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Repair
TVをまめに消す事が多いけど、その分有益と思える情報がバシッと眼に飛び込んで来る事が多いと思う。

冥王星メモ

旧式の銀板写真を再生させる人。
褪色して画像がぼやけてしまったものを一度特殊な薬剤を使ってまた復活させるのだ。
その薬液に浸けると全ての画像が一度完全に消えてしまう。
「完全に消えた様に観えますが、実は情報は残っているんです。」
と彼は説明する。
その後、他の薬剤にまた浸すなどの独自の匙加減と行程によって、
一度は褪せて観え辛くなった部分も全体も全て同じトーンで見事に撮影当時のままに復活するのだ。
この結果は鮮やかだった。 古い写真ながら肌の質感までも蘇るのだった。

今の情報はデジタルであっさりと一瞬で消してなかった事にしてしまえる。
旧式のメモリー装置であるフィルムや銀板写真は残してさえいれば、
後々復活させる事も可能だ。 

欠けたり割れた食器を漆でかけつぎして直す人。
お気に入りの食器を手放せない人は多いらしく、彼女への修繕依頼はひっきりなしだという。
その仕上がりもやっぱり凄かった。
ピカピカの新品では出ないであろうヒビやかけつぎの後の漆の色と模様が、
まるっきりアート作品だった。
これか、彼女の仕事振りに依頼殺到なのは。
もうそれまでの食器とは似て非なる美が新たに産まれているのだった。

復活再生というのは、その行程で一度は消滅破壊のダメージがあるので、
表面的な気持にとっては、あまりにもショッキングだ。
下手すればそれでおしまい、というのは、まあそれまでのモノだったんだな、
というちょっと見には冷酷な最後通牒でもある。

自分本位の考えと行動のみで人生を謳歌して来た人達が何かに気付く瞬間にも似ている。
一度全てを失うのだ。 
自分が最もお気に入りの、最愛と思っていた何かとか。

実はただの自分一人だけの欲望と執着心だったんです、
自分が正しいと思い込んで周囲に押し付けていただけなんです、
と感じた時に目の前に現れる何かは、不思議な光を帯びていたりしないだろうか。

実は「消えた様に観えて、情報は残っている」という事実に普段は誰も気付かない。
表面的な意志と感情ではその消えた何かや、消えたり壊れた意味が解らない。
それが集合無意識というところに貯め込まれて行くのかどうかは、
観た事ないけれど、何処かにレコーディングされて全ての事は残ってたとして別に不思議は無いか。

何十年も掛かって再生する、再び現れる、新たな息吹とかそれまで気付かなかった美とか。
リバイバルはその時に必要とされた時に必ずそうなるように顕われて来る。

一旦はゼロに戻されたところで、また誰かが拾い上げるのだ。
写真や器を再生させる彼らの表情は共通して穏やかで美しかった。 
「綺麗」とはこういう人の事だ。
人間の叡智や優しさ、というものが自然と滲み出るには時間が必要だ。
この現実世界では、何かが一つ死ぬという行程が必ずある。
その向こうの何かの今まで知らなかった美と世界を知る事が出来るのは幸運だと思う。

そして実はそれがかつてはよく知っていた、美しい何かを思い出した瞬間かもしれない。
胸から熱い何かが込み上げて来る時は、その何かが昇華していった時とも思う。

彼らはその為の薬剤や漆の調合や開発を、自ら誰にも観えないところで行っていたわけ。
何かの配慮というものを感じさせる人々でもあったり。

観えないところの情報の膨大さとその階層の全容は、
ほんの百年程度の時間の間で生々しく生きるうちに知る事はできないんだなあ。
だから何度も再生して色々観たりやりなおしたりしているのか。

なんか正直面倒だなあと思うけど、また産まれるときはウキウキワクワクなんですかね。
全然覚えてないけどさ。 あんまり知らない方がしあわせな気がするし。
365歩のマーチ
太陽と月のアスペクトメモ

太陽月のトラインは特に吉相と昔から言われたものだった。
現代ではどうなのかと言えば、前のエントリーでも書いたのだけど以外に周囲との齟齬が出やすいものになった。
自己矛盾が無いということは、今の社会の中では逆に使い勝手に限定条件がある人になった、
ということなのかな。

実際、ハードアスペクトの人は仕事ガシガシやる一方で、
イージーな人は使えねーと思いがち。
どっちもどっちかもしれないが、どちらも必要とされてるのは変わらないんだけど。

実際にはこのイージーアスペクト持ちの人はそこそこ社会運は善い方。
なんとか食べているし、仕事だって確保出来ていることが多い。
得てして保守的な場所であれば大丈夫。 
或は世襲制的な空気の場から飛び出さなければ、OK。

太陽月のスクエア、オポジション、クインカンクスなどといったハードアスペクトであれば、
その人には常に緊張感と自分の中の矛盾と対峙して生きていく。
子供時代から何かを客観的に観る癖がある人もいるかもしれない。
自分の普段と不意に出る癖や反応の違いに気付いた時に、愕然とするのだ。

私の場合で言えば太陽と月はアスペクトを組まない。
サイン的にはクインカンクスという最も結びつきの有り得ない位置関係になる。
しかも月はシングルトンでたまに暴発する。 あまりの意外性に周囲をビビらせたものだ。
私もそんな自分の質の違いに子供心に気付いた時には嫌で仕方なかったが、
最近やっと受け入れて前向きに対処しだしたようなものだ。
占星術なんてのはそんな使い方で良いと思うがなー。

世間(客観)と自分(主観)との間には現世的に観れば距離や質の違いがある。
幼少期に気付かされた人の心は早いうちから多面体であることを意識させられる。
敢えて自分の中の質の違いを知るための試みがそこでなされるわけだ。

一応、この世に生を受ける前に自分でチャートに表示される人生の青写真の内容は、
向こうの世界であらかじめ相談して決めた、
という前提で話を進めてみる。

太陽月のイージーアスペクトは基本自分の産まれた環境を受け入れて生きていくと決めたと思う。
ハードアスペクト、もしくは基本イージーであっても太陽や月のどちらかに他のプラネットが合、ハードであれば、
そこには途中で自分の馴染んだ環境への理解や考え方を広げる、変える必然性があるようだ。

得てしてイージーであれば子供時代の環境をそのまま大人になった後にも持ち込もう、再現しようとするのに比べて、
ハード、もしくは太陽と月の間はイージーでもどちらかに他のプラネットのハードアスペクトがあれば、
外に出て自立独立を促す事が多い。
得てしてその方がその人なりの発展性に繋がる。

ただ、気になるのは太陽と月トラインの人がいつまでも同じ様なしあわせの概念ばかりを願い続けている様子だ。
本来社会運がとても強いし、健康にも恵まれているだけにもう少しだけ頑張って欲しい気もする。
色んな人と出逢って、自分の主観は社会に受け入れられやすいが、そうでない人の矛盾と苦しさを理解していくように出来たらなあと。
太陽と月のトラインの人こそ実は視点をずらしたりちょっと変える努力を自らやってみてほしい。
転職までといかなくてもいいので、ボランティアでも副業やアルバイトでもいい、
そんな別の社会参加をしてみるだけの価値はあると思う。

だけど太陽月トラインの人に現実にそんな話をしたところで、
嫌よ、やりたくない、面倒だ、まあいずれは、などの拒否といいわけで迂回していく。 
目の前のお愉しみチャンスには気付き難いものだ。
平和過ぎて、今の環境を手放したくないから、自分に見合う結果だけがくればいいと。

しあわせは歩いて来ないって昔から唄われてるってのにー。

仕事場のシーンで無意識にやらかしてませんかね。
自分に与えられた以上の仕事はしない、自分からも求めてはいかない。
そして目上の人からはそれでもなにげに眼をかけて貰っているので、
つつがなくやっているけど、全体はよく解らないままでいる。
気がついたら自分に手が余る、嫌いだと思っている仕事をなんだか誰かがやってくれてて、
あ、ラッキー、なんてそのまま過ごしていないかねえ。

もしくはあなたが以前やった仕事を、誰かがまた再びやっている。
それはあなたが自分で気付いてない不始末を誰かが片付けやら、
やり直しを心ならずも引き受けているのかも知れないよ。

この場合、太陽か月のどちらかに他の星が合やハードアスペクトを取っている事がある。
またはASCとハードアスペクトであったりして、後々印象が悪くなる事もある。

本音をどこまで周囲の人と語れているのか。
周囲との齟齬に自分のASC、太陽、月とのサインを総合して見直しをしてみるといい。
もしも上記の様なことがあったなら、それは太陽月のハードアスペクト、
もしくは太陽と月の間にアスペクトを取らない人が、
後始末を引き受けざる終えない状況を作ってしまっているかも知れないのだから。
ハードアスペクトはそのプラネットとサイン、ハウスでの再調整とパワーセーブを余儀なくされるので。

