FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- --
スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

Beauty Code

先日、あの「おくりびと」と共に「つみきのいえ」がオスカー受賞したというニュース、
丸一日TVニュースはお祭りの様な。
少し落ち着いたかな。

自分が好きな作品が高い評価を得て、世間からの認知を受けるというのは、
作者でもなんでもないのに素朴に嬉しいもんですね。
ほんと、別にただ好きなだけなんだけども。
制作とか全く関わり合いから、何にも語れないけれど。

加藤久仁生監督のご家族の様子や、
「つみきのいえ」のモデルとなった彼のお祖父さんの事などをTVで紹介されていて、
家族のあり方というのも色々思ったり。

彼は周囲の大人達からその存在と才能を認められて、
上手に褒められて伸びていったのだろうなあと。

前のエントリーでは結婚と言うものの実体をほんの少しだけ垣間みたと思ったのですが、
その後の家庭、家族へと繋がる上でどうしても必要な条件なんだろうなと思います。
少しずつ何かが変わっていく上で、自分達とは違う質を受け入れて出来上がる家族という単位、
社会という物の最小単位が家庭。
それが社会の中で学校、職場、地域、地方、国、世界へと次第に広がっていく。
スムーズに行けば。
そういう風に実は一人の人間が自らが表面上では関知しえない次元で世界中と関わっているわけで。

それが全体のカルマを少しずつひっそりと、でも確実に解消していくんでしょう。
なので、想像力とか創造力ってのはありがたいもんだなあと。
この原動力は「美」なんですかね。

水の底深く沈潜した家族の古い記憶を自ら潜って観に行くというテーマが、
国境とか言葉という表層的な存在を超えていく事に何の不思議も無い。

私が普段占星術のリーディング用に使っているVAIO QRの壁紙は、
今はもう無くなってしまったけど、「或る旅人の日記」の特設サイトで配布されていたもの。
渋く穏やかな色彩のイラストで、ひそかに気に入っている。

或る旅人の日記 [DVD]或る旅人の日記 [DVD]
(2005/01/26)
近藤研二

商品詳細を見る


元はといえば、この作品の音楽がお気に入りのミュージシャンが担当していた事が、
この作家と作品を知ったきっかけだった。
「美」というのは尊い何かを繋いだり導く力があるのだ。

どうせ繋ぐのなら、エーテルコードなんて無駄な念のコードよりも、
美のコードの方が建設的でいいな。
スポンサーサイト
.26 2009
こころ comment(0) trackback(0)

観えない糸と意図

結婚という事。
全く違う場所と環境でそれぞれ生まれ育ち、
違うルーツを持った男女が社会からは夫婦と呼ばれ、
一つ屋根の下で暮らすようになる事。

私が子供の頃から、既に結婚というものはお見合い結婚よりも恋愛結婚の方がいい、
みたいな空気がありました。
つまり、個人の自由で恋をして愛を育み、結婚が「ゴールイン」と言われるように。

実際は「ゴールイン」どころか、どこから見ても「スタート」なのに。

昔はお見合いや家同士の許嫁というのが普通だったし、
離婚は今よりも苦しい選択だったと思います。

自由恋愛という言葉が一人歩きしているところもあるかもしれない。
それでも自由意志でその人が選び取ったのだから、
どんな結果だって善いも悪いもないと解っていれば、大丈夫、きっと。

実際に結婚して暮らしている人のチャート。
実はカップル同士ではなく、その婚家の姑との関係が実は大事。

妻の側のチャートは、実に大事で。
夫以上に姑とのノードなどの合が顕著。
結婚する事は恋愛のような個人的な関係以上に家系との関わり合いになる。
それはやっぱり、祖先の意思(家の集合無意識)が関わって来るのだと。

ノード、月、土星、アウタープラネットが結婚に強く関連している。
嫁と言う立場の人が、実はその婚家のカルマ解消の鍵ではないかと思うのです。
結婚の重みを改めて感じますね。

その家系の時間の経過と共に澱のように溜まっていったカルマを解消できる人が、
実はお嫁さんとして迎えられて末永く暮らしているのだと。
祖先の意志はそれほどに強力に作用しているのだ。
観えない何かに操られている、引きずられている、仕方が無いと思うのか、
それとも受け入れて顔を上に向けて昂然と共に手を取り合って、
頑張って助け合って共に生きていくのか。

好き嫌いと言う表面的な感情レベルを超えた何かが結びつけるらしい。

どのイメージを選ぶも好き好きで。

この辺り、観えない彼らの存在はよくよくこちらを観ているのかもしれないね。

運命の赤い糸、なんてのは観た事ないんだけども。
.24 2009
Astrology comment(0) trackback(0)

あなたと私

今朝、気付いた事が一つ。

私の元に訪れるクライアントさんは、実際にパーソナリティなどをネイタルチャートで分析したこちらの読みを伝えた時に、
当たってるーなどと安易に言わない人が殆どだ。
あちこちを渡り歩いている人も多いからかとも思うけど、
実際そんなことを問題にはしていない。 

占いは当たる様に出来ている。
なので、当たってるーなどと今更いうのは変な話で。
本当に大事なのはその先。 
当て物的なものを求めていない人ほど、話はしやすい。

何がしたいか、どうありたいかがはっきりしている人は、
お話していても目がキラキラしていて声もいい感じがする。
騒がしさが無く、穏やかなのに張りがあるのだ。
目の奥の輝きが話が進む程にイキイキしてくる。

こういう様子を見てしまうと、やっぱり対面でのセッションが一番だなあと思う。
.23 2009
こころ comment(0) trackback(0)

悪人面 (私ロックはダメなの、ストレートよ)

