたって違うのだ。
クローンじゃないんだから。
人は一人一人が違う、ユニークな存在ということを占いという手法を知れば知る程、
実感しやすいものはない。

特別でないネイタルチャート、というものが存在しない様に。

自分では自由意志って言葉の意味の本当のとこはよく解っていないと思うんだけど、
人間の意志ってのが正になにより優先されるんだなあと。
タロットカードの展開だって、その時のエネルギーの出し方でモロに180°変わる。

未来が不確定要素っていうのを思うのはこういう時で。
私は預言とか予言とかって基本的に誰かが得るよりもご本人さの方で、
既にダイレクトに受け取ってると思うんですけどね。

観えないけれど、そういうときにユニヴァーサル・エネルギーフィールドというものをいつもクリアにしておきたい、
明るくスッキリしたものにしておきたいとおもうな。
実際、どんな境遇にいる人でも透明感を感じさせる人ほど魅力的だもの。

作為が無い、ただ真っ直ぐに観られる人というのは僥倖だ。
前にも書いたけど、色んなASCや太陽や月と出逢えばいいのに、
そうしないのはただの執着と自分可愛さだけなのかもしれないし。
上手く合わなかったら、それはそれで仕方ない、でいい。

仕方ない、という言葉は凄く善いと思うな。
出来る事と出来ない事があるということは素晴らしい。
無理しない、戦わない、という有り様に気付いて選択できる時を知ったと。
それは自分の中の執着や思い込みの状況から脱皮出来るチャンスでもある。

自分の思い通りの結果を得る為には全力で戦わねば、努力あるのみと思い続けて、
それ以外の選択を知らなかった、しなかった人に別の視点や思いを発見させる。

「自己実現」ってーのが出来ないのは努力が足りないから、というだけで突っ走って来たのを、
ちょっと引き止めてみるのも悪くないと思うがなあ。
自己啓発、自己実現、自己責任、ってジコジコジコって。
そこまで「自分」「おのれ」にこだわるか?って思うとこありだからかね。

なんだろうな、負けて勝つ、とか昔ながらの色々な言い方あるんだろうけど、
やっぱり「弱い強さ」の一つなんだな、これも。
自我を捨てる、というのではない。
こういう自分自身というものを面倒みる方法ってのもあるんだと思う。

それもまた自分以外のユニークさを理解する一歩でもあると思うな。
人と人との間ほど、「絶対」はない。
自己責任という言葉も正直ここまで人を縛る感じってどうかなーと思うし。
ましてや絶対と言えないのが、この宇宙の中の人間世界の善さ、
そう思って生まれて来たんじゃないかという気がするな。

するりと流れに乗って風になびかせてみたり、身を躱すという優雅さも身につけたい。
力は如何に抜くか、がキモだったりするのかもしれない。



敢えてJoan Baezのカヴァーで。
この唄はボブ以上に女が唄った方が生々しいと思うなー。
.12 2009
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Melancholia (追記あり)

海王星、土星の関連メモ

非定型うつ病というタイプのうつ病があるという。

http://emunet.web.fc2.com/d-y-hiteikeiutsu.html

うっかりするとナルコレプシーっぽく見られるかも。
この症状、かなり海王星的に感じますが。
ネイタルチャートに魚サインが効いていても、こういう空気出してるんでしょうね。
社会的シーンではいじめの対象になりがち。
現実社会で人から最も理解され難いというのが、海王星、魚サイン要素。

とはいえ、こういう話を本職の精神科ドクターに出来るはずも無いからここにひっそりとメモを。

まあ、あれよ。
現実の科学だとか医学だという立場に立つ人に、
あまりおおっぴらにこういう話を持って行ってもね。
占い、このオカルト、疑似科学と分類されるもの、科学の鬼っ子、
天文学の愚かな娘と言われる存在は、やっぱり秘しておくが色々と都合いいかね。


今トランジットの海王星が水瓶サインで逆行中なので水瓶、
かなりハードなのが対抗の獅子にこの手の症状は出やすいというのがリーディングしていて感じた実感。
スクエアになる牡牛、蠍に太陽月、パーソナルプラネットが多く入る人も無理しないように。

デザイン、音楽、アート関係者、ヒーリング、カウンセリング、
その手の趣味や仕事を熱心に探求出来る立場なら前向きに昇華出来る海王星の力は、
普通のお勤めや実直な仕事振りに定評のある人には辛いです。

