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和菓子色

日本の神様カード日本の神様カード
(2008/03/17)
大野 百合子

商品詳細を見る


美味しそうな色で。
イラストレーターさんのファンだったりするので、
このカードが発売されてすぐにどうしようかなーと悩んだんですが。
あまりオラクルカードに馴れていないのです。

でもDenaliさんのだし。
買ってみてマニュアルの奥付けみると、もう第二版掛かってたし。
あちこちでも好評なのは、ありそうでなかったからだったり、
やっぱり彼女のイラストの力は大きいんじゃないかな。

もともと彼女のイラストを知ったのはチェコ情報誌「CUKR(ツックル)」から。
なんともマジカルな味わいのある表現で、東欧、中欧辺りの空気に合うイラストだったり。

とりあえず、このカードで今まで怖そうだなーと思っていた日本の神様を知るのもいいかもしれません。
まずは和魂な感じから。

http://www.denali331.com/

http://cukr.net/
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.31 2008
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不思議のネックレス

勾玉ネックレス
星猫の宴☆Pearlmaple 画像、作品の無断複製ご遠慮下さいませ。

「MAGATAMA木工所」さんの梅の木から作られた小さな「創造の種」。
スタンダードな勾玉二つを「星猫の宴」さんを通して、
アクセサリー作家Pearlmapleさんにネックレスにアレンジしていただきました。
ありがとうございました。

作られる作品は全てオリジナル。
その時々で、何処かからダウンロードされた情報から出来上がった作品は、
二つと同じものがないそうです。

このネックレスの作成に当たって、星猫の宴さんから尋ねられた時にお願いしたこと。
二つの勾玉を一つのネックレスにアレンジしていただきたいという事。
素材は金属チェーンで、という事だけ。
作成の際にはPearlmapleさんから天然石の好みを訊かれて簡単にお答えしたぐらい。

出来上がった作品を観た時、正直、息をのんだんですよ。
自分に一番馴染みやすいシルバー素材、ポイントにはソーダライトのビーズ。

実は普段、左手首には腕時計とソーダライトのビーズとイルカのチャーム付きのシルバーのブレスレットを毎日しているのです。
今までそのブレスレットは買ってから何年も放置プレイしてたもの。
それがこの占いのお仕事を本格的に初めてから、何故かしていないと寂しいという。

ソーダライトは喉に作用し、コミュニケーション能力を助ける作用があるそうで。
喉がウィークポイントで、声が割れて声量も無く響かない私には今これが必要らしい。
普通にお勤めしていた頃には、全く意識しなかった石なのに。

そんなブレスレットとまるでペアになるために宇宙からやってきたようなネックレス。

不思議な繋がりから産まれたネックレスはそのデザイン通り、
やっぱり惑星を繋げたように見えます。

実はこのネックレスのデザインを御覧になった勾玉の作者が、
まるで惑星の配列の様だという感想を。
まさしく、そのとおりです。

このネックレス作成に当たって、「アシンメトリー」という情報がダウンロードされてきたとか。
作者のPearlmapleさん曰く、この作品は私の「何か」だそうです。


不思議なご縁を繋ぐネックレスでもあるのです。
そして、この作品を身につけてから、身の回りに変化が色々と。
さあ、どうなるんでしょうか。 どきどき。
.28 2008
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Live under the Sky

うわさの人物―神霊と生きる人々うわさの人物―神霊と生きる人々
(2007/04)
加門 七海

商品詳細を見る


って繰り返し読んでると面白いなあ。
なんで面白いかと言うと、私には霊視って出来ないから。

ネイタルチャート観ていて、何かひらめきが出る事はあります。
で、クライアントさんに伺ってみると、これが確かに事実だとお墨付きを頂く。
そこで、嗚呼、当たってたんだなーと。
でも占いそのものの精度とはまたちょっと別かもしれないな。

占星術は相占ですが、そこから想起されるインスピレーションというのは確かにあるようで。
だけど飽くまでその時だけなんですよね。 ただの直感。
何かヴィジョンが観えるわけではない。 少なくともその時の私の場合は、ですが。