最近の一連の記事でもそうですけど、実は私は大変口が悪い。
そう、喧嘩なんてやり方知らないくせにけんかっ早い。
なんかこう一番始末に負えない暴れ方をするのだよ。

「まるっと同意」なんてありえません。 この物質世界では。

人から観れば、さぞかしこのブログからは刺々しいエネルギーを放出していることだろう。
自分ではそういうのには気付きませんからね。

スピだろうがなんだろうが、どこでだって、「人の悪口をいってはいけません。」




ええ、実に正しいご意見です。 人はそうありたいもんですね。


しかし。 それがとっくに出来ればこの世に生まれてきたりなぞしないのです。
好きな物は好き、嫌いな物は嫌い。
この感情を手放せない「私」を私は嫌いではない。
もしも嫌いになったらそれこそおしまいだろうなあと。

「理想」一つで人を縛ってはなりません。

ニューエイジ的なものや、アカデミックな匂いをいつまでも受け入れられない、
泥臭い自分をただ受け入れる。

洗練はもがき苦しんだ後に自分で掴み取るのです。
切磋琢磨って、その過程はそれなりみっともないのです。
それこそ「善いも悪いも無い」話。

エネルギーは相対的に観るものと思う。
人間は何かと比較したり、客観性が無いと判断できないとこがまだまだあるのですが、
一見してごもっともなことを言ってるから、それが素晴らしいかどうかは別ですよ。

好き嫌いを言っていられるうちが、実は華なんだ、死んだらそれまでよ委員会。
それまでは、嫌な人として生きてくのも面白い。

精神の高みを目指す、なんて思わずに、地面を這いつくばって天を仰ぐ、
そしてまた地べたに咲く名も無い花を愛でる。
始末に負えない奴として生まれて死ぬもまたよしという強情なありようもいい、
そんな開き直り方もある。

エネルギーの法則云々なんて、うじゃうじゃ思わないで好きにすればいいのです。
「善い人」幻想に縛られる方がきっついです。

そして、「好きは嫌いのちょっと前」、何度も書いちゃうけどこれ肝心だね。

嫌だー!と叫ぶその心の片隅に、いつも置いておくこと。

殻を割るときは、他人の手でなくひとりでにいつのまにかそうなってるのがいいです。
.22 2009
こころ comment(0) trackback(0)

山羊の冥王星からなんか貰った。

夕べたまたまTV観てると、アカデミー賞授賞式だったりして、
そのなかで「おくりびと」も表彰されてたり。

一週間程か十日程前に買っておいて、何故かすぐに読まずに置いてた「納棺夫日記」を、
昨日から読んでいた。
この本を買う時に、「おくりびと」が大変高評を得ているというのを何かで読んで、
作品は観てないけどモックンいい役者になったんだなあ、
と思いながらレジに持っていったと思う。

納棺夫日記 (文春文庫)納棺夫日記 (文春文庫)
(1996/07)
青木 新門

商品詳細を見る


これがなんかもうえらいペースで読めてしまう。
半日でほぼ読み終えてしまう勢いだ。 
今まで自分が読んできた所謂スピリチュアル系ってやつの本は一体なんだったんだ。
ことにアメリカのそれ系の本はどれも皆こぞってページが進まなかったのに。
装丁もいかにもスピ系って感じで明るく綺麗なカバーデザインながら、
そんな見た目に限って、全くページが進まないのだ。
その手の本を無理矢理読み終えても二度と読みたくない気がするし、
半分も読まないうちに叩き売ったのも多い。

「納棺夫日記」は、文章から湧いて来る何かが凄く自分の何かと親和性高いとしか思えない。
それが何なのかはよく解らないけれど。

著者自身をそのまま受け入れてくれる人の眼を観たその瞬間の描写、
もうこれだけで映画を作りたいと思う人の気持は当然だろうと。
自分の中の何かを知った人というのは最強ではあるね。

なんだろうな、この本は。
山羊の冥王星が早々とくれたギフトのような気がする。

ふと書いていて、山羊の冥王星っぽい空気かもと思ったり。
冥王星というぐらいで、占星術的にはカルマ、集合無意識、死後の世界、死んだ人、祖先の意思、
水気の多い汚れた場所、地下や暗黒の世界、徹底した破壊と再生、性、DNAなどを示すのだけど、
それが山羊の空気を纏っているわけで、最近まで目に見えない場所に押し込んできた
「死」を現実世界に取り戻す時期に入ったのかもしれないな。
因習濃い土地柄から余計に差別を受けやすいこの職業を根底から変えてしまった人の日記と覚え書き。

仏教の一部の宗派では、死は穢れではないので、清めの塩を出さないと言うところもあるという。
ところが、実際にはその葬儀の後には、何か気持が悪いと感じて塩を後で料理屋などに寄った際に貰って撒くという話も他のエッセイで読んだ事がある。
それだけ日常を普通に生きていると信じている人ほど、
知らず知らず死んだ人がそこにいるという空気を忌避するのだ。

この国には死を穢れとする集合無意識が最も根強く残っている。
死の空気を嫌っているが故に、死穢(しえ)というぐらいで、
そういうマイナスな空気を余計に変なとこで意識して惹き付けてしまって、
最悪の場合その村落が滅びたと言う記録もあるというぐらいだ。

私は実は神社という場所が大変苦手なのだけど、
それは長年、この日本の世間が「死」を穢れ、ケガレ、氣枯れと認識している空気が引っ掛かっている様だ。
この意識が善いか悪いかではなく、自分はその意識に知らず知らず反発しているらしい。
近所の畑の中の小さな若宮神社もなんとなくこの一週間前からお参りを辞め、
鳥居をくぐらずにお堂と祠を眺めるだけになった。
それもこの本を買った辺りからだね、今思い出した。