(実業界でなんとか海王星を前向きに使えそうなのは海運水産など海に関する分野、
海や水の環境保全、オイル、水、などの液体、ガスを扱う化学品、化粧品関係ぐらいか。)

現実性が薄まって、ただ無常の喜びに浸っていたい感覚、人間関係が定まらない、
甘いものを食べてぼんやりと過ごしているときしか落ち着けない。
精神が放浪しているような、孤児のような心持ち。
これをお堅い実社会が理解出来るとは正直思えないんだな...。 (´・ω・`)

ただの逃避でしょ、ワガママ、怠け者などと罵られる、侮られる。
これがこの症状の一番の辛さという。

従来うつ病というと、土星的メランコリーがよく知られていたんです。
顔色が悪い、悲観的、痩せる、といった土星的な病気の症状は眼にも解りやすい、
現実的な空気の中で症状表すので、周囲の実社会がすぐに気にしてくれるんですけど。

この土星的メランコリーというと、アルプレヒト・デューラーの「メランコリア」という版画が解りやすいか。

http://art.pro.tok2.com/D/Durer/Melancholia.htm

新たな何かを産み出しそうな気もしますけどね。

海王星と土星は心の病を持って来るけれど、それは日常レベルでは気付かない病の要素を。
それだって、宇宙の恩寵であったりする。

実際に土星がASCや太陽月に合、ハードアスペクトをとると、この土星的うつ症状は出やすいです。
特に水サイン、火サイン。
風、地サインは比較的前向きに対処したり、ハードワークだけどいい節目を経験しやすい。

現実に受け入れられやすい、といえば語弊はあるけれど、土星型メランコリーはそんな空気。
理解され難い哀しみと放浪感に苛まされるのが海王星型メランコリーと観ています。

どちらも実は陰の要素で、本当はこの症状に囚われて苦しんでいる人がテーマじゃなくて、
実際にこの患者さんに対応する周囲の人々、家族に取って人を受け入れる器を試されているんじゃないかと。

得てして陽の気が強過ぎるタイプにこの辺りのバランスを気付かせる為にも存在するんだろうと。
人間の肉体というのは、再調整を知らせる為に最も解りやすいように与えられたもんなんだなー。
本当によく出来ている。
精神と直結した肉体を大事に扱えるかどうか、眼に見える様な配慮だなあと。

追記
プログレスの太陽、月が12H運行中でもこの手の症状が出やすい環境が整う。
トランジット次第で発症する可能性。
得てして人から理解得難くなり、社会的シーンから引っ込む。
月がASC合の時期になれば好転すると思われる。 (環境の変化)
トランジット、プログレスで12Hに星が多い場合は、精神性を大切に。
自分も周囲にも労りの気持を大切に。 
生産性云々と言う事は敢えて別に置いておくぐらいの気持で。
.10 2009
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メールでのリーディング再開のお知らせ

当方ではクライエント様との出逢いと生の声とコミュニケーションの大切さから、
しばらく直接対面でのリーディングのみとさせて頂いておりましたが、
メールでのリーディング依頼の受付を再開致します。

お申し込みはプロフィール欄の申し込みの箇所か、こちらをクリックしてください。

リーディングの受付、入金方法など詳細を折り返しお返事させていただき、
入金確認後のリーディング開始、結果報告をメールでお送り致します。
.09 2009
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手に負えないお三方と頑固ジジイ対決 (`・ω・´)

このところずっとバーバラ・アン・ブレナン女史の「光の手」を読み返していて、
つくづく惑星のエネルギーの強力さ、どう上手に受け取るのかという事を考えている。

彼女の記述が参考になるのは御自身がヒーリングの計画を立てる際に、
クライエントのネイタルチャートを参考にしているからかもしれない。
実際に人が受肉し、産まれて来る時に流れ込む惑星からのエネルギーについての記述もあり。

私はここでのエントリーには以前、惑星からのエネルギーを利用する、
という風に記述していたのだけど、本当は受け取るものなんですよ。
そこを理解した上でのその人のイキイキとワクワクの為に活用をして欲しいと思う。

だけど、やっぱり難しいと思うのは土星外惑星(アウタープラネット)だし、
天王星、海王星、冥王星はどこか現実感覚一つでは手に負えない、
そんな悩ましさも至上の喜びも両方携えてくる様に思えたりもするだろう。