それでも難しいだろうな。 
太陽月トラインの人が予定調和の中から出て行くのは、大変な勇気がいるのだ。
実はその環境に浸り切る事が一つ自分で仕掛けたトラップかもしれない、と思った時に、
何か変わったりするかもしれない。
トラインはパワーが居心地よくそこでだけループしてしまうのだ。
(特にグランドトライン)

実際にはASCの要素と相談して決める事になると思う。
ASCは肉体、その人が生まれ落ちた環境を。

太陽は父、心臓、意志、自分という顕在意識、科学的論理的思考、筋を通した考え方、現世での私、左脳を。

月は母、心、社会生活では気付かない潜在意識、感情的な感覚、野性的勘、パストライフ、右脳を。

この三つの兼ね合いで人は生きている。
人が死ぬ時、肉体(ASC)が死に、心臓(太陽)が停止し、最後に心(月)という魂のパターンが残る。

太陽が燃え尽きて終わった時に、人生も終わる。
その前に色んな太陽や月、ASCと出逢えばいいのだ。
約一ヶ月で一巡りする月は日々の生活のあれこれを、
一年で一巡りする太陽は生きて体得する経験を季節の移り変わりでも知らせている。

もうすぐ夏も終わるけど、その後に来る秋や冬だって生き物はいる。
真冬に咲く花だってあるし、花が咲いてない株でも根っこは生きているのだ。
移り変わる中をその人なりに味わいを感じて生きられれば愉しいのになあ。

太陽月のハードアスペクト持ちの人も、あなたの付けた足跡に綺麗な花が咲く様に調整色々してみてください。
そんなあなたの不器用さと衝突の傷、調整中のしんどさだって、宇宙は知ってくれている。
その記憶と感情は何時か使えるときがまた来るのだ。

世の中の草食系、肉食系というのも胡散臭いね。
まー、マスコミの提唱や雑誌の見出しなんぞを本気にしちゃいかんのだが。
あれも一筋縄でいかないのが実は草食系という空気出そうとしてる人達だ。
以外にもそんな雰囲気醸し出そうとしている人程、実は強烈な自我を感じさせたりもする。
以外にも肉食系などと観られがちなの方がイージーだったり緩かったりするような。

30代になって社会人やっていながら女子男子って呼び名はないだろう...。 (´・ω・`)
大人になるのをそこまで拒否るかい?
カフェ飯なんて大の大人向けお子様ランチ的なものとスイーツで生きられるかね?
どの店も同じ様なメニューの羅列だよ。
ちょいとフレーヴァー変えたって元が一緒だから。

一見して十年一日の如く珈琲豆挽いて紅茶葉選んでる店はしぶとい。
その上オレンジ色な柔いナポリタンがメニューに未だ健在だったりする昭和な純喫茶が未だに生き残ってたりすると、
おおー、凄い存在感だと思うな。

一見変わらないけど、実は深い奥に大人な香りとハードな味わいが。
ちょっと見には太陽月のイージーアスペクトくさいのに、油断ならない空気満載。

どちらのアスペクトも実はこの世は必要なんだよ。
一度や二度じゃ解らないスクエアやクインカンクスな奥まったところに気付いた人達は、
とっくの昔に紙コップやグッズ売り場つきカフェから離れて、もうそんな所にまた戻っている。
二十代の人達が自らそんな昭和な店を改めて自分達で開店していたりするのは、心強いものだ。
懐かしくも体温と緩さと高度成長パワーいっぱいのミッドセンチュリーな店や空間作りというのは、
一つ生命力を取り戻す儀式的な空気も感じるけどね。

最後はイージーもハードもどちらさんも景気よく声高らかに唄って終わりたいもんです。

そしてこの歌の3コーラス目の歌詞がなんだか凄い気がするんだけど。

♪幸せの隣にいても わからない日もあるんだよ♪
Cool Struttin' (Saturn & Neptune Version)
土星海王星メモ vol.2

世代アスペクトで土星海王星コンジャンクションというのがある。
以前書いたエントリーでTim Gunnの話を。(これ

Timには天秤で土星海王星がタイトに合のアスペクトがある。
世代共通なんだけど、双子金星木星の緩い合とのトラインになる。
この双子の金星と木星は決して品位が良好とは言えない。
木星などデトリメントになるけれどエクサルテーションな土星と組むからこそ、
パワーをよく発揮するんじゃないかと。

美の概念を現実のものに表現していく仕事、ファッション業界はそんな場所。
都会的ハイセンスというのは美的センスのなかでも山羊的な空気だ。
彼のASCは山羊ではないかと推測しているサイトの記述もあったけど。
確かに写真写りのいい肉の薄い骨格のはっきりした顔立ち、
太陽獅子でありながら、渋いモノトーンでシンプルなスタイルと最低限のアイテムのみで着回すことを推奨、
自らも白いシャツとダークなスーツスタイルがしっくりくる厳格なルックス。
無駄なものを一切排除した本質と現代性で勝負しろ!的な空気満載。

シビアな表情をしている割には、クライエントの過去のトラウマとそれを乗り越える様子に素朴に涙する。
魚の月が傷ついた人とか弱さへの同化を当たり前に誘うのだ。
意外な表情を浮かべたときの意表をつく感じ、不思議と誘い込まれる。

この辺り、まさに魚で太陽水星土星合のVeronica Webbといいコンビを組める由縁なのだろう。
Veronicaの水瓶金星はTimの双子金星とも親和性が高い。

土星は現実のビジネスシーンには欠かせない。
木星は助け合いや人脈を引っ張って来る。
TimとVeronicaも相互扶助し、TVの中で仕事を進めるパートナーとして社会に貢献している。
プラネットでは山羊キロンのみという驚く程に地のサインが少ないTimに、
牡牛木星と乙女火星天王星冥王星を持つVeronicaが手助けする。

この地上に形の無い夢や色鮮やかで美しいイメージを表現し定着させるには、
もうこれしか無い、これより他には出来ないんだ、という程の強い意志も必要だ。

才能があるよ、好きだよ、ぐらいの気の持ち様で取り組む人もいるし、
それで運良く実現してしまう人もあると思う。
とんとん拍子で行った先に、何が待ち受けるのか、どう乗り越えるかはその人自身の問題だけど。

これしか能がない、他に生きるすべは無い、という程の気魄は、
ただなんとなく入ってしまった人よりも強烈な印象を残す。
世代アスペクトに、パーソナルプラネットが関係した時、
そこには強烈な印象(オーラ)を醸し出す。

本来、土星もアウタープラネットの海王星もどちらもマレフィックと称されるものだ。
だけどマイナス同士はプラスに転化する、陰極まれば陽に転ずると考えるのなら。
合などの強力なアスペクトはその人の意志と実現を強烈に押し出して行く。
美の概念をタイトに、この地上に根付かせる土星海王星のアスペクト。

Timの土星はエクサルテーションの天秤、そこに海王星という世代。
獅子の冥王星世代と言うと、個人的にはバブリーで大仰というイメージながら、
洗練と言う武器を手に入れたその一方で、人の心の傷みの告白に涙する。
人魚みたいなやわやわの魚の月が不思議な印象を。
蟹の天王星と上手くトラインを組むのなら、まさに最強だ。
蟹火星水星は結構人の面倒を見たがる、放っておけない性分になりそうだ。

世代が違うVeronicaでアスペクトも似た様なものがあるわけではないのに、
これが上手くパズルピースを合わせる様に彼とのトライン様相を相互に作っている。
ノードも同じ風サインで持つもの同士、社会での助け合いは友愛の精神で。

バランスというもの、独りでは上手く取れなくても誰かとなら、という配慮があるのか。

生き馬の眼を抜くファッション業界とどれ程の虚偽が隠れているか解らないマスコミの現場で、
スマートさと現実を彩ることを仕事として実現させた彼らの身の処し方は、
美を解する情緒のみならず、現実と知性を上手く補い合えた結果だったみたいだ。

美のハイアーオクターヴの海王星をクールでエクサルテーションな天秤土星が後押しする。
この日常でのハイセンスな空気を演出するアスペクトだったのかね。

形無きものを、自分の中の美の概念に信念を与えて実現させるには、
という命題を持つ世代アスペクトかと思う。
それを地上に表すには自分の努力のみならず、実は誰かとくっついて共同で行うのがいい。
海王星の境界線を無くして広げて行く力と理想を信じる思いは誰かと分かち合ったり、
繋がりを必要とするだろうなあと、つくづくこの二人のやり方を観て思うのだな。

そして何か時代を超えた普遍性を感じさせるのは、
土星にアウタープラネットが絡んだもの独特の空気とも思う。

自分の夢やイメージを実現させたいと誰かに伝えるには勇気が伴う。
それが常識としてすぐさま受け入れられるかどうか、
反対や嘲笑、無理解から諦める人がどれだけいるのかとも思う。
それがタイトにアスペクトを取れば、実際に動かなくてはならなくなるようだ。