基本、霊感で観てるという人は、カードや占星暦、サイコロ、筮竹といった道具があるわけじゃないんです。
全く道具も何もないところから観えているので。
色々なやり方あるようで、オーラの泉でやってるような御本人を前にしての「シッティング」もあれば、
名刺などの名前を見た時に面識の無い人でもパーソナリティや御本人のバックグラウンドが観えてしまうという人もあり。

で、こういう事はじゃあ本当なんですかと言われると、
やっぱり検証して一致してれば事実であると。
そんなもんなんです。
なので、今すぐ嘘か誠か、ただの妄想や精神を病んでるのかってどうこうっていえないんですけどね。

このインタヴュー集でどなたにも共通しているのは、正に「肉体で存在している」ということで。
通常の次元から見えない世界のことにあまり執着し過ぎてない。
ましてや、見えない存在を安易に崇め奉ったり、必要以上に怖れない。
彼らが堂々としていられるのは、自分がこの現実世界で肉体で存在している強みを理解出来ているから。

この世で一番強いって、やっぱり肉体持った生き物だと思いますね。
人一人でも生きる為に沢山の動植物を食べて、そこに存在してますから。
「生かされている」ってよく簡単に言うけど、肉体や皮膚感覚大事にしてれば自然とそうなるもんなんですね。


で、繰り返し読んだ実感でなるほどーと思った事。
よく修験者がやる荒行として有名な滝行。
山奥で滝に打たれるって、あれですね。
実はこの本読んだ後で解ったのは、あれってグラウンディングの方法の一つだと。

いやー、知りませんでした。

精神性を求め過ぎると身体と精神が乖離しちゃうので、
それを敢えて厳しい自然の力で引き戻すらしい。
「こんなに身体苛めてどうするんだ。」みたいな感覚。
すると、ここに存在している喜びが目一杯湧くんだそうで。

自然ってやっぱり凄いなあと思う。
滝だからまず水の力の凄さがダイレクトに来るでしょう。
人体の70%が水って事思えば、実に解りやすいのなんの。

何時かは死ぬ身、誰しもそこだけは必ず平等に来るもんだから。
精神性がそんなにも大事なら、まず身体大事にしようよって。

身体の調子なんて普段の生活ならいまどきの街中でのお勤めなんかしてたら、
「調子悪くて当たり前」(by ビブラストーン)。

良い時って本当に嬉しい時。
健全な肉体に健全な精神やどれかし、っていいますよ。 古代から。

じゃあ、障碍者の方はどうなんだって混ぜっ返す人もいるかもだから、簡単に。

障碍をどうとるかに寄ります。
先天性の場合、私はこれをこの世に産まれてくるに当たって、
自分の肉体での存在する上での条件としてその人がのんだと考えています。
それが苛烈なものであればある程に、インパクトのある存在になるようです。

そういうタイプの人が、実は周囲の「健常者」と呼ばれる人々に或る種のインスピレーションを与えているようです。

解りやすいところだと、映画「レインマン」とかね。
何かを創造する手助けをしたり、人の気持の中の何かを底上げする存在になるようです。 

なので肉体で地に足付けて自然と触れつつ存在すること以上に、
現実での幸せって他にはないんだなあと。
.28 2008
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パークサイドは夢の中

ここから書く事は飽くまで私の主観(ってここで書いてる事は全部そうだけど。)ということで。

精神世界系で、よく「上の方々」ということを口にする人がいます。

私は自分を守護、指導してくれる存在を認めていますが、
それを上だとなんだのとイージーに呼ぶ事には大変疑問です。


ましてや崇め奉るのは筋違いでしょうね。

天使や「上の方々」と繋がりやすいから、という理由でベジタリアンになることもありません。
一時的な体質改善や、病気、アレルギーなどで食べられないならともかく。

以前、ダイエットでお肉を控えただけで、あまりにも過敏で不寛容な人格になってしまった経験から、
安易に肉を食べる人を低く見る傾向のある人には少し距離を置いて静観しています。