人には色んな恐れからブロックができる。
そのブロックのイラストと記述に私は初めて読んだ時に惹き付けられた。
どこかそれは遠くにあって解り難いアウタープラネットの中でも、
そうね、とりわけ手に負えなさNo.1の冥王星みたいに思えて。

「光の手」上巻の12章のエネルギーブロックと防衛システムに関する記述で。
とりわけ、メッシュの鎧状ブロックに関するものが実に冥王星的だ。

「その人には都合のよいブロックである。それは感情、特に恐怖を避けるのに役立つ。
人生でも、セラピーでも、その人が挑まれたと感じた時には、メッシュの鎧が素早く廻りに移動し、
恐怖を避ける手助けをするのである。
例えば、もしセラピストがそのブロックを運動や強いマッサージで取り除こうとしても、
そのブロックは身体のまた別のところへ移動してしまうだけのことである。
この種のブロックはおそらく、他の種類のブロック程すぐには、病気を引き起こしたりしない。
この患者の人生には、すべてが素晴らしく映る。
この世で「完璧な」結婚と模範的な子供を手にするだろう。
だが、何かもの足りないというぼんやりした感じを持つ。
その人はそれらから自分を引き離すときのほんのわずかな時間しか、深い感情を表さない。
ついには、おそらくより深い感情に入り込む為に、人生の中にある危機感を作っていく。
その危機感は、突然の予期せぬ病気、事故、情事のような、あらゆる形態を取りうるのである。」

これらは、恐らくご本人のネイタルチャートの冥王星に顕著に顕われているだろう。
冥王星が太陽や月に合、ASCなどのアングルへの強いアスペクト、
もしくはハードアスペクトを取る人でイージーの調停や助けが見当たらない場合、
この状況が顕著に顕われると思われる。
実際には天王星、海王星と三つとも作用に関連していそうな。

心の奥底からの変容を求めていながら、自分の思い通りに整えたはずの現状をひっくり返す様な状況にはに耐えられない。
なので、そのはけ口として上記の様な状況設定を無意識のままに仕立て上げている。

強烈な自己愛と自負心、身勝手な安いプライドや支配欲が本質を何故か深刻な状況で表現してしまうようだ。
誰かが自分を都合よく今の状況よりももっとパワフルな立場に置いてくれればいいのに、
という自分本位な世渡りばかりを考えている結果である。
自分の都合良く周囲を全て把握しコントロールしているつもりが、
結果はこの様に自分への頑固で身勝手なブロックとなる。

本当は自分から変容していくこと、周囲を自分の犠牲にするのではなく、
自ら変容していくために傷みを伴うことを承知の上で生きられたらいいのだけど。

自らを欺くことは最初は簡単だけど、嘘の上塗りが続けばいずれは剥がれていく。
それが丸裸にされた時、自分のプライドと思っていたものの実体を目の前で知った時、
その人はどうなるのだろう。
眼をそらし続けた結果がどうであれ、その人の心の奥底までは欺けない。

現実感覚のみでは手に負えない外惑星達は、
人の心の奥底から何かを引き出させ、吐き出させ、激しく揺さぶってその人自身を露わにして、
全ての新たな思いの種を植えてから去っていく。
何年も掛けてじわじわと。

独りよがりなままであれば、身の破滅や底なしの孤独と病が待っているのかも知れない。
何らの手応えを掴んでこの世界へ暖かい何かを、と思えたなら、
全てをゼロにして裸一貫からの再出発も可能。
得てしてそこから新たな活路を見出して生きられるかどうかの瀬戸際への設定が、
手に負えないお三方な天王星、海王星、冥王星のお役目の一つかね。

その人がそれまで何を感じて、自らの中に何を培って生きて来たのか、
何をしたいと思って産まれて来たのかを、おそらくはそんなところを知らせるために。
宇宙の恩寵は誰かを犠牲にすることなく、自ら身一つで受け入れる用意さえあれば、
きっと最高のお宝を用意してくれているんだと思う。

そして、自分のネイタルチャートの外惑星への土星が強いアスペクトを形成する際は、
自らの精神面での変容や発展への疑いや揺さぶりを掛けられているような状況でもある。
ダメ出しをされているように思っちゃいかん。
実は、これこそが自らのハイオクターヴな思いへの再検討と再発見なのだ。
何を何処まで信じるのか、変容を受け入れて行けるのかを問いただされている。

覚悟、といえば大袈裟に思えるけど、実は自分の再確認ならば何を言われようと検証すればほら、このとおり。
自分の思いの核のところへの確信がみるみる湧いて来るのだなー。 