そんな時に、それを実現させた人、多分世間的には「成功者」といわれるのだろうが。
だけど、現世的な成功以上の何かをその言葉の奥から感じ取れた時、
次の新たな夢の実現化が始まるのかもしれない。
現実を高みに引き上げたい意識が、土星とアウタープラネットとのアスペクトと思う。
Eternal field
土星海王星メモ vol.1

日常はタイトに自分を絞り込んでがっちり枠にはめなきゃならない。
辛いながらも「常識」「ルール」ってのがないと、現実が動かないんだけど。

非日常は緩んでいい感じでどうでもいいーなしあわせ感を味わってる時で、
どちらも無けりゃ人は死んでしまうよりほか無いんだけど。

それでも非日常を味わっている時、どこかに還って行く気がする。
その何処かは、実は遠いのか近いのか、この土星な世界の時間軸をやっぱり越えてしまった感じがする。
世界はやっぱりパラレルな構造しているもんかね、どうだかね。

土星海王星は時空を超えた何かを信じたい、
形の無い何かを実現化したいと思う様相だ。
美を実業化、商業化するのに向く。 作家としても。
社会に向けて行うQOL(医療の分野のみならず)の一環としての作業を行う際にも使われると思う。

人は現実(土星)と夢(海王星)の間で生きる。
どこまで夢を観られるか、そのうちのどこまでを実現できるのか、
実は知らず知らずのうちに取捨選択の後に取り組んでしまっている様に思う。
自分は本当のとこ、何がしたいのか、と思った時に実は海王星と土星を使っている。

心からの何かを絞り出す時、海王星から土星が何かのエッセンスを絞り出すのだ。
夢や理想のイメージと感覚を形にする方法を思いついた時に、
形として残ったものがまた時間が経って、誰かの心に印象として根付くと思う。

レコード、CDなどの音源、楽譜なんてのは土星海王星アイテムって感じで解りやすい。
時代を超えて形が無い印象がそれぞれにアレンジされたりして、
誰かの精神の中に種蒔かれて引き継がれて行くのも面白いものだ。

永遠の何かがこの地上に。

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ハードビスケット
ハードアスペクト関係メモ

太陽月に土星ハードアスペクトがある場合、それを意識しているかどうかで変わるが、
トランジットの外惑星が合となるとイージー(ソフト)アスペクトが効いている人よりも厳しい状況となりやすい。
なのでスクエアなどのハードアスペクトをネイタルに持つ人に安易に「課題」「成長」など、
下手な励ましみたいなアドバイスなどするべきではないと思う。
ましてや、Tスクエアは力の逃げ場、逃がし方をよく観て探しておく。

私的にスクエアというアスペクト、出会い頭の衝突事故という感じ。
T字路や四つ角を自分の好きなペースで勢いよく飛ばした途端に大事故、って感じ。
アワ喰ってどっちがいけないのかとその時になって慌てて現場検証しているみたいだ。

ハードアスペクト自体がブレーキの使い方や、制御を促す装置のようだったり。
だけどコントロールの仕方を学ぶためっていっても、正直楽じゃないよね。

こんなスクエアは最初のうちや、自分独りでは観え難い要素。
学校や社会の中という対人関係と枠組みとの両方がある中でやっと観える。
そしてオポジションと違ってスクエアは調停座相が使えない。
なので、その分気付いてないところをハッキリ指摘するときには、明確に伝える事。
目に余る場合も正直感じるのでね。

木星の場所、サイン、テーマとそこでアスペクトを取るポイントが使えるか?
アングル注意。 節目をどう転換期に使えるか。

冥王星1H通過、太陽月への合などのアスペクト形成時は心して置く事。
受け入れるにしてもかなりの大仕事と思っていい。
その人の心の奥(の闇と本人が思っている場所)を清めていくイメージが持てる様に。

t冥王星と各ハウスルーラーとの合をいずれ検証する。

太陽月にハードアスペクト、特にスクエア持ちだと自分を素直に出すと周囲の反発を喰らいやすい。
得てして周囲から観てアグレッシブ過ぎる。
プラネットのどちらかが常にパワーオーバーしているため。
これは本人が気付き難い要素で、対人関係という相対性のあるシーンで初めて気付く。

カーディナルでは自分のペースでことを運びがち、自分も周囲も振り回す。
(自分本位に行動、アグレッシブ過ぎて周囲の反発を招く)
フィックスでは相手に文句をつけながらも、何か形勢不利になると自己保身。
(自分で動かず、重苦しい空気を醸す。 誰かに結果を持って来させようとする)
ミュータブルでは一生懸命ながらも空回りしてただ疲れてしまう。
(ただ周囲の状況に振り回されているばかり)

周囲との齟齬が現れた時が、ハードアスペクトの手綱の取り方を覚えるチャンス。
なぜ周囲は自分に批判的だったりドン引きなのか。
自分一人が貧乏くじ引いてるみたいな気分になるのか。
そんな辺りに気付くとき。 自分が如何にこの要素が強過ぎるのかが解る。

ただし、太陽は意識しやすいが月のハードアスペクトはどうしても気付き難い。
前にも書いたが、人は相対性の生き物だ。
そして変化する生き物だ。 それが進歩かどうかはまた別なんだけど。

社会でも家庭でも上手くやって行く為には自分を出せない、
というその苦しさを汲み取っていけるように。

イージーアスペクトも使える人ばかりではないけどね。
特に女性原理である月、金星のイージーは個人的にしか使えていないと、
あまり魅力的にはならない。 
その人の魅力、チャーミングさを社会の中で分かち合える様に利用していく。
大衆性や人気に関係するので、月金星イージーアスペクトは社会的シーンに置いて、
むしろしっかりと意識して使って欲しい。

一つ気になるのが、月金星ハードアスペクトの男性。
得てして自分に甘い、または女性をルックス重視で選びがち。
(つまり自分に合う要素をよく解っていない為、生き物としての勘が鈍くなっている。)
なので、どこかで軌道修正が掛かって失敗、失脚といったハードな状況になる。
生活、愛情、金銭といった月金星テーマな事で厳しいことになってしまう。

イージーアスペクトの場合は、適当な所で妥協策を見出しやすいという感じ。
好意的な言い方ならば、欲が無い、足るを知るというポイントを知っている。
そのかわり、一定のところから上には上がっていかない。
向上心がないというより、それ以上の何かを求めると言う飢餓感に欠ける。
緩い、温い、それがイージーアスペクトの長所であり短所。
その場の受け入れ方と喜びのポイントを見つけるのがイージアスペクト。

イージーアスペクトは欲が無い代わりに自分から変化を求めて行かない。
なので実は現実と夢との間に齟齬が産まれたとしても、その理由が自分で解らない。
太陽月のトラインも前に書いた様に混みいった心理的な話題にあまりついて行けない感じ。
子供の頃の環境をそのまま大人になっても当てはめようとするところに、
年齢を経てもあまり成長していない空気を感じたりもする。
育ちはいいのだが、それゆえに世間知らずな空気を漂わせている人も多い。
ただ漠然と好きなものが目の前に来るのを待っている、という感じ。
自分から積極的に求めて行く気概に欠けているようだ。

ハードアスペクト、特にスクエアは二者択一的な事情になりやすい。
どちらも過剰になるため、相互のプラネットが反発しているのを押さえるには、
結局どちらかを捨てて残ったものを取る、それで「我慢する」といった精神状態。
どちらを選択したとしても、残った要素を断ち切った無念さがあるようだ。

イージーアスペクトは「もう、これでいい。」
ハードアスペクトは「これでないといけない。」「これじゃないと嫌だ。」
という感じがするんだけど。
バイタリティはやっぱりハードアスペクトが強く押して行く。

ハードアスペクトでも、プラネットの品位がディグニティやエクサルテーションだと使い勝手がよくなる。
マレフィック、アウタープラネットは合の場合もハードアスペクトとして観ている。
合は本人が一番気付き難い要素。

トランジットで土星木星がハードアスペクトに来た時には、自己改造の機会として。
ハードアスペクトを最終的に創意工夫のエネルギーとして使える様に。
周囲の反発を喰らうが故に、土星で洗練、木星で知識を吸収して見識を広められる様に。

ただ先にも書いた様に、イージーアスペクトでホッと出来るところ、
緩められる場所や要素、調停してくれる存在などがハードが多い人には必要。

イージー優勢の人は油断しないように。 
ハードなトランジットとプログレスで一気に崩れる事がある。
ハード優勢なら普段のストレスを上手く逃がすように。
木星位置と調停してくれる友人知人を持てる様に努力。
トランジットとプログレスで弾みをつけられるかどうか、
それまでの努力の成果がどちらも問われる事忘れない様に。