反面、お寺というのは全く平気だ。
むしろあそこは死んだ人を弔う場所であり、その手の存在がいっぱい集まっていると思われがちなのに。
お香の香りも好きだし、むしろホッとしている。 仏じゃないっつーのに。
うーん、なんかあるかね。 知らない方がいいかも、今のとこ。

あれこれと呪いやら御利益やらなんやらと紹介しまくったその手の本は多い。
だけど、この日記や覚え書きともいえるささやかな装丁の文庫本一つ、
それがなんでこんなに強力な何らかの作用を持っているんだろうな。
いや、生き物はただ生きてるだけで充分不思議だ。 
チャクラや経絡はさっぱり解らんけど。
.21 2009
こころ comment(0) trackback(0)

天然

他で書いた日記が我ながらなんとなく面白い気がしたので、
ちょいとここにもコピーして載せてみると。

岡崎京子ってやっぱり好きだねえ。
未だに本屋ではずっと河出のムック本が平積みで売られている。

彼女は潔い小娘を書かせたら天下一品だった。
過去形なのがちょっと寂しいんだけど。

岡崎京子―総特集 (KAWADE夢ムック)岡崎京子―総特集 (KAWADE夢ムック)
(2002/03)
不明

商品詳細を見る


ムックを立ち読みでパラパラと眺めていたら、
制服をマイクロミニに改造したルーズソックス女子高生ちゃんへの脚寒くないっすか?という問いかけに、
「これが仕事っスから!」とキッとした顔で言わせているわけです。

女子高生ちゃんのピアスまとめて4、5個ぶち込んでる耳たぶが眩しいね。
こっちまでピアス孔増やしたくなるな。
こんな1ページ漫画が描かれた頃は渋谷にはチーマーなんて一人じゃなんにもできんクソガキがたむろして街を汚し、
援交という言葉も定着したころだったと思う。

(ご存知の通り女子高生ちゃん=援交という間抜けな公式ではなく、
 世間的役割をその人なりに飲み込んで受け入れてる器の大きさって奴の結晶が「仕事っス。」の一言。)


「私たち、主婦で、ママで、女です。」という何度見ても気持悪いCMがあるわけだけど。
このメーカーがTOYO○A(伏せ字になってないが)というのが、なんかこう...。

あれはVE○Yって雑誌の世界か、ママ友って立ち位置の連中でしょうか。
私なら強欲さを正直と脳内変換してんじゃないかとマイナスな感情が湧くのだけど、
岡崎なら二十一世紀なった今、どんな風にこういう女達への愛情を描くんだろう。
どんな台詞を語らせるだろう、とふと思った。

自分が嫌いな人間にだって、それぞれに愛はあるし、肉体もあれば生活だってある。
いまここで生きてるのに変わりはない。

私はこの人の真っ正直な人の見方が好きなんだろうな。
彼女の凄いとこは、不特定多数にウケたいってんじゃなくて、
これは自分がやらにゃならん役割だろうというのが解って、
それがキツい話でも引き受けられる人を応援できるんだな。

それが一般ウケし辛かったり、世間から後ろ指刺されるかもしれない立ち位置の人に対しても、
まったくもって真っ直ぐ基本明るく観ているという。

人は、世の中は、本当のとこ信じるに限る、と。
そんな達観といえば大袈裟だけど、人の生命力を信じてるんだなあと。
大雑把でこなれたタッチの線に、絶妙な間とズレのある色彩と空間で見事に表現してしまう。
確かな信頼と愛情があるのだなー。
なんかクソ真面目で律儀な職人仕事だと思う。


ま、あれだ。
その対極いてそうなガーリーとかナチュラルとかオーガニックってのを中途半端にオサレとかおしょれアイテムとしている人からはどうしても逃げたい。
小動物的な可愛さをアピールするクセとだいたいセットになってるのが痛い...。

この手の「これが仕事っスから。」という肚の括り方が出来そうもないのに図々しい人々って一番避けたいのだ。
なんかねえ、上手く言えないけど、もの凄い空気出してるからね。


散々な言い草してますけど、雑穀など嫌いじゃない。
てか、好きです、本当はね。
世間的にやたら健康志向とか無農薬有機栽培みたいなのに、
あっさりしっぽ降るのは嫌なだけですが、
炭水化物は本当に大好きだから。

人前じゃー値段高過ぎだろーよとか、銀シャリより変に敷居高いのどうよって憎まれ口叩きますけど。
たまーにだけど雑穀入りご飯炊いたり、玄米炊いたのを買って食べる事もある。

美味しいと思いますよ、穀物の味の濃さってのぐらいは感じます。
私の胃腸には厳しいので、たまのイベントって感じで食べるぐらいでちょうどいい。

上手くて栄養あるんだろうけど、オーガニックなんてのは基本そんなに優しくはない気がする。
むしろキッツいもんですね、自然ってね。

そんなキッツい、融通きかない自然ってやつから、
自分に都合の良いとこ取りみたいなことはしたくないし、できる筈もない。

なんてのをね...。
今更スピとかなんとか声高に言う人達というのは、
オーガニックな生活するアテクシみたいなテイストの人とどこかが似てる気がする。
なんかつっこみ入れられそうな気もするけど、まあいいか。
器がちっせー奴ですんません。

あ、そういやここで好きな本の話になった時って、
いわゆるスピ系って本は殆ど紹介してないね。
自分でもその手の本が何故か読み辛い今日この頃。
なんかこの手の本、妙な空気感じる気がするんだけどー。
念の強さってのかな、なんか自分だけが正しいみたいな押し付けがましさもウザー。

だからこの手の本は読んだ後は、大半は古本屋に叩き売りしてるな。
その日のうちに30円で売り飛ばしたのもあるし。
タロットと占星術関係の実用書ぐらいか、ちゃんと手元に置いてるのは。