頑張れ、私のネプチューン、プルート、そしてトランジットサターンとガチンコ真っ最中のウラヌスよ。 
応援してるぞー。 まだトランジットのジュピターも水瓶にいるしね。

        .:*:・'゚☆。.:*:・'゚★。.:*\(`・ω・´) /.:*:・'゚☆。.:*:・'゚★。.:*

追記

飽くまで推測ながら、
個人的にこの手のブロックは現実生活の中で土星が作用した際に出来あがるのかと仮定している。
現実の冷ややかさと厳しさに耐えられないと感じたり、大人として成熟した考え方を持つ事を拒否した時に、
結果として本人が受け取っているプラネットのエネルギーをブロックとして使用するのではないかと。
.07 2009
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Prince of Uranus

天王星的音楽(天空的ヒーリング?)のメモ

http://www.youtube.com/watch?v=vIihYBIGHto
http://www.youtube.com/watch?v=ZGIEwvOySVA&NR=1

惑星記号は面白い。 上手くできてるなあと。
天王星のマークは発見者の苗字HerschelのHを図案に取り入れているのだけど、
私にはこれがなんだか電波を出したりするアンテナみたいに見える。
そして、冠をかむった人の頭にも最近観えたりする。

彼は今の私にとっては、実に興味深い。
眼に観えない不思議な光の冠をかむって天王星から舞い降りてきた?みたいな。(笑)
そんなルックス。 インタヴューの発言もことごとく天王星的に思えてならない。
仕事も何かのしがらみじゃなくて、自分がやってみたいことをできると思ってて、
その通りにやっている。

外資系の店で彼プロデュースの新譜を試聴したのはほんの半月程前で、
これがとんでもないモノで。

彼のソーラーチャートを慌てて簡単に出して自分のネイタルチャートとのシナストリーで観たら、
少なくとも私的に強烈なヒーリング装置を標準装備している人。

彼のネイタルチャート          (自分のネイタルチャート)
金星魚25°天王星蠍25°でタイトなトライン(Nキロンと海王星1°差で合)
射手海王星22°で水瓶太陽16°でセキスタイル(Nの射手22°のMCと0°で合)
牡牛キロン9°              (Nノースノードと0°で合)

彼のネイタルチャートのヒーリングと覚醒に関するプラネットと感受点が、
自分のヒーリングのポイントにことごとくダイレクトヒットしていた。
こちらの金星、海王星、キロン、ノースノードが、彼の金星、天王星、キロンと、
それぞれぴったり。

そんな事に気付いたのがほんの半月程前の夏の終わり近く、
もう蟋蟀の声も聴こえ始めた頃だった。

Perfumeののっち、かしゆか、あ~ちゃんの三人がまた魚座の女の子っぽい空気だったりする。
ふわふわのやわやわで溶けて消えそうな甘い声とルックス。
グループ名からして海王星的だったり。

エレクトロニカな処理を施されたロボ声は生々しい肉声とはもう違う。
あっさりと真っ直ぐハートに届き、しがらみも何も無い。
聴く人のコアなところを解き放って限りなく宇宙にまっすぐ放り上げる。

中田ヤスタカ氏の金星魚ということを思えば、彼女達は産み出した作品を表現してもらえる最高のモデルの一つになったのだろう。
本来のユニットcupsuleも一つ本気で聴いてみた方がいいかもしれない。

そんな彼はもうすぐサターンリターンを迎える。
素晴らしい。

で、今では他のエンジェリックな音源と共にヘヴィーローテーションとなった。
今日もまた、彼の音源を聴きながら、満月の光を浴びながら夜道を。
虹色の真円の輪が掛かっている魚サインの満月をずっと眺めた今夜、私は一生忘れない。



Have a nice day!
be in a good mood yeh!
in all the world
love the world

Thank you, Mr.Universe!
.05 2009
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私に足りないもの

水のサイン(蟹、蠍、魚)の180°対抗は地のサイン(牡牛、乙女、山羊)。
火のサイン(牡羊、獅子、射手)の180°対抗は風のサイン(双子、天秤、水瓶)。

当たり前だけど、よく出来ていて、自分に足りないものは目の前にあるってことで。
メンタルな所はだいたい眼と鼻の先にあるのに気がつく様に出来ている。

感情的になり過ぎるならば地に足をつけた考え方を。
行動力が暴走するなら知性と批判精神で落ち着きを。
現実の利益優先しがちだと指摘されたなら、共感する気持が必要。
醒めた態度と頭でっかちさを指摘されたら、自らの意志を表明できる様に。