ハードアスペクトが複数ではなく一つだけ、かなり少ないという場合が要注意。
唯一の弱点となっているため、そこをプログレスやトランジットで刺激されると、
普段イージーで油断している人には危険な状況になるので。

普段の生活ではハード、イージー、どちらさんも土星をしっかり意識して使ってね。
土星はこの地上での現実生活。 
自分で早いうちから意識して使える制御装置。 
グラウンディングのポイント。
忍耐の後に得られる価値、そして信頼。
物事や考えをまとめ上げる時に必ず使いますんで。

実る程に頭を垂れる稲穂かなって感じでゆっくりと。
手順を踏んで、時間を掛けないとどちらも価値が発揮できないのです。

そしてハードアスペクトが正直辛過ぎる、嫌だと思いや哀しみがある人に。
結局自分を出しすぎずにセーブや我慢する方法を学ぶ事にはなるんだけども。
そこで得られた何かに、いつか「これでいいのだ。」と思える時がきっと来る様に。

自分を出す、出したいんだ!としてもそれが強烈ならば世間は反発しかない。
最初のうちに挑発されれば刺激はあって面白いけど、
衝突を厭わない激しさやバッドテイストは長くは支持されない。
それが生命力を最終的に削いでしまう、生存の危機を感じさせるからかと思う。
渡る世間、特に非常事態でない時にに通用するのはやはりマイルドさであって、
最終的には包み込まれる様な自然な有り様を選択していくんじゃないかなー。

人は、自分は、周囲はハードアスペクトの中に何を見出せるか。

「中庸」というのは実際片寄り、こだわりや囚われた思いが無い事だという。
ハードアスペクトには自分でも気付かないこだわり、囚われがある事に気付くアイテムかもしれない。

イージーであれば肯定的に捉える。 
(周囲のその様子への反応はまた別)
ハードであればそれに疑問を投げかけたり反発して自らなんとかしようと手を出しがち。 
(手を出して何かやった後の結果と周囲の評価は別)

どちらもその後の検証と反省材料があるか、理解度がどの程度あるかが大事。
木星土星の判断力が必要だねえ...。

与えられたしあわせで充分と思うのがイージーアスペクト。
自らどうしても自分が思うしあわせを掴みたいのがハードアスペクト、ってとこか。
どちらにしても満足したいのだ、人というのは。

せっかく産まれて来た以上は、何でも愉しくして何か身に付いて、
その人なりの美味しい愉しい思いを味わって終えたらなによりだと思う。

また時間が経てば書き足すかも。

Lucy in the Sky with Diamonds
しばらくタロットカードの話なかったような。
ネタ的にちょっと時期がなんかアレだったので、控えてましたがそろそろ。

メインデッキとしていつも必ず使うのはAquarian Tarotなんですが、
これ、持っている人ならすぐに気付くのは色合いが全般に明るいという所かと。
実際の色合いは手に取ってみればオレンジと朱赤が効いた色合い。

絵柄そのものはアールデコ、人物表現などは明らかにクリムトの影響が濃い。
人物表現を強調していて、バストアップや顔のアップが多い。
その分象徴を省略しているところもあるんだけど、他の表現を強調しているので解りやすい。
斬新で人間の理想像を強調した感じ。
70年代に発表されたこのデッキが水瓶座時代のデッキという名前で出たのも意味があると。

で、この色合い、最近になってどうもLSDのトリップで得られると言われる色彩感覚が元じゃないかと思っている。
オレンジと赤の鮮やかな色彩の夢を観られるのだと言う。
これはこのデッキを手にして初めて人様をリーディングした辺りでなんとなく気付いた。
このデッキを使うと冴えるというか、かなりこの絵柄自体が目を惹くんですよね。
特にタロットカードというものを全く知らない、
占いというものにすれていない人が観ると、綺麗だと。

Aquarian Tarot DeckAquarian Tarot Deck
(1988/11)
David Palladini

商品詳細を見る


70年代のアメリカで発表されたこのデッキは当時に時代の匂いそのままに、
全く古びる事無く今ではすっかりU.S.Games. Systems.Incs.社の定番商品となった。
作者のDavid Palladini自身そんな時代の中でそんなLSDの幻覚の暖色の煌めく感覚を得たかどうか、
公式に確かめるすべは無いけれど。

このマーマレードみたいなオレンジと朱赤を引き立てる様にアウトラインのしっかりした絵柄に、
フォレストグリーンと水色、黄色、ヴァイオレットピンクが効いている。
この色の組み合わせ方も絶妙だ。
インパクトがあるのに展開すれば綺麗にまとまっている。

そして出て来る答えは全てきっぱりとしている。
なんのしがらみも感じさせないし容赦はないけれど、人間讃歌に満ちている。
有りや無しやの表情のカードの登場人物達だけど、真剣な思いやりがあるのだ。
その人なりの美しい愉しい悔いの無い人生が送れる様にと、
どのカードの人物も応援しているようだ。

このデッキの事をネットで調べていて、霊能関係者のクライアントにこのカードを展開した所、
頭が痛くなった、という感想を貰ったと言う同業者の記述に行き当たった事もある。
そのぐらいビリビリ来る様な覚醒作用があるということか。

水瓶的、天王星的なこのデッキ、パッケージが愚者の絵柄で有名になった辺りも解りやすい話。
最も美しい愚者だと思うな、やっぱり。
ふよふよ
近況

先週届いたeshasさんからリーディングしてブレンドして貰ったマジカルオイルを付けてレイキしたり。
柑橘系とウッディな爽やかさ、グラウンディング効果の高い香りでした。
オレンジスウィート、グレープフルーツ、レモン、プチグレンなどのエッセンシャルオイルは、
リラックスのみならずリフレッシュ効果、結果として夜の安眠効果があったり。
ウッド系の香りからは太古の森みたいな空気がします。 
子供の頃から白檀の香りがウッド系で一番好きだった、と思い出したり。
最近ちょっと寝付き悪くなってたんですが、使うとそれが改善されるみたいです。

で、先日はかちしんさんに波動走査官としてマンダラ捜査を依頼。
ブログはもっぱらロム専だったのですが、二年程前にクリスタルの事調べてて行き当たったのでした。
ちょうどまおさんとこと同時期だね、そういえば。
晒しちゃってみたり。(結果

いやー、踊ってます。(笑)
なんかあれ、ふよふよ漂ってるヤツ、小ネタ集って感じですよ、なんか...。
黄色い帯が蛇行してるってのは、うーん、占星術ネタ的に言えば、水星がASC合だからか。
IC(魂のグループというか故郷?)も双子だしねえ...。
黄色って双子、水星に関連する色なので。
読んだり書いたりが好きなので、それでエネルギー統括しようとしてるのかな。
双子サインには二つの事を同時にする、という意味もあるけど。

あれですね、「上のものは下に、下のものは上に。」という言葉思い出したな。
なんだったけ、どこで見かけたんだろう。

モノを書く時、実際私は色んなネタを書いてるうちに思い出します。
なので、書き出しはあまり考えずにその時思いつくままになんとなく始めます。
それを削ったり、移動させたりしているわけです。
これはアナログな原稿用紙などに書く時には面倒ですが、
PCでのテキスト書きならいとも簡単に出来てしまうわけです。

なので書き出した最初の文章が、結果として真ん中や最後に入ったり。
最終的にかなり変化します。
キーボード操作でなんとなくしていると、不思議と色んな言葉が出てくる事もあったりで。
お筆先じゃないって。
そんな普段の自分を観た様な気がします。

いやー、香りにしろ、マンダラにしろ、またふよふよ変化しそうな気がします。
昨日と今日ではまた違うんだな、きっと。

ありがとうございましたー。 (´・ω・`)ノシ
かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう another
靈氣(レイキ)に関するメモ及び感想

巷では、お金でアチューンメント(靈授)なるものを受けてレイキ回路を開いて貰う事が圧倒的に多いと思う。
私もそう。 たまたま料金は比較的安いほうだったようだ。

自分で実際使えてるのかな、と思うときもあるが、
他のティーチャーにたまたま出逢って観て貰った際には、確かに回路は開いている、と。
だけど実感としては、確かに自分の感情が実に嫌になる程解ってしまうということ。

これが実に解りやすい。
なにせ、思った事が事実として跳ね返ってしまうから。
それはポジティヴな事よりも、むしろネガティヴな事の方で実現化しやすい。
如何に自分の中に片付けられなかったゴミが多かったかと言ういい証拠だ。

まず、イライラして誰かの悪口を言えば、その直後に痛い思いをする。
初伝(ファースト・ディグリー)の頃など、ドアを開けた時に自分でそのドアにオデコをぶつける。
家で敷居に親指ぶつけて爪が剥がれそうになったり(もう声も出ない痛さ)、
そらもう痛いんだが、笑ってしまう程跳ね返ってきますな...。 (´-ω-`;)
今は奥伝(サード・ディグリー)だけど、なんかもう既に肉体より精神に響く。