ほんとはそんなが自分の中でいまさら感バリバリだからだろうなあ...。
祝詞だの真言だのを真剣に唱えてあれこれしたがる人を、
ふーん、としか見られないのってなんなんだろう。
自分はそう言う事全然出来ないのに。

リアル生活で突き抜けてる人との話の方がよっぽど愉しいし、
修行だ瞑想だと張り切ってる人の傍に行くことがないし。
占いなんてやってりゃ、本気でそういうことしてる方がいいだろうに。

なのに、「これが仕事ッスから!」ってな、おっとこまえ女子高生ちゃんとか、
テレクラのサクラのバイトでカレー作りながら客の相手をしてる女の逞しさにほれぼれ。
そんな突き抜け方してる人の方が、スピってのにどっぷりな人より好きだったりする。

一見して実用一点張りなことばっかり言ってる人の方が、
その言葉の一つ一つが高邁な精神の賜物なんだな。
素晴らしいエネルギー放っておるよ、中途半端なマントラや祝詞あげるよかね。
市井の中で現実と向き合ってる人こそ、その突き抜け感がハンパねーんだわ。 
この前のエントリーにもあるけど、文句無しにカッケー!って人は輝きが違うのよ。

「カッコいい」の基準ってのがしっかりあるかどうかがキモらしいです。
.20 2009
未分類 comment(0) trackback(0)

月の戦車

私には気とか波動、エネルギーの状態というのはよく解らないんだけど、
そういう本を占星術とタロットのテキストを読む合間にちょっとずつ読んでたりします。
視覚化する能力がないのだけど、たまに凄くキラキラ輝いた感じを受ける事もあります。

電車でたまたま見かけた若い女性二人連れが、スタイルやルックスがただ美しいだけでなく、
実にキラキラしていて、ハッとした事があります。
ミュージカルの舞台に立ってる役者さんだったので。
彼女達の見た目の美麗さというより、その立ち姿、姿勢の真っ直ぐなこと、
その美しい姿勢でホームを小走りに掛けていく脚の運びは、
それこそダンスのステップを踏んでいる様にしか見えなかったので。
足元からキラキラの七色の光の粒がこぼれているようだった。

驚いたのはその輝きの美しさと明るさ以上に、
周囲の普通の人々が一瞬にしてネズミ色にみえてしまったこと。
本当に一転して灰色の世界に観えた。
あの暗い無彩色な世界は、実は疲れ切った日常なんだと。
その時、一瞬で思い知らされた。

やっぱりエネルギーってほんと相対的な物だなあと実感。
解んないんですよ、プラスの存在やものを見てないと、自分自身の事は解らない。

この現実世界を生きるだけで、充分修行だって。
だって皆してこんなに疲れて色も輝きも失う程なんでしょ。
わざわざあれこれと御利益やら願ったり、それも無理無いとは思うんだ。

だけどそんな中でも別にあれこれ頼らなくたって、
日々の苦しい練習に耐えて好きな事を追求していられるだけで充分なんではないかな。
あの歌劇の舞台に立っている彼女達のように。
電車に乗ってるぐらいだから、大勢のタニマチを従えるトップとかではないだろう。
ラインダンスや端役をこなしながらも、それでもあれ程の輝きがあった。

彼女達と同じルックスやスタイルが望めるわけじゃないからこそ、
せめて、そんな姿勢の美しさだけは見習いたいもんです。
肉体と精神の両方ね。 
これが肝心、やっぱり片方だけじゃダメなんです。
こうありたいと思ってやっていきたい。

とりあえず五体満足に普通の生活してる人でも、例え寝たきりや車椅子の人であれ、
気持だけでもそうあろうとするだけでも、その瞬間から何かが変わる筈だ。
それが普段は目に見えない、氣、波動、エネルギーと呼ばれるやつかな、と。

この現実世界は物質と気と両方あるわけで、
これが車の両輪として片方だけがパワフルになっても具合悪いもんですね。
無駄に精神性ばかりになって偏ってダメになる人も多いです。
うっかりしてワケワカラン教祖様やらお師匠さまみたいになってもねえ。

とりあえず、目に見える事をちゃんとするのが一番ですかね。
肉体でもって生きてるだけで、そらもう大層な修行ですよ。
例えば病気になったら病院行って薬飲んで、
それからエネルギーの事考えるぐらいでちょうどいいかと思います。
嗚呼、病気になっちゃったなあ、しょうがないなあ、
だけど、なんでそうなっちゃったかなあって。
そういうことも思うぐらいで、身体の中の何かが変わる、多分。
薬と医療と看護の手がその観えない力を底上げしてくれる。

なんでもかんでも観えない世界の力とか、レイキで全て何でも出来るなんて無茶ですよ。
現実の医療とエネルギーとの両方が合わさって、初めてなんとかなるんです。
肉体と精神と両方で、どっちかだけでなんとかなった試しが実はないって、
今までのことを振り返るだけで、誰でもすぐに気付くと思います。

戦車のカードって、白黒のスフィンクス、もしくは馬が車を引いてる絵柄ですけど、
人間のやる気ってのは、あの二つをバランス取らないとどこにも行けないってことかも。
戦車の乗り手の肩にはエポレットとして満ち欠けを繰り返す三日月。
ふらふらと常に一定しない心と身体の調子をどうやってバランス取るか、
そんな緊張感が顔に漲ってたりしますよね。

占星術では蟹座を象徴。 蟹座の支配星が月。
敏感に変化する体質と心、感情、子供の為には命がけで猪突猛進。
思い込んだら一直線にばく進する勢い。
弱いのと激しいのとがないまぜなのが月(感情)だったり、
人の現実世界でのエネルギー状態なのかもしれませんね。
.19 2009
こころ comment(0) trackback(0)