食べ物が偏ると、どちらにしても思考が硬直化しがちな気がします。

個々の体質がありますから、動物性食品の摂取の是非を簡単に決める事はできません。

しかし、いまどき増えているのは「高次」「低次」と簡単に決めつけたり、上下を安易に判断してしまうような発言の多い人。

自分だけが本物、後は偽物、インチキだのと勝手にこれまた「決めつけて」他人を貶める発言をする人。

今はこういう方々が精神世界系でもそれなりの影響を持つようになっているような気が...。

何故人間は草食動物ではなく、雑食性の有り様を選択したのか。

そこから考えれば、自ずと何か気付くところはあるのではないでしょうか。

究極、その人の普段の生活や有り様と職能としての力は別だと思っているので。

なので、別にレイキとか、霊視しながらハンバーガーやカレー食べてて全然OK!
だったりして。(笑)

ってか、そのぐらい緩ーい方が、人生愉しいもんですよー。

幸せは誰かに決めつけられるもんじゃありません。

ましては「上の方々」が勝手にそうしたり、その手の存在に決められたりするもんじゃないんです。

基本はそんなところ。 普通に存在していれば。

たまに強制的に神懸かりとなってそうなる人もありますが。

なればなったでやはりそれは大変なんですよ。
ましてそういう状況を受け入れてくれる環境が整ってなければ。

だから、普通に毎日肉でも野菜でもなんでも食べて、愉しく人生という舞台を終える。

これに尽きる喜びはないんだろうなあ。
.23 2008
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月蝕と厄神明王 (追伸あり)

お盆も過ぎたところですが、ちょっと妄想をば。

厄神明王って去年までどんな存在なのか知りませんでした。
祀られているお寺の隣町に住んでいながら。
調べて解ったのは、愛染明王と不動明王が合体した存在だと。
愛染明王は人の煩悩と愛欲を認めて、そこから向上しようと導く存在なんだと。
仏教世界の愛の存在なのかなー。
でもなんだかそれは生々しくも激しく切ない感じですねえ。
そのせいか、水商売の女性を守護すると言う。

夕べ床についたら、御札がひらりと落ちてしまいました。
私が寝ているところから見上げたところには厄神明王の置いているんだけども、
窓の上なので、ただ置いてるだけだと簡単に落ちてしまう。
で、後ろにテープを付けてで壁に貼ったものの、どうにも具合がよくない。
すぐに剥がれてしまう。 最初はテープが古くて劣化してるからと思ったけれど。
なんだか御札が嫌がってるみたいな。
で、眠りに落ちるかと思った矢先に、ひらりとまた落ちてしまった。

朝目が覚めた時と夜寝る時に電気消す前に「うんしっちかんまん」というマントラを7回、
毎日唱えている
その日もそうして、床についたのだけど。
暗いなかで、あー、仕方ないなあと思って手を伸ばして御札に触れたら、なんだか熱い...。
怖くなった。
いくら厄神さんとはいえ、なんでこんなに御札が熱いんだよー。(ガクブル)

手もいつもレイキするときの様に、いやそれ以上に熱いような。
私はいつもレイキしようと思うとすぐに両手が熱くなる。
サードディグリーを受けた時に霊授の前にティーチャーと差し向かいで座って普通にテキストを読み、
彼の講義を聴き始めたとたんに、そのような反応が出る様になった。
以後、レイキをイメージしただけですぐに手のひらの真ん中から熱を帯びて来る。

夕べはその御札自体も、手もやたらに熱を帯びてて怖くなった。
そんなこんなで、今日ははずっと厄神明王さんの事を思い出していたり。

隣町で祀られている厄神さんだけど、実は去年まで初詣も行った事が無かった。
去年辺りから、もうどうにもならない状況に置かれていると思って鬱になっていたときで、
なんとなくお祓いまで受ける事にしたのだった。

初めてのお寺でのお祓いだったけど、沢山の人達と座って一緒に。
なんだか落ち着いて受ける事が出来た。
お香の匂いでいっぱいだったけど、この匂いは好きだなあと。
御札をいただき、産まれて初めての自分から進んで受けたお祓いは終わった。