誰かがいれば必要な何かを教えてくれるという、180°の向き合う世界。
私と誰か(あなた)、個人と大勢(団体)とか、誰かとの関連付けに使う事が多いと思う。

一つのサインに星が固まって入室しているのを、
特にオーバーロード、マジョリティ(場合によってはステリウム)などというけれど、
背負うものが大きいと観る人もある。
これは私も否やは無い。
私の所にはそういうタイプの人がかなりの率で訪れる。
自分が太陽含めた魚オーバーロードだからか、知り合う人もそんなタイプが多い。
太陽月が同サイン、新月生まれとか。

いわゆるオーラが出ていると言われる、解りやすい個性の出方をしている。
自分に取って最も関連を持ち難い天秤サインでも訪れるクライエントさんは、
オーバーロード持ちだったりする。
ASCが明らかに別のサインなのに、ルックスや空気は本当にオーバーロードサインそのものだし。
そういうタイプのチャートの持ち主に限って、実はそのサインが得意とするはずの分野で悩んでいるという。

やはり背負うものが大きいんですかねえ。

自分に限って言えば、対抗の乙女サインは同性は苦手で異性ならば頼りにする。
特にASC、太陽金星水星乙女サインの同性に対しては負けず嫌いさ絶大になり、
相手との対決姿勢となる。

自分に足りないものがあると思わせられるのが嫌なんでしょうなあ。
なのでことさらそういうタイプの同性に妙なコナ掛けられた日には、
パワーを込めた言い方で最初にガチで勝負することがある。
相手からすれば大人しそうだからちょいと小馬鹿にしていたら、
いきなりストレート喰らって鼻折られるか、眼の回りパンダの痣みたいな感じになってしまう。
だけど、もうちょっとスマートにやりたいものだ...。 (´・ω・`)
多分、乙女冥王星天王星世代での強烈さってのも理由にあるな。
世の中に役に立たないヤツとだけは思われたくないと。 

それはともかく。

自分に取っては太陽やオーバーロードの対抗サインが示す事は現実世界の憧れ要素だ。
それでもサインが偏って強調されているという事は、
どうしてもそれをやらねばという並々ならぬ思いを持っているんだろう。
得てして若いうち程そのサインへの反抗心は湧きやすい。

凄く優しいんですよねー、繊細ですよねー、などというのは水サインオーバーロード持ちへの褒め言葉みたく、
鑑定の際になんとかの一つ覚え的に言う人もいるようだが、
自分や他の蟹蠍オーバーロードの人からすれば、実は迷惑千万だったりする。
そんなことを期待されるのはー。
足元すくわれやすいんだ、どのサインでもマジョリティ、オーバーロード持ちというのは。
バランス取るので精一杯だから。

繊細なんてのは褒め言葉でも何でもないっすよねー! まったくよー!
などと蟹オーバーロードな人と盛り上がったりもする。(苦笑)

最近は十年振りに薔薇園芸を再開したけれど、これがまた実にいい。
土と植物に同時に触れるのはグラウンディングの方法の一つとはいえ、
ただ樹々の緑を眺めるだけでもしあわせだと気付いた辺りで取り組むと色々気付くとこあり。

なのでオーバーロード持ち、特に太陽含めたものの場合は、
その対抗サインのエレメントをとりあえず趣味にしてみると落ち着き取り戻せます。
対抗するエレメントでイージーアスペクトに関する事であれば、
なおの事愉しくできたり、友人関係を持つきっかけになるかもしれない。

人間は多面体だから、自分独りじゃどんな面や色や光があるのか自分じゃ気付き難いので。

やっぱり背負うもの、ちょっと多過ぎる設定な気がする、一つのサイン過剰というのは。

嗚呼そうか、サインに関する事でプレッシャー感じるから、
そこから逃れる事ばっかり思うんだね。
受け入れろって言われているのかね、サイン過剰というのは。
何かの償いなんですかねえ、もうこんなにも激しく特定の要素を強めているというのは。
.03 2009
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Serie Fantastique

トランジットのノードのメモ

ノードが個人の太陽月やパーソナルプラネットに掛かった時に気付きがある。
アングルにノード軸が掛かったとき、反社会行為なら暴露、
前向きになら自分の本音に気付いたり、何かを自ら披露発表することがある。