あ、そうそう。 念、邪気と呼ばれるものも受けやすくなると思いますよ。
だって回路開いて貰っちゃってんだもん。 
しかも全然修行やら瞑想なんてしてないヤツが、ですよ。
だから、まあ実際にどうなるかというと、感情が高ぶりやすくなったり。
なので、自己ヒーリングは死ぬまで欠かせないと思う。(これホント強調しときます。)
つまり普通なら何年も瞑想やら修行やらして一生掛かっても出来ない人も多いのに、
それがたった一度のアチューンメントで取りあえずその手の回路を開かれてしまったという事。

本来の手順をすっとばしてしまっているんです。
だから、実はレイキはその後が大変なんですよ。
今さらながら、精一杯自分の嫌なとこも見つめなければならない。
解っているつもりが今さらながら自分の中をこじ開けて、
観えないとこも掃除するなり、自分なりに理解して行くしか無いんですね。

今さらながら自分を見つめ直したり、
そこで一からやり直し的な気持で日々やっていかねばならないって、
正直面倒なもんですよ。
知らなければ知らないで済ませた話かもしれないのにねえ。

私は素朴に自分は強くなりたいなあ、と思っていました。
これは正直、今でもね。 
だってその人なりに、それぞれ力強く生きようと思って産まれてきたんでしょう。
 
いつでも何でもチャレンジできて、勝ちに行く!みたいな姿勢が当たり前の人生送れる人が羨ましいし、
そうあれたらと。
今でもそう思いますよ、正直ね。 

鍛えれば鍛える程、筋肉も骨も発達して丈夫な肉体と精神を持って生きられるだけで素晴らしいよ。
強くなりたい、そう思って5年も前にレイキのレの字も知らない頃、
私はスポーツクラブでせっせとマシーンエクササイズやプールなどにほぼ毎日通った。

背中の贅肉などはある程度取れたのに、筋肉そのものは発達しなかったんですね。
どうも身体の組織が柔らかいらしく、筋肉が発展しない体質だったようで残念。
占星術を本格的にやって、初めて先天的な体質からしてそうだったのだなーと。
牡羊や射手サインが効いてりゃなあ...。

その一方で子供の頃に読んだ本で、「弱い強さ」という不思議な言葉をずっと覚えていて。
大好きで何度も読み返したシートン動物記の中で弱々しい草食動物にも、
群を組んだり、集団で子供を護るなど、色んな智恵で荒々しい自然の中で生き延びる智恵を持っている、
また無理や無茶をしないで、なるべく身に安全な道を選ぶ、ということだったかな。
弱いということを或る意味強みにする、という。

そうすることで、敏感になり、迫り来る危険も察知しやすいってことだね。
別にスピでもなんでもないわけだよ、ただキッツい現実を受け入れて生きているってだけだ。
野生の生き物がアチューンメントなんて受けるかね?
自分自身を高めたい、なんて口で言うのは人間だけなんだな。
進化ってなんなんだろう。

で、入会から一年近く経って、私はそれまで受けていたパワーヨガ(アシュタンガ・ヨーガを元にした少しハードなエクササイズ)のレッスンから、
伝統的なハタ・ヨーガのレッスンに変えたのだった。
マシーンエクササイズもあまりやらなくなった。

その方が気持楽でしたね。 やっている最中、凄くあくびが出て、先生も呆れる程だったけど。
あの時デトックス出来てたんだな。
凄く簡単な関節をゆっくり廻したり、身体を捻ってほぐす、呼吸を止めないと言うだけだったけど。
呼吸法とか、色々面白かったし、今日でも思い出してやってみると懐かしい気分になった。

安全な道を選ぶ、ということは凄く重要です。
ヨーガの先生に教わって一番心に残った言葉は「無茶をしない。」ということだった。
それが一番いいんです。
乗馬でもその人に乗って練習させてくれる、
安全でちょうどいいレベルの能力の乗用馬に乗せてもらう事が上達のポイントだった。

安全だという事は、一見すれば簡単な事でもある。
なのに簡単な事を毎日続ける、というのが実は一番大変でもある。
自己ヒーリングは私も簡単にしかしていない。
飲み物やなんかが飲み難ければレイキして味を変えるとか、
苛立ちに気付いたら、自分の身体に手を当てる、マントラやシンボルは自分で任意で使うなど。
夜寝る時に自分自身や家などの空間などにイメージして行う、など。
これも自分で思いついた範囲でやってみている程度だけど。

ヒーリングというのは施術者次第で、下手すれば実はただの害毒を流す人にもなりかねない。
それがこのいまどきのスピというものの実情です。
実際、私もたまの遠隔以外は自己ヒーリングばかりだが、どこまで出来てるんだかなあと思う。
やっていたって身体を冷やせば風邪もひくし、体調だってその日その日違うわけで。
その点で結果重視な人から見ればレイキは別に万能の手法ではないだろう。
今すぐやれば自己実現ってできるわけじゃない。
レイキなどの手当療法、民間療法だけに頼り過ぎて、西洋医学を軽視するなど論外だし。

いまどきのスピやニューエイジというのが、その現実の効果ばかりを誇大にしているのが現状じゃないかな。
大手書店で精神世界、スピリチュアル、という棚を見てみるといい。
そこをうろついている人達の様子やいでたちを見て。
彼らと自分はどこが違うか似ているか、よくよく確かめてみるといい。

色んな技法、修行や瞑想法はあるようだけれど、
本当はそのバックグラウンドや発祥への理解が必要なのでは。
たった一つでいい、ヨーガでもなんでもいい、その手のことをちゃんと人から学んで、
レッスン受けるなどして実践受けて体感できるかどうか確かめた方がいい。
それから自分でも図書館なりなんなりで本や資料を読むなりして勉強してみれば、
実は凄くよく出来て練られたもの、沢山の先達の遺産はありがたいと思えるはず。


何度も自分でついつい書いてしまうけれど、自分の都合ばかり優先の発想ではねえ、と。
そんなところを、実は回路開かれたら嫌でも直視させられてしまうんです。
個人的にレイキというのは素晴らしいと思う。 
鞍馬にも去年の秋口に出かけてみたが、荘厳という空気を体感できたのは有り難かった。
それ以降は寺社に行っても、自分に合うところはあると、その辺り実に解りやすくなった。

受け取り方一つで、どうにでもなるといえばなるものだろう。
それはレイキだけに限らず、世の中全てそんなもんだって。
自分自身というものを垣間見せられる、ということを受け入れられたら。

だけどもしもアチューンメントを受けるなら。
誰から受けるのかも大事かもしれないが、それ以上にその後自分がどう過ごすかが大きな課題だ。
最初に受けて二年以上経って、解ったのはそういうことだった。
あのティーチャーは善いの悪いの、アチューンメント受け直すとスピ好きは噂ばかりだが、
実際そんな事以上に自分自身を観た時どうなのか、と思う。

これまたハッキリ書いてしまうが、人の噂であれこれと決めつけたりしているうちは、
レイキ回路もその人を正す方向にばかり使われてしまうのでは、と思う。
これはそういう情報を取り入れる場所ではないのか。
基本、有益に作用はするだろうけど、その結果はどうでるかはやっぱり本人次第だ。
その辺りが解らなかったらどのティーチャーに受けようが、
後からアチューンメントの受け直ししようが、同じ事だ。

だって、レイキの五戒、それが全てを表している。
その後をどう生きるのかを。

こんな事書いてりゃ、また念やら何やらでしんどいだろうけど。 

自分が受けた時はただ、イキイキやっていきたい、もう苦しいのは辛いから、
というぐらいだったけどなー。
何やってんだかねえ...。

そして自分が癒せたら、私も誰かを癒したい、なんておこがましいことだ。
だって自分を癒す、という事が一生涯掛かる大仕事だから。
自分をまず大事にする、ということや何でも無いごく普通の生活やなりわいこそが、
実はかけがえないものだなあと思います。
ただ素朴である、ということはどれほど質の高い事かと。

もしも誰かが癒されたと感じたなら、それはその人自身が意識しなくても溢れる何かに、
癒された方が心の奥を底上げされたという結果、だと思う。
大事にしたいと思う何かに触れた時、ヒーリングが起こるのだと。
人為的に何かを操作して起こすという感じではない。
それはそうなった、というイメージ。

実がある、ということは、世間の言うスピリチュアルなんてものでは解り難いもの。
眼に見えることだけじゃないというのに気付くアイテムは、いっぱいある。
ただ五感だけでも駆使していれば、そしてその五感を与えてくれる身体と、
身の周りの自然を大事にしているだけでいいと。
実は昔ながらの第六感なんてものは特別でもなんでもないことが誰でも感じると思います。