それから程なくレイキに出逢い、子供の頃に出逢って惹かれたけれどその価値を知る由もなかったタロットカードに再会、
そこから本格的な占いの勉強、十年以上勤めた先を退職、占師デビュー。
その年、私は自分から今まで普通にしていたつもりの勤め人生活から、
その年の夏には、あっさり離れていた。
この間、厄神さんへの初詣、お祓い受けてから正味半年そこらである。 
いったいどうなってんの?って勢い。

正直、いまだってあのルーティンワークでそこそこの生活が保障されていた頃に戻れたら、
と思わないでも無い。
売り上げどころかゼロで足代出たり、他の人にお客が付いている傍でぽつんとしている、
そんな日々が続く現実なんてとてもとても、と思っていたわけだから。

しかし、これが現実化した。
今、自分の両手のひらは熱い。 夕べは厄神さんの御札までが。
実は今の御札は、そえごまを500円で買って願い事を書いて、その後に頂いた御札。
ご祈祷受ける余裕が今年は流石に無いのでね。
この御札、玄関に貼るんですね本来は。 
HPのお守りや御札のとこ見て、今知りましたよ...。
だから、これってこの地域ではおそらくあちこちの家で普通に貼られているだろう。

まだまだクライアントさんは少ないし、自分でも世間的には無名の方が都合がいいだろうと思っているのだけど、
実質一日一人だけでも精一杯持てる力でリーディングさせていただいている。
その後には、宇宙の皆さん、ありがとうとお礼を心の中で。

世間は誰も知らない、そんなささやかな私の事ですら厄神明王さんも、
そして魔王尊も観ている。 観られているんだな。
おそらく。


p.s.
先日、「虹のクリスタルワーク」の著者、坂本知忠氏より掲載OKのお返事を頂きました。
ありがとうございました。
.19 2008
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弥勒

震災ですっかり阪神間は様変わりしてショックだったのは、
被災して全壊した場所に元々は何があったのか記憶が薄れて思い出せなくなった時。
こういう空虚な思いとか脱力感というのは、実は結構時間が経ってからくる。
じわじわと効くボディーブローだったり。

好きだったお店も無くなったり移転したり。
震災後に消えてしまったお店に、パワーストーンとカフェが併設されたお店があった。
「MIROKU」という名前で、やっぱりあの菩薩のお名前だろうと今でも思ってる。
踏切の傍にあった。
いまでもあそこのガラス張りで光いっぱいの様子は覚えている。

商品は主にカリフォルニア辺りから買い付けてたようで、
90年代という時代を思えばニューエイジ系のものばかりだったんだけど。
アメジストやローズクオーツの巨大な原石や、それらで作ったイルカの置物とか。
後はシルバー素材で石アクセサリーね。
今でもそこで買ったレインボームーンストーンのペンダントを持っている。

いつも何故かペンダントトップ。
当時は殆どネックレスやペンダントなんてしなかったのに、何故か。
アクアマリンやブルークオーツなんて青い透明な色の石をよく買ってたなあ。
ワンド型に研磨されたアメトリンのペンダントトップが一番気に入ってるかな。
殆ど付ける事がないんだけど、そのお店で初めて知った石だから。

アメトリン、実は普通の紫一色のアメジスト以上にお気に入り。 
特に最近は。
小さい袋に普段はローズクオーツ、タイガーズアイ、ロードクロサイトのハート形、
それに不定形のアメトリンタンブルを持ち歩いているんだけど、
そのアメトリンに、先日ちょっと虹が出ているの気付いた。
それまでそんなのまったく見えなかったんだけど。
たまたま今まで気付かなかっただけでしょうね。
ちょっと手にするときの角度で見えたりだから。

私が入っているリーディングルームは席の背後にパーテーションを置いているんだけど、
実はその裏の床には数日前に購入したブラジル産水晶原石と、
アメトリンのタンブルを使ったエネルギーグリッドを作っている。
葡萄色のベルベットを敷いて、六つのクオーツ原石を六角形に配置、
その真ん中にアメトリン。

本当は全部クオーツで作ろうかと思ってたんだけど、
たまたま入った石屋さんで、綺麗なクラックの入ったアメトリンのタンブルを見つけてしまったので。

その日は正に石を買う日!って感じになってしまったな。
パワーグリッド用の安い原石セットとアメトリン買う前に、
別のお店で、初めてコスモオーラって加工クオーツとスモーキークオーツのタンブル買ってたり。