こういう辺りがプラネットの木星土星ともよく似ている。
本当に自分がしたい事がなんなのか、知らず知らずのうちに軌道修正掛かる様に状況を仕立てあげられるようで。
これももまた宇宙の人への計らいと思う。

バーバラ・アン・ブレナンの光の手は私には面白くて何度も読み返してしまう。
ヒーリングはもっぱら施術受ける側だけど、施す側の立場を理解するのに役立つ。
上巻は学術用語での説明が多いがカラー図版も多く、
観えようが観えまいが能力に関係なく興味深く読み進められた。
ヒーリングにも段階を踏む事、ヒーラーが自らの変化の受け入れ姿勢、
クライエント自身と協力者である導き手達への尊敬の思いなどが下巻で説明される。
その最終のくだりは圧巻でもある。

図版には色んなタイプのエネルギー状態が説明されていて一番ショックだったのは、
コカインを吸引した人の顔に掛かる汚れた粘塊のようなものだった。
煙草よりも安全だから解禁しろなどと一部で言われているマリファナですら、
このエネルギーの汚れを産み出すのだと。

気分よくなりたきゃ自分の脳内麻薬出せる様にすればいいんですけどねえ。
お手軽に金でなんとかしようという、しかもお金と言うエネルギーの使い道間違ってるじゃん、
という意識があるからかもしれない。
所詮は社会禁制品。
罪悪と自分で解っているから、余計に粘ついた汚れを自らにくっつけてぼんやり生きるのかな。

社会の中でトントン拍子にいった人、土星がノーアスペクトだったりアスペクト自体が弱い人は、
突然自分の身分が変わる様な事がある。
思いがけない移動、自分の意に添わないから逃げてばかりいた事に直面させられる。
そんなときはノードリターン時やアングルにノードが掛かった時。
社会での状況変化について行けないのは、チャートの情報では恵まれているのにお気楽に自分だけが善ければ、
と自分本位に生きて来た人だ。

自分という存在は、確かに一人きりではない。
合成麻薬やシャブを手に入れて最先端の遊びぐらいの気分に浸っていたら、
社会的制裁受けて、取り返しつかない状況になって初めて気付く自分なんて、やっぱり痛い。

水瓶海王星キロン木星絡みらしい話でもある。 
お気楽に酔っぱらっても、グローバルに思いを展開してもどっちでもいいー、
アンタの好きにすればみたいな。
ヒーリングかジャンキーか。 
選択と肚の括り様を示されるのだな、ノードで。

両極端な気がするのは、水瓶天王星と魚天王星のミューチュアルリセプションの影響でもあると思う。
連日のテレビニュースで水瓶と獅子に自分の太陽や月を持つ人達の思いは複雑だったと思う。
だけど、そこで何かのUnderstandingそれぞれが得やすかったと。
今は山羊と蟹に移って、やっと少しずつ自分の内側の整理つけ方が観えて来た頃かも。

こういった行為に携わったり、受けるときも、実はお互いにノードの絡みや日蝕月蝕の絡みが強く出ていると思う。
ノードはノースとサウスの180°対極の事を示唆するので、常に社会性とか人間関係のあり方を模索させる。

バロウズとギンズバーグの「麻薬書簡」を読んだ時には、なんだか爽やかな風でも吹いてるぐらいな感じ。
バロウズ自ら語った様に、「ジャンキーと言う一つの生き方」として貫ければ、
これもまた一つの有り様だったりもする。

麻薬書簡 再現版 (河出文庫)麻薬書簡 再現版 (河出文庫)
(2007/09/04)
ウィリアム バロウズアレン ギンズバーグ

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予定調和の現実から逃れつつも、現実をやっぱり生きていった二人の奇妙なやり取りが、
不思議な生活感を帯びていたと思う。

個人的にはトランジットのノースノードがASCに、サウスノードがDSCに掛かった時にこのブログを開設したのだった。
なんとなく酔っぱらった感じで書いてる気もするな、なんだか。
天王星が牡羊に、海王星が魚にイングレスする辺りでは、ここもどうなりますやら。
.01 2009
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プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

当方では対面、メールでの有料個人セッションのみとなります。
ブログ上でのコメント欄での一個人のリーディング依頼はお受けいたしかねます。

Webサイト・ブログ、印刷物等への転載はお断りしています。

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