なにごとも答えは一つだけじゃないし、高圧的にこれだけが正しい、自分こそが唯一優れている的な発想や空気を感じた時に、
そこから離れるタイミングも解ると思います。

最近、この暑いのに暫く世話出来ていなかった鉢植えの薔薇をせっせと面倒見ている。
腕が日焼けちゃったなー。

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暑いときもまったりと。 なんかあっても気にしなーい。
こんな暑い時に
地震で断水だったりで、苦しいね。
私が震災にあったときは真冬だったから、お風呂も多少は我慢できたけど。
水汲みに近くの浄水場へ行ったな。

それでももうあの時の自分の全てを否定されたみたいな、
あんな気分にだけは戻りたくないものだ。

せっかくの夏なんだから。

ただ、ふと思うのはいがらしみきお氏の4コマ漫画だったか、
「愛とか夢とか希望とか無くても生きていけちゃったりなんかして。」という台詞があったような。
立ち食い蕎麦をひっそりと啜り込む男の独り言だったと思う。
それもまた事実だったりする。 
ま、そんな事書いた日には色々突っ込みたい人もあるかもしれないが。

ちょっと前のエントリーで愛だ宣言だなんだと書いたくせにねえ。

震災に遭った時、ボランティアはありがたかったが、どこか醒めていたのは、
自分の中にネガティヴな何かがあるのに気付いたときでもあった。
そして、冥王星が射手に入ったのは、震災の翌日であったことに最近気付いた。



暑いねえ。 身体に気をつけよう。

Black Swan 補遺
1925年1月24日、実はこの日は水瓶13°で日蝕が起こっている。
彼女はサウスノードでの蝕の日に産まれた。
偶然だが、今月8月6日の月蝕は同じ水瓶13°で起こっている。
面白いなあ。

面白いついでにプレネータル・ソーラー・エクリプス(生前日蝕)を調べて見た所、
1924年8月30日に乙女6°で起こっている。
出生時間不明のためソーラーチャートのハウスでは8ハウス内で12ハウスの山羊8°の木星とトラインを組む。

祖先の意思を汲み取って生きていくと胎内で誓ったものとリーディングする。
それは天頂近くの蠍土星と共に、まるで祖父の様な12ハウス山羊木星がサポートしているところからも、
彼女はその命をオーセージ族、もしくは北米大陸?の集合無意識の浄化のために産まれたのかと。
これほどまでに念入りに出生のタイミングを決めて来たとは。

その名もTallchief、大柄で偉大なる酋長という家名を背負った宿命を見事に果たしてきた人である。
この6日の月蝕、マリアはどんな日を過ごしたのだろう。

そんな彼女には元夫バランシンと同じ水瓶の太陽のみならず、
火星と海王星のトラインという同じ美への情熱のアスペクトを持っている。
バランシンは水のサインで、マリアは火のサインでこのダンサーそのものなアスペクトを持つ。
彼らは別れた後も、正に理想を同じくする戦友のように生きたと思う。
Black Swan
人間の身体というものを凄いと思うのは、舞踏での動きの美しさを観た時。
律動感というもの、理屈抜きで美しい。

私は決してバレエには詳しくない。
マリア・トールチーフというアメリカを代表する名プリマの名前も、
この作品で初めて知ったくらいで。

名前で解る様に、父方がネイティブアメリカンのオーセージ族のシャーマンの血を引き、
本名のElizabeth Marie Tall Chiefから自ら17歳でMaria Tallchiefと芸名をつけたと言う。
当時はインディアンと呼ばれ、社会的には蔑みの対象でもあり。

この苗字を芸名としてはっきり表示した辺り、
シャーマンだった祖父によく懐いていたということだろう。
それでも独身時代の彼女の中では差別対象である現実から、
密かに出生を恥じている自覚があったという。

それでもマリアという女性性と母性そのものの名前と祖父の名を自らに付けて、
世界に宣言したことは注目に値する。

ニジンスキーの妹ヴロニスラヴァ・ニジンスカは優秀なバレエダンサーのトレーナーであり、
彼女に手ほどきを受けたマリアはニューヨークのバレエ・ソサエティに入り、
後に振り付け師のジョージ・バランシンの再婚相手となる。

共に太陽は水瓶にあって、生き方の姿勢は同じであったからこその理解者同士であったと思うが、
マリアは月も水瓶で新月生まれ、バランシンは水瓶土星が緩く合。
厳しい夫であり、その美学は射手の彼の金星天王星の緩い合もあって、
所帯染みたものや有機的な愛らしさなどは求めていない。
バランシンの月は魚で同じ魚の木星と合となるようで、
女性への優しさは存分に発揮しているつもりだが、自己満足でしかない。
優しく儚い浮世離れした女性美を求めている事に変わりはない。

マリアの月は水瓶サウスノードと合、獅子ノースノードとオポジション。
ノード軸は蠍土星とTスクエアとなるが、深い暗黒の部分を自らの中で昇華していく。
このハードアスペクトには蟹冥王星のトラインという世代アスペクトのお陰であったと思う。
そうでもなければ、Tスクエアとは本当に厳しいものだから。

彼女の金星は山羊で水星と合、その水星は山羊木星とも合でマジョリティを形成。
かなり山羊の効いた女性である。
考え方は保守的で、その美も穏やかでクラシカルの極地だが、
射手で金星天王星合となる夫バランシンとは相容れない。
バランシンの射手金星は双子冥王星とスクエア、魚の木星月合とのTスクエアを形成する。
彼はマリアとも他の元妻達の誰とも子供をもうけることを拒否した。
妻が母親となることに耐えられなかったようだ。

当時二十世紀ニューヨーク最先端の美を表現できるバランシンは、
生々しい人間の個性や動物的な息吹というものを一切排除したクールで硬質な美を舞台でも要求した。
踊り手に一切の個性を求めず、ただ自分が指示した動きを忠実に再現する事のみを厳しく要求した。
女性美にも生々しさや本能的な匂いを発散させない、
未成熟なほっそりとした人工美とも言える程の儚さを要求していたようだ。

マリアは有機的な美しさと愛らしさが持ち味であり、
愛されているはずなのに個性を全面的に受け入れられていないのではと言う不安が拭えない。
モダンな技法を習得したくても、昔ながらのメソッドから外れた動きの要求に応えきれず、
夫にも時代にも取り残された感で空しさと嫉妬に苦しむ。

その後の結婚生活の精神的苦しみはかいつまんで書くには切ない。
マリアの母になりたい思いは夫で父親であるはずのジョージには伝わらない。
妻に対して女としてのアイデンティティ以上に、
バレリーナとしての彼女を要求する夫と最後は別れるのだが、
それ以前にそれまで彼と結婚したかつての女達が、
実は27歳前後で彼の元から去っている事実に気付いている。

先月のこのエントリーであるように、実際に27歳は女にははっきりとした節目と実感するようだ。
女としての成熟を知った元妻達は、バランシンがインスピレーションの泉として要求する、
女の生々しさや本能的なものを削ぎ落とした未成熟な少女的要素を持つ。
その妖精の様な美しさが衰えて彼の要求に応えられなくなったと判断した時、
自ら去って行く決意をしているのだ。
憎んで別れるのではなく、バランシンに必要とされなくなったと解った時に。

マリアも27歳になる前に離婚した。 
離婚の翌年、ウーマン・オブ・ジ・イヤーの受賞も世間の同情の結果と彼女は感じたようだが、
実際プログレスムーンがネイタルムーンにリターンした後の成熟した女性美、
プログレスの太陽もまた魚となり、儚げで護りたくなるような透明感溢れる美しさを醸し出していたのだろう。

前のエントリーでリンクした「牧神の午後」には「Black Swan 」も収められている。
名プリマで現在も存命中のマリア・トールチーフの伝記であり、
男性のヴァーツラフ・ニジンスキーと女性のマリアとの全く違う生き方が、
同じバレエダンサーと言う境遇や環境の中でもはっきり現れている。

どちらが幸か不幸かという判断は意味が無いし、答えはないのだけれど、
自分の中の矛盾と思える要素を受け入れる余地と柔らかさという点で女は長生きしやすいのか。

それまではたおやかな白鳥しか踊れない旧スタイルのプリマとしか観られていなかったマリアが、
元夫であるバランシンの反対を退けて黒鳥を踊って最高の賛辞を受けて引退したのも、
自分の中の白鳥と黒鳥の存在を認めたということかもしれない。
白い翼と黒い翼の二つを人の内側が持つという事実を教えてくれたのは、
他ならぬシャーマンだった祖父であったという。

その昔、よく当る予言者、占師とは不幸を告げるものであったと彼は語る。
幸福を告げれば、人はその後努力もせず都合の良い期待だけを望んで後で失望感を味わう。
人は不幸を望めば、それはすぐにでもやってくると祖父の幻影が教えたことは、
彼女への生きる望みの在処のヒントだったとも言える。