ツキノヒカリ another

さらにもうちょっと月のメモ

月はその人の幼少期を表す。
0歳から7歳まで(人によっては4歳までという解釈もあります。)の年令域を表していて、
実際、昔は7歳ぐらいまでの子供は神様の様なものと考えられていたらしい。
潜在的な世界とまだ繋がってる状態。

つまり、観えない向こう側の世界の住人と同じ、という扱いね。
子供ってのは確かに神様の依り代とされたりもしたから。
向こうの世界と臍の緒が繋がってる状態が小学校とか社会性求められ出したら、
段々に切れちゃうわけ。
(これは土星による作用の結果。)

なので、やっぱり現実に疲れた時に本音が出たり人によってはヒステリックになるのは、
向こう側にちょっと帰りたい、リンクしたいときだろうかと思ったり。
ちょっとだけ子供に帰りたい時っていうのは間違いない。

感情、感受性ってのは水気が多いもんなんですな。
あまり多過ぎると面倒。 ユルユルにしてるとタチの悪いのにつけ込まれますからね。
何事も自分にとって程々に保つというのが、実は一生のテーマだったりするのかも。

感情だって多すぎれば持て余すし、無さ過ぎたらパサパサで味気ないからね。
その人にとってちょうどいい瑞々しさを何時までも保てるように、
感受性とか感情というのを自分のも誰かのも同じ様に労れるように。
月は前世から持ち越してる光だから、守ってあげないと。

受け身で甘えん坊で守られたい子供な要素が「月」なので、
そのサインのウィークポイントでもあり、逆にそこを上手くあやしてやると。

実はこれが、男女問わず家庭というのを平和に運営していく鍵です。
.15 2009
Astrology comment(0) trackback(0)

ツキノヒカリ

満月過ぎた所で、なんとなくメモ書きを。

私は人は悟りとかなんとかって、無理に得ようとしなくていいと思う。
魂の成長、スピリチュアルグロースなんてのを言われたって、
実際この私自身がピンとこないのだ。
別にそんなのどうでもとは言わないけど、いちいち考えなくてもいいんじゃないかという。

「悟れよ」なんて上から目線で誰ぞに言われた日には、腹が立つよなあ。
なんだそれ、それができてりゃとっくに六道卒業してるだろって。
ってか、悟りってやつを得ていれば、最初からこの現実世界に生まれて、
七面倒くさい人生なんてのやってたりしてませんから。

その日その日、精一杯やって、腹が立つ、マイナスな感情が湧くならそれでいいんじゃないかと。
そうそう簡単に悟れって言われてできるかね、そんなの。
むしろ、そんな風に苦しい気持が湧く自分を正面から観てやって、
のたうちまわって、こんなに汚れているのかと思ってもいいんでは。
とりあえずそんなとこ受け入れていく方がよっぽどいいよなあ、建設的だよなあと。
ここで変に神妙にならないってとこがポイントね。

とりあえず、毎日自己ヒーリングしていますけど、自分でも効いてるかなあと正直自身無いですけどね、
でもやってると習慣になるもんです。
ご飯食べたり歯磨きするのと同じ感覚で。


そして、道歩いても電車乗っても、TV観てても気になる人のチャートが観てみたくなる。
まあこれは占星術かじってる人間のサガというものですが、
素直に人間に興味が湧くんです。
で、生年月日を知って取りあえず出してみると、月のサインが思った通りだとこれが嬉しい。
その人の本音とか本性と言われるとこだから。

月は社会生活においては厄介者になるときもあるけど、その人の敏感で水気を含んだ弱いとこ。
なので、そのサインが思った通りだと、この人と心通わせられるかも、などと勝手に思ってしまう。
勿論、そんな期待だけじゃやってけないけど。

月はその人の前世から持ち越したクセ、そしてきっと悟りきれなかった部分。
自分の中で守ってやりたい場所。 ネガティヴなところを照らし出す癒しの光。
辛い時、そして最期に帰る家。


自己啓発やら願望実現とか、引き寄せとか、成功法則とかってなかなかしんどそうですね。
その類いの本とかをいっぱい出してたアメリカが、
いまなんだか大変そうなのってなんでだろう。
元から色々大変そうなとこですけども。 
日本や他の国々も思いっきりとばっちり受けてますけど。

私は普段、太陽が大好きで道歩くときも日当たりのいいとこを歩く。
チャートでも太陽を誰しも一番活かせたらなあと思うけど、
太陽を拡大解釈しまくったのが、いわゆる自己啓発なのかなあとも思う。
こういう事書くと、色々ヤバいかな。 ま、いいか。

結論として。
ワケ解らん「悟り」より、自分を癒してやる方が手っ取り早い。
というより、ヒーリングの方が先でしょう。
自分を可愛がってやれるのは自分自身。
可愛そうだなあと思ったら、光が当たっていない自分自身のダークサイドに月の光をイメージ。

滴り落ちる水の様な月の瑞々しい光を当てて、
かたくなになった心を緩ませて癒すのが一番。
太陽じゃおっとこまえ過ぎてあっけらかんとしてるし、あまりデリカシーないからね。

自分に自信を取り戻そうとあれこれもがくのもいいけど、
太陽と月とがセットで人間できてるのを忘れない様にね。
タロットの18番は月。 19番の太陽よりも先にあるのだ。
生命力漲らせる前に月の光のイメージを思った時に、
自分を労ってやれるんじゃないかと。
「悟る」なんてのは、そのずっと後に来ると思う。

悟れよ、なんて誰にも言われる筋合いのもんじゃないのだ。 

これでいいのだと導いてくれる月の光。
.12 2009
Astrology comment(0) trackback(0)

流れる

前のエントリーに補足としてメモった後で、チャレンジ精神湧いてきたりして。
困り者として放置プレイだった猫モチーフのデッキをそろそろ手懐けてみるか、などと。
ちょっとした調教モード。(←偉そうな)