その日はずっとお店のリーディングルームで久し振りにペンデュラム三昧でした。(笑)
自分でやっているペンデュラムの精度にまだ自信がないので、
クライアントさんにはまだお披露目できないと思ってましたが、
何故かその日のお客さんとのセッションのあと、
なんとなく御本人が気に入っていると言うダイアモンドの入りのリングを、
ちょっとだけペンデュラム使ってみたり。

今でも何故あんな流れになったのか不思議だけど。
たまたまタンブルを幾つもテーブルに置いてから、クライアントさんの目にも留まったのか。
石が増えてから暫く休んでいたペンデュラムをまた使い始めました。
またこの次にでもそんなお話を。

今日仲間入りしたコスモオーラ、スモーキークオーツ、アメトリン、ブラジル産クオーツは、
それぞれいい感じがする。
なんだか明るく素直で優しい印象。
ついこの間までクオーツは厳しい石と思ってたのに。
いや、今でもそうでしょうが。
なんだか不思議な暖かさみたいなのまで漠然と。
元々が鈍いから、まさに自分勝手妄想ですが。

だけど、この一週間ではっきり解ったのは、実はアメトリン大好きなんだなあって。
今ではもうその後の行方を知る由もない、「MIROKU」。
ここが沢山の石、アメジストとシトリンが一緒にいる石アメトリンの存在を教えてくれたのには違いない。
私のテーブルには石がいっぱいいてるけど、なんだか懐かしい気分になる。
仕事に大活躍してくれるアクエリアンタロットデッキの上には、
パワーグリッドを作ったのとおなじクオーツ原石の透明度の特に高いのをお守りに置いている。

その傍に様々なタンブル達がアシスタントとして一日傍にいてる。
どの石も、皆この地球から産まれた宇宙のかけらなんだなあと思う。
その傍には「MIROKU」のお店で石を入れてくれたお店のネーム入りの巾着袋も置いている。

「愛光堂の石ものがたり」という初めて買ったパワーストーン本を読んでいるんですが、
これいいですよ。
特に写真が素晴らしくて、鈍い私でも感じる程、いい空気があるみたい。
店主の石への思いなど、なんだかいい感じ。
この本ではアメトリンについては波動の性質は中性的で、
石としては割と個性の強い方だと紹介されてます。
芸能関係など、自分を表現する事をサポートしてくれるとか。

この石、好きな人いてるかなあ。
他の人は持っててどんな気持がするのかなあ。
見てると葡萄の実みたいで凄く綺麗で瑞々しい。

アメトリンは弥勒菩薩がくれた石のような気もしてる。 今では。
あー、こんな畏れ多い妄想炸裂ですみません菩薩さま。
.15 2008
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スリランカの悪魔祓い

上田紀行氏の「悪魔祓い」(講談社+α文庫)なんですが事実上の絶版なんですよね。
またしてもアマゾンマーケットプレイスで。
つくづく大手出版社ってのは厳しいねえ...。

あー、いいなあ、アジア人のアイデンティティをいい具合でくすぐられてしまうよー。
思えば占師としては思いっきり西洋系の私が、レイキなんでやってるのかって。
なんでキリスト教的なバイアス掛かった考えや言い草になにげに拒否感あるのか。
ゴスとか自然と好きなんだけどなあ。 
普段だって、占いしてるときはよくゴシックなユニコーンのペンダントしてたりだし。

何か思い出しそうな気がしますけど。
いや、もうそんなおそらく大昔のことなんかどうでもいいね...。

貧困と強烈な差別と劣悪な衛生環境、民族紛争に苛まれながら、
なんでインド、スリランカといった国はあんなにも豊穣なイメージで引きつけるんだろう。
ヨーガのレッスンを受けていた時、ただ指示通りに当たり前にアーサナしてたら、
なんであんなに多幸感があったんだろう。
そんな素朴な幸せ感を思い出させる。 朧げにその理由が観えて来る。

皆一緒に同じアーサナしているのに