彼女のノード軸へのTスクエアを構成する蠍土星は正にこのオーセージ族のシャーマンだった祖父であり、
その土星は蟹冥王星と緊密なトライン、オーブ広めに取れば魚天王星とのグランドトラインを形成する。

それはまるで、暗黒の中から類い稀なる光を受け取りなさい、
と促したように思えてならない。

幼少期に亡くなったにも関わらず、祖父はマリアに新境地を開くための試練とパワーを多いに与えた人であった。
祖先の意思を体現したのは、平凡に生きる事を願って傷ついた一人の女性だった。
その後、彼女は再婚し、念願の母親にもなった。

あの32回の大回転(グラン・フェッテ・アン・トールナン)を激しく舞ったのだろうか。
黒鳥の踊りの最高の出来映えに大反対だったバランシンも彼女を最高のバレエダンサーとの賛辞を惜しまなかった。
この時に彼の中に何かそれまでと違うものが一つ芽生えたかもしれない。
今それを確かめるすべはないだろうけど。
清純と儚さの権化である白鳥と婀と艶の権化である黒鳥はどちらも骨の髄まで女そのものであって、
分つ事は出来ないのだと。

出生に自信を持てない自覚があり、現実にも侮辱を受けたりもしたが、
自ら名付けたマリア・トールチーフという名前は若き日の自分と祖先への愛と尊敬を宣言したものだったと思う。
牧神の午後
先頃亡くなったMJのことはもっと後、少なくとも来年以降にと思っていた。
まあ、それでも先日流れで少し書いてしまったし、思い出して読み返した本と共に色々と。

牧神の午後 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)牧神の午後 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
(2008/03/27)
山岸 凉子

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だいぶ前にニジンスキーの伝記映画をたまたまTVでやっていたのを観た事がある。
気になる人だったけど、占星術を本格的に学んでから腑に落ちた気もする。

太陽金星が魚で合、その金星に獅子土星と天秤天王星でヨード。
月火星射手で合、それが双子海王星と冥王星合にオポジション。
水瓶木星が調停座相をとっているとはいえ、緊張感が高過ぎる。
これほどアスペクトの多い人生は可能性は山ほどあるように思えるが、
実際のところヨードとオポジションの緊張感でそれどころではないだろう。

バレエ・リュスの主宰者ディアギレフに翻弄されつつも、現代バレエの新境地を開くために、
心身を限界まで使うことになったのは、やはりYod(神の手、指)の仕業か。
世に出てからも賛否両論巻き起こしつつも認められたのは双子射手のノード軸のアスペクトが、
土星天王星水星とイージーだったお陰であり、時代の橋渡し役を勤めたのは確かだ。
しかし現実には水星、土星はオポジションとなり、
私生活は情念の純粋さと激しさを感じさせる月火星合と海王星冥王星合のオポジションと絡んで、
柔軟のグランドクロスの苦しみだった。

一方、MJは太陽冥王星が乙女で合、月は魚でオポジションとなる。
天秤木星蠍海王星合との調停が出来ているものの、獅子金星天王星合は牡牛火星とのスクエア。
ゴージャスに人を惹き付け魅惑するが、そのハードな舞台裏は理解され難かったかもしれない。
魚の月は射手土星とはスクエア、木星海王星合とはトライン。
いつも夢見がちな心に現実への対処は不器用そうだ。

寂しがりやの独り好き、というのは海王星や魚サインが効いた人間には特徴的で、
ついつい一人でぼんやりと静かにしているので、
ただ時間を無為に過ごしている人、理解不能としか世間からは見られない事も多い。
その一方でMJの様に乙女の太陽が冥王星合で強烈に効いているが故に緊張性の人格となって、
世間に対して貢献できない自分じゃ意味がない、申し訳ないという思いも人一倍だったろう。
このジレンマはオポジションがルミナリーズに効いた人には殊に痛い程解るだろうと思う。
もう自分の意志一つではコントロールできない、自分で自分を仕切れない程の強迫観念を垣間みる。

どちらも切ない程のアウタープラネットピープルだ。
世間からすればギリギリのところまで追いつめられる程の才能は、
花火の光の如く魅了はされるが、飛び散るスパークの余りの輝きと熱が危なっかしくて近寄れない。
神に愛され見込まれた人と遠くで眺めるばかりで。
本人も自分自身が一体何者なのか、人との距離感に悩み続けの日々だったのだろうと察するにあまりある。

ニジンスキーを舞台袖で見守って来た元バレエ・リュスの振付け師ミハイル・フォーキンは、
シェーラザードの「金の奴隷」を踊った際に、彼の背後から金色の靄が沸き立つのを目撃したと言う。
それ以降、ニジンスキーが踊る度にずっとその黄金の光の靄が観えたと。
彼が舞台に出る前には既に憑依状態となる程の純粋さ故に、
現実生活で必要な習慣というスキルを掴む事はできないというマイナス面を持つことにも気付いた。

緊張は消耗を招く。
一方は若くして精神を病んで舞台を去り、二度と正気に戻る事なく最後を迎え、
一方は夏のある日、突然旅立ってしまった。
どちらも何も誰にも本当の気持を知られず、語る言葉を無くした様に別次元へ向かった辺り、
魚、海王星的な霧の様に溶けて、肉眼で見る世界から消え去るエネルギーと、
誰にも独り占めできない霊妙な美の遺産、観えないところの価値を知るヒントを残して去って行った二人だったと思う。

日本のあるグループのダンスチームのメンバーが、
MJが亡くなる数ヶ月前に偶然TVで語っているのを聴いた。
彼のダンスは特別なのだと。 
同じステップでも、他人が踊ったのとMJが踊ったのとでは全く違うと言う。
纏っている空気が全く違うと言うことだろう。

海王星のユニヴァーサルなエネルギーというものを人はまだ使いこなすには発展途上なのかな。
それを人の肉体で表現するには、心身共に「自己犠牲」という結果を逃れられないのかと。
身も心も捧げ、形の無い何かを「信じる」ことで、
やっとその世界の端っこに手をかける事が許されるのかもしれない。
Positive Saturn
トランジット土星がアスペクトを取っている今の時期、
人との新たな出会いよりも旧くからの知人、年長者とのおつきあいを大事にしている。

前から気になっていたものなどを再考、再検討するのにいい時期で、
一度読み終わったものを再び読み返している。
今日は思い立ってバーバラ・アン・ブレナンの「光の手」を。
物理学の難しい所はとりあえず流し読みで進めていて、
ふとチャクラの解説で、ああそうだと思える記述が。
最初のときはそのまま読み流していたようだ。

人の感情は身体の全面で、意志は背中で表されると言う。
これもまた太陽と月に関するのだけど。
占星術的に感情を表す月、蟹サインは胸、胃、乳房を表す。
太陽、獅子サインは心臓、背中、脊髄を表示している。

感情で目の前のものを最初に受けとめ、後に身体の後ろ側の背中で示すのだ。

よくまあ昔は子供は父親の背中を見て育つと言ったものだけど。
太陽は父。
母乳を飲ませてあやしたり、外で何かあれば両手を開いて受けとめてやるのが母親。
そんな伝統的な状況もまた変わっていくのかもしれませんが。

受け入れるのは前から、滲み出る意志は背中から。

男性は特に背中からパワーを感じさせる人が魅力的な気がする。
頑張りたい時、意志を表示したい時、シャキッとしたいときってそういえば仙骨立てて、
下腹を締めて背中をしゃきっと伸ばすよね。
堂々としたければ胸を張れっていうけど、
実は人を受け入れながらも自分の背中を大きく真っ直ぐ伸ばせってことだよね。

揺るぎない意志を持つと人は後ろ姿こそが絵になる。
顔の表情よりも身体の姿勢の方が実は正直だ。
疲れた時は背は丸く弱々しげになり、胸はすぼんでいる。
足腰に力は入っていない。
人を受け入れる余裕やパワーが無いのだろうね。
自信を持って力強く世に出て行きたいと思ったときは胸を張り、
背中を伸ばし、足腰の安定感も充実している。
身体全体が真っ直ぐになったときは、やはり何かに繋がりやすいんだろうな。

そして、柔らかな関節を持っている事はなにより重要だ。
関節だらけの腕と手は水星、双子サイン。
そう、柔軟で器用にこなし、こだわりすぎずにフレキシブルに動く。

私が初級の馬場馬術レッスンを受けていた頃、身体の柔軟さと頭の固さは比例すると感じた。
どうしてもこうしないと、インストラクターの言う通りしていればいいはず、
という感じでレッスンを受けている人は男女とも身体の堅さが馬上でも取れず、
また、努力に比例せずなかなか上達しなかった。