普段使ってるデッキと比較して、色々相対的に観ていくわけで。
これからの経過を観ていく必要はあるな、色々どう変化してくんだか。
レイキでも自己ヒーリングは一生のテーマだし、
その点では人が作ったタロットカードだって同じなんですよ。
ヒーリングだって、どんな道具をどう使うかだって、アプローチ一つに掛かってるのかも。
これが「絶対」ってことはありえないんだな。

占星術とタロットカードの話メインで、趣味の石好きな話とか、
気紛れにレイキやちょっとした妄想とかのカテゴリもありますけど。
いわゆるスピ系とかスピリチュアル系ってのとは多少外れた場所に設定してるつもりなんだけど、
世間様からすりゃ、そんなの全部いっしょだろって話ですかね...。
私からすりゃ投機とか、本気で相場師なんてのやってる人の方が、
そうとうスピ系なんじゃないっすか?
デイトレーダーなんて呼び名じゃ、スピのスの字も感じさせないけどねえ。

ま、それはともかく。
 
精神世界って奴は蓋を開けてみないと解んないもんだなあと思います。
普段の人間関係というものの実体と変わらないですね。
人の想念でこの現実世界が出来上がってるんだから、当たり前だけど。

人に対しても、本やネット上のテキストに対しての態度というと、
山に生えてる野草が食べられるかどうかって感じ。
とりあえず口に入れて、なんかダメって思えばその場で吐き出してさっさと次を探す、
みたいな感じです。
なんだか原始人だな、これじゃ。
ちょっぴりの勇気というより蛮勇ですな。
ま、そんな雑なことをしている奴に、頼もしい味方というか相棒が占星術とタロットカードか。

いわゆるパワースポットっていうとこにも自分から進んでいくことがあまりなかったりね。
タロットでここ行ってみようかなあと思っても、
「辞めとけ!」みたいな結果しか提示されない事が多い。
なんでだろうね。 ま、その時々の相性ってやつかな。
とりあえずカードからは素朴な愛情を感じているから、なるべく素直に聴いておく。

今年に入ってから子供の頃に好きだったものを思い出す作業が多い。
トランジットのノードがネイタル月とハードアスペクトを形成していると、
人間関係のみならず、無理に物事を進めようとしない方がいいようで。
しばしノスタルジーに浸るのも善し。

先日、占星術の勉強会で、改めてギリシア神話の神々の名前を口にしたり。
小学校低学年の頃に百科事典で天球図や天文写真や星の名前を観て感動したのが、
占星術に興味を持ったきっかけだと思い出した。
そこで、ギリシア、ローマ神話の神々の名前とエピソードを覚えたのだった。

昔の人は星で方角を観たり、暦をつくったという。
そして黄道十二星座というのがあって、それを元に占いをするという。
そんなことを知って、子供心に美しいなあ、よく出来てるなあと腑に落ちた。

古今東西、星は誰の頭上にも平等に光を注ぎ続けてきたから、
神は天にいるようになんとなく思えたのかも知れないな。

天体は宇宙のエネルギーのシンボルとして観ているわけだけど、
神話も星のエネルギーを通して送られたメッセージなんだろうと、
ちびっ子時代に読んだ西洋の神話の解説や神々の名前を思い出している。

そんな原点を思い出せるアイテムをいまさら大人になってからやっているというのが、
素朴に不思議でしょうがないんだけど。
宇宙ってのはやることなすこと、万事ぬかりはないってことですかね。

そんな用意周到な宇宙のエネルギーに流れ流され、さて明日はどうなりますことやら。
.08 2009
こころ comment(0) trackback(0)

Why are we sleeping? (補足有り)

とうに解散しちゃったけど、我が愛するウェールズのバンド、
Gorky's Zygotic MynciのPV。
オリジナルはSoft Machineでしたな。



で、こっち。 元ネタと言っていいのか、Kevin Ayersのヴォーカルで。
足元から込み上げる様な、実に不穏な唄声で。



どちらもよろしいですな。
私はやっぱりGorky'sのEuros Childsのヴォーカルとルックスとセンス(って全部じゃん。)
の方がが好きだけど。

去年見つけたので、たまーにmyspaceのEurosのとこを覗きにいったりもします。
友人のところにKevin Ayersがいてて、
おおー、生きてる!(失礼)などとちょっと感動したりもした。

夕べはこんなとこばっかり観て愉しんでましたが、
ちょっと悩ましいのは、放置しながらも気になってしょうがないLlewelyn Tarot。

http://www.astroamerica.com/t-llewellyn.html

こんなに穏やかな美しい水彩の絵柄で、裏はウェールズの赤いドラゴンがうずくまっているという、
実に素敵デッキなんだけど。
なのになつかないんですよね。 悪意のある答え方をわざとしてくるので。

とりあえず、再チャレンジしてみるか...という気になってきたので、そろそろ。
レイキしながら、暫く使ってみますか。
他にもなついてない、あんなデッキ、こんなデッキ、まだまだあるけど。
一番気になるのがこれ。

ケルトくさいのはどうしても無視できないのです。 むう。

師匠とかグルといった存在を設定せずに、自分なりのやり方とかペースでやっている。
占星術もタロットも、霊授受けて後のヒーリング技法についても少しずつ。
これってネットのおかげだなあ。 それ以前、十年以上前とかだったら大変だよ。
日本の書籍でどうしても物足りなければ、もう自力で辞書片手にぽつりぽつりと洋書読むしかなかっただろうから。

天王星が魚座を運行中の今だからこそって感じだな、なんかこれって。
自分なりのスピリチュアリズムってやつを探してみるって感じ。
インターネット活用しまくってって。

次の牡羊に入ったら、どうなるかなあ。

これまたハイテンションな天王星になりそうですけどね。

それこそ寝てるヒマなさげ。


で、その後。

デッキを両手で挟んでレイキしてみてから展開してみたところ、
とりあえず穏やかな展開に。
実占で使っているAquarian Tarotとその日のオープンリーディングで出たのと、
同じカードも出ている辺り、自分の普段のエネルギーに素直に反応しているようで。

とりあえず、レイキがこだわり、わだかまったエネルギーをほぐす効果があるのを実感。
どういうわだかまりがあのデッキ、自分自身にあったのか。

動物モチーフや自然を美しく描いたデッキほど、一見可愛かったり穏やかそうで、
実は扱い難いものが多い。
特に猫モチーフのタロットは未だに使い難いです。

以下は推測。
デッキの絵を描いた画家、制作者の意図の中に、人間社会へのマイナスイメージがあるような気がする。
人間は悪い、醜くエゴイスティックな存在だという見解が心の奥底にあるのかなあ。
しかし、そういうデッキ(というか、人ですかね。)程、放っておくのはマズいかなあと。

とはいえ、実際何もできないんですけどね。

レイキが流れをスムーズにする作用は感じましたね。
何か滞っているものが流れるようになったんじゃないかと言う、漠然としたイメージ。
精神で言えば、やっぱり頑固さとかこだわり、わだかまりといったものが溶けるのか。

溶けるっていうと、やっぱり海王星チックだな。 
ヒーリングって溶けるんだなー。

今回だけじゃなくて、暫く続けてみましょう。
ヒーリングも一度で問題解消ってわけにいかないのでね。 継続しないと。

2008.2.6 補足
.04 2009
Tarot Card comment(0) trackback(0)

Swordのお話

タロットカードの展開の中で、出て来ると扱いが難しそうに思われがちなのがSword(剣)。
諸刃の剣というぐらいで。

Swordが表す現実は言葉だったり。
口から出る言葉でも、批判精神の方。
知性からは批判が現れやすいっていう現実があるからでしょうかね。

言葉は人の心を刺す、というのは、以前習っていたヨーガの先生の実体験からのお話。
ちょっと前には鬱の人に「頑張れ」は禁句だとよく言われてましたけどね。
でもふと思うのは、そんなに意識しすぎるのもどうよっていう新たな批判精神。

傷ついたと主張するのもいいんですけど、じゃあ自分はなぜ批判されるのか、
または誰かを批判するのか。
そういうところを突き放してみる為にSwordはあるんじゃないか。
剣の先は相手に向けているようで、実は自分の方に向いてるような気がします。

占星術のエレメントに対応するのは風。
デッキによっては火と解釈されてるのもありますが、やっぱりSwordは風だと思うな。
金属で出来ているひんやりした感触、気軽に寄せ付けない空気。
冷で乾。

批判の全く無いぬるい世界では、動きが現れないので、ほどほどなら。
このほどほどって加減が一番難しいのですけどね。
まあそれを言えば、火(精神論、行動力)土(現実性、感覚)水(感情、情緒)は皆してそう。
四元素のどれ一つバランス崩してても、人はどうにかしてバランス取ろうとしますから。
無い所を補完しようとするのは、この宇宙にいてる限り、皆いっしょですよ、きっと。

据わりのいい人ってまずいてないんですね。
エレメントやサインがばらけていて、一見するとバランス良さげに見えるチャートの人に限って、
実は何をしていいのか解らないって人が多いです。
アンバランスで一つのサイン、エレメントが強調されているというのは、
本人さんは苦しいけれど、何か目的意識を自覚している人が多い。

タロットの展開もそう。
どのエレメントも全体にある様なのは、さほど逼迫した感じがしませんね。
ケルト十字でオープンリーディング(わざとテーマを設定せず、無意識な感じで展開してみること)してるとよく解ります。
無意識でも気になる事があれば、同じカードがデッキを変えても展開されるので。

こういう時、人はSwordを使っているんだと思います。
思考や批判は何故起こるのか。
批判する相手と同じ要素が自分の内側にあるからだと気付いた時に、
他のエレメントも総動員する必要性があるんです。

言葉は人を刺す。 
刺すのは嫌いな誰かじゃなくて、最終的に自分自身と解っている上でなら、
使い方も解るんじゃないかね。

タロットや星の言葉を聴いていると、神様ってのはいてるのかな、いてるかもねえ、
ぐらいの感じで気が楽になる。
誰かや何かを神様みたいに設定することがないからね。

Swordはスパイスや薬味に近い。
あればピリッとして、エッジが立つ。
方向性が定まったり、空気がシャープになってスッキリしてクリアになる。
適度に効かせれば、後味に爽やかさが出せるし。

批判精神というのは、自分の正当性を主張するためのもんじゃないと思う。
「嫌いは好きのちょっと前」って忘れない様にね。

ネットでのスピ系、スピリチュアル系ってのも色々ありなんですかね。
これほど諸刃の剣ってのが解りやすいツールは他に無いですね。
まあ、程々に。 
批判のやり過ぎはどっちにしても傍から見て「痛い」ですよ。

あ、批判しちゃったよー。(苦笑)
.03 2009
こころ comment(0) trackback(0)

タンブル好き

手持ちの石で、特に気になるものを先日タロットで観た結果

アメトリンとモルガナイト

アメトリンのタンブル

自分 太陽
石  世界

モルガナイトのタンブル

自分 CupのA
石  Cupの10

なんかこう、凄く腑に落ちる結果でした。

アメトリンは最初アメジストのトレイに混じって売られていたもの。
なんとなく気になって手に入れたものの、他のタンブルと一緒に袋に入れたままで、
いつの間にか一部が擦れて白くなってたり。
結構粗末な扱いしていたくせに、いつも持ち歩いてたもの。
占いを必然に迫られて勉強しだしたころに、金色の虹が浮かんでいるのに気付いたり。
それまで、虹も何も見えない地味なタンブルだと思ってました。