体質もあるのだけどストレッチで身体をよく伸ばしてから乗る人もあって、
そういう下準備をしたり、工夫している人はいいのだけど、
形や巧く乗りたい、人から上手に見られたがっている人の手足は、
馬上でロボットの様にぎくしゃくしていた。

反面、身体の柔らかい人、たいがいの女性や子供、
マイペースながらも真面目で素直だとその人なりに伸びて行った。
そして、子供であってもその子なりの乗馬スタイルがちゃんと出来上がってサマになっているのだ。

そして、どの馬術でも基本姿勢、肩と胸を開き、肩をすとんと自然に落とし、背中と仙骨を真っ直ぐに立てる。
これが出来ていれば、どの馬でも自然と落ち着いてその人に徐々に集中するのだ。
馴致と調教を受け入れた乗用馬は人の意思を常に確かめながら運動を遂行するので。

馬に真っ直ぐに乗る、ということが一番難しく大事な事、だとプロフェッショナルや長年のって来たアマチュア程実感する。
真っ直ぐ意志を持って、目の前の事も受け入れて柔軟に考え反応して生きる。

そんな理想を馬に教わった事をこのエントリーを書きながら思い出した。
初めて実感したのはもう十五年も前か。 
そうだ、サターンリターンした時に気付いた事の一つだった。
土星のみならず、宇宙とは前向きに付き合って行くに限るねー。

土星は反省、などと言われたようだけど、
再考、再検討、と思った方が湿っぽさが程よく抜けて扱いやすいよ。
過去の記憶の掘り起こしは苦しい時もあるが、
その中の価値を見出せた時、それは正に一生ものだ。

それが背骨にもなるんだよ。 
背中の意志(太陽)と胸の感情(月)を支えてくれる脊髄になるんだよ。
共同体
また次の満月が水瓶13°で月蝕だけど、まあこれもあっさりと過ごすでしょうな、
水瓶っぽく。(笑)
この後しばらくしてノードは山羊にイングレス。 
随分長く水瓶獅子0°でステーションが続いてきたね。

月蝕日蝕に関するネタ、いやメモはこれで打ち止めかね。
なんなんでしょう、今年の皆既日食フィーバーだかで、
どうすればいいんですか、どうなるですかアタシは!みたいな感情の問題らしきとこを、
あちこちの占星術師が訊かれまくってたのでしょうか。
どうも見渡してみるとそんな感じ。
占師ジプシーする人はリアルでもネット上でもいるだろうから。

先日の皆既日食だって、街中歩いているとガソリンスタンドのお兄さんや、
町医者の受付のお姉さんが仕事の合間にサボってちょっと外に出て空を見ていたり。(笑)
なんだか凄く愉しそうでしたよ、直前になって大雨に見舞われるってことも無く。
普通に街中でも皆で盛り上がってたし。(笑)

普通に暮らしている、いつも通りの場所と役目の中で自然と宇宙のちょっとした不思議な様子を眺めていた。
別にイヴェントに仕立て上げなくても、いままで通りにしていたら愉しかった、みたいな。
サウスノードで日蝕だったんだよね。

人と我が身とそれぞれ思うと、自分だけの身の上ばかりを案じたところで、
実際どうにもならないというのは確かだと感じました。(キッパリ)
身の回りの社会とどれだけ折り合いつけて頑張れるか、しか表示されないと思うので。
肉体と精神、感情というちょっと扱いが面倒なものをもって、
世の中というのを拵えて生きていくという生き方を選んだ生命体だしね。

結果がどう、というのは実はそんなに意味が無いのかもしれない。
いや、本当は結果が伴ってほしいから頑張ってるんですけどね。
しかしながら未来は未確定だし、結果の受け止め方は時間が経つに連れて変わって行くとこもある。
結果が出た直後の感想と、時間が経つに連れて観えて来るその状況と周囲の感情や空気。

めでたしめでたしで100%終わる事もないし、100%ダメだーって結果はないと思う。
どんなことにもプラスマイナス面はあるんじゃないかと。

いままた思い興して「うわさの人物」(集英社刊)を読み返しているのだけど、
私はトップバッターのハマサイ氏が実に水瓶っぽいなあと思う。
彼の発言で凄く占星術的に解りやすいのは、
「父方から伝わってくるものは体質であったり、考え方だったりするんですけれど、
母方から伝わるのは、本質そのものが伝わる様な感じがあります。」

得てしてエネルギー状態を観る事ができる人の話と、
占星術のチャートからの情報とは一致するようで。

これ、正に太陽と月の象意なんですけどね。
彼の話し振りは、まさに宇宙からこの地上のあれこれを眺めているという感じが。
人間世界の中で言われ続けている善悪という分け方はもう全くしていない。
ただ一つ、憎しみや念を集めて来たものは手に負えないと語る。
それだけ人間の念というのは強烈ということだねえ...。 (´・ω・`)

人のプライドというのは念ってヤツの正体だったりすることも、ある。
人にバカにされるのが大嫌いな人のプライド、と言うのは大概そう。
まあ、前にも書いた気がするけどそれって安物のプライドなんですけどね。(キッパリ)
強烈だからこそ、せっせと日々そんなこと考えるヒマなんか持たずにこの世の中で頑張った方がいいんじゃないのかね。

そのためにも肉体持って生きてるんだと思うしね、私たちは。
何かあれば簡単に壊れる割にはなんだかんだでリカバリーも効く肉体というのは凄い。

この本に登場する方々の話し方は様々だけど、
その人なりに社会や自然と関わること、愉しくする工夫ができるのがなにより、
というのが総意なのではと思う。
同じインタヴュー受けておられるなかで、仮名で登場するエステティシャンの女性の女神的な暖かさ、
五條良知氏の関西人ならではのリズム感も愉しい語り口とパワフルなユーモアが特に大好きだったりする。

人間はおもろいなあ、と最後に思えたならさいわい。
I'll be there (Sence of wonder another)
神童というのを英語ではWonder childというそうで、へー。
そうだな、Wonderなるもの、実はそんな意味でもあるんだね。
翻訳サイトでやると、ただ「驚き」としか出て来ないが。
しかしそれは掛け値なし、文句なしのということかねえ。

そういう人になるって言うのは実は哀しい事ではあるんだろうけども。
「普通」に見て貰えないというのはなんなんだろうと思ったりもする。
(じゃあ普通ってなんだ、といわれるとね。 そんなのもただの幻想であって。)

先日亡くなったMJなどはそう呼ばれていたらしい。
そうだね、まずは驚きがある、そして後からドリーミングな空気が。

尋常でない、というのが驚きの素なんだろうけど。
でも、以外と実は素朴なとこで観ていたものの、もっと深い何かに通じた(繋がった?)というときに、
感じる感情がwonder驚嘆なんだよね、どうもそんな感じ。

それはただの第一印象だけで忘れ去られるこけおどし的なものじゃなくて、
確かに後でじわじわくるものだ。
そして本当に忘れられない。

価値のあるものは時間が経ってから改めて気付くものだというけど、
そこに後悔とかそんな哀しい感じがないままにじんわり広がればいいなあと思うな、何事も。

アール・ブリュット、アウトサイダーアートと呼ばれて来たものをワンダーアートと呼ぶということもあるそうだが、
驚嘆、というのは全てのアートにあると思う。

驚きというのはアウタープラネットの要素だなあと思ったり。
その中でも海王星というのはドリーミング、イリュージョンのエネルギー。
天王星以降からは物質的なくびきから放たれて、そこで観る夢なんだけど、
そこには詐欺、欺瞞、耽溺、逃避というマイナスな要素もあって、なかなか扱い難い。

人間関係や社会的シーンだと、得てして自分が信じたい事、自分の感情で好きな事や都合のいいことだけを信じたがると言う方向に使われやすい。
自分を欺くってやり方になっちゃうと、その後の魔法が溶けたらどうするんだろー。

トランジットの海王星が通った後に何かが残って続けば、その人に取っては実は最高の財産かも知れない。
金星のハイアーオクターヴだもの。

海王星と冥王星、実は巨万の冨を表したり。
MJが常に巨額のお金の事でネタにされ続けた事は実に不本意でもあったと思う。
巨大なものを産み出すエネルギーというのは、一人の人間の肉体と精神だけでは受け止めきれない。
海王星には音楽、リズム感、色鮮やかなもの、自己犠牲というのもあるけれど、
自らの身体を削る様にして70年代のテレビカメラの前に立ち、MTVに大量にPVが流されて、
幼少期から姿と才能を晒され続けたMJは海王星と冥王星の力を体現していたようにも観えた。

皆で分かち合う、という最終目的や中心軸のぶれが無ければ、それは人類の宝、みたいにして残って行くものなんだろう。
独り占めは誰も出来ない冨、というのは確かに在る。
アウタープラネットはそんな辺りを示唆しているのかね。 どうだかね。
プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

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