モルガナイトは他の石と一緒に売られていた石の中で一番小さくて安かったけど、
一目で引かれたもの。
手のひらに載せた瞬間、レイキを受けた時と同じヒーリング効果を実感してその場ですぐ購入。

石好きな人にも色んな好みがあるようで、原石が好きな人、丸玉や勾玉とか、
ビーズに加工されたものをブレスレットなどに仕立てる方が愛着が湧く人、色々みたいで。

私はその昔、売り場では握り石と呼ばれたタンブルが一番好きですね。
最低限の加工のみで、原石ともビーズともまた違う素朴さが馴染みやすい。
「石ころ」っていうと、やっぱりこのタンブルのイメージ。

二十年近く前は原石が好きでよく標本を買ったけど、
普段持ち歩くには表面がすべすべしていて、手にすっぽりおさまる方がいい。

持ち歩いていると、色んな風景や感情を石と共有しているような気分になる。
そういう風に石と共に過ごすのがすきなので、アクセサリーも好きだけど、
タンブルを見るとついつい手が出るのです。
.02 2009
こころ comment(0) trackback(0)

共に生きるイメージ

トランジットで重視するのはまず社会性の木星と土星、それからアウタープラネットを見るわけで、
天王星、海王星、冥王星という辺りは無意識からの呼び声をその人がどう受け取ってるかを見ています。

言葉に表しきれない思いというのは、おそらくこの三つのアウタープラネットからじゃないかな。
で、一番難しいというか、なかなか積極的に読む事が無いのが海王星。
物事を曖昧にして境界線を無くす作用をもっているので。
なので、これを社会の中で活かすには、損得勘定は抜きにせざるを得ないんですね。

この星はボランティア、ヒーリング、慈悲、芸術性(特に音楽、ダンスなどの舞台で行われる時間芸術の方)、アルコール、ドラッグ類、液体と言ったつかみ所がない存在を表すので。
金星のハイオクターヴと言われて、この現実世界で無償の愛と呼ばれるのはこの星の管轄。
見返りを求めない作用ですね。

今は水瓶座運行中で、霊的な作用がますます強まってるかな。
で、「共に生きる」イメージが強化されてると思うんですよ。
平等と博愛精神を尊ぶ水瓶サインの色づけがされているので。

それが乙女の土星と拮抗しているのは、現実の価値と共生とをどうバランス取るか、でしょうかね。
前のFoolってエントリーでも書いたわけですが、そういう事。

普段トランジットを読む時には、海王星の事は一番後回しにしがちです。
クライアントさんは誰しも眼に見える結果を求めるのでね。
芸術性や美的感覚重視するクリエイターならば社会の中でも使いやすいのだけど、
実業家、勤め人などには直接使えない星ではある。
こういう立場の人に海王星がハードできたら、無茶をしないのが一番。
体力が弱りやすいので。

水瓶の対抗サインの獅子の人は大変か、もしくは調子よくやれてるかのどちらかにスッパリ分かれてるかも。
獅子サインのキーワードは創造性なので、何かモノ作りしていれば使いやすいんですが。
自我を強烈に出している人には反って苦しいかな。
今までのアイデンティティが崩壊してしまうので。
実社会で堅いお仕事に従事している獅子の太陽の人だと、自分で自分の事が解らない時だったり。
ダイレクトに来ている水瓶、スクエアに当たる牡牛、蠍サインの人にとっても音楽や芸術、
精神性の追求に忙しいかもしれない。

上に上げたサインの太陽もしくはASCの人なら、身体の無理が利かない時でもあるので、
普段はゆっくり本を読むでもいいし、どうしてもスポーツするならプールで泳ぐ、
もしくはヨーガ、太極拳、気功などセラピー的要素のはっきりしたものがいいです。
アシュラムでの修行モードというのが鍵。

水瓶の隣の魚サイン運行中の天王星とミューチュアル・リセプションしてるのでね。
この天王星とのエネルギーとの循環があるので、ちょっと神懸かり的な空気が強まってるかな。

なので今の水瓶の海王星、組織の中でのお勤めに馴れ切った人にはちと辛い。
不動宮の太陽とASCの人は、オンオフの使い分けをしっかりと、
なるべく沢山の睡眠を取る様に心がけてください。

「共に生きる」、社会でならワーキングシェア(ワークシェアリング)なんてのは実現しやすい。
日雇い派遣を切られた人達にこそ、日本のウィークポイントである農業技術を身につけられる様にサポートできればという発想とか。
ちょっと意外性(水瓶、天王星っぽい)のある打開策と共生していくイメージ(魚、海王星っぽい)が現実になりそうな気配という。

ここは魚の天王星と乙女(奉仕と勤労)の土星(義務、実在性)のオポジションと共に、
上手くエネルギー交換できればなあ...。

実はキロン(トラウマ、高度な医療、ヒーラー、占星術師、何かを探す人)とノースノード(現実の前向きな方向性、個人レベルでは現世での目的意識)も水瓶サイン。

http://www.ffortune.net/fortune/astro/sensitive/index.htm

これもまた「鍵」になりそうですけどね。
.01 2009
Astrology comment(0) trackback(0)
 HOME 

プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

当方では対面、メールでの有料個人セッションのみとなります。
ブログ上でのコメント欄での一個人のリーディング依頼はお受けいたしかねます。

Webサイト・ブログ、印刷物等への転載はお断りしています。

あしからずご了承下さい。


西洋占星術とタロットカードによるリーディングに関するお問い合わせはこちら

最近の記事

最近のコメント

FC2ブログランキング

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

フリーエリア

PopUp Wikipedia?

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ

リンク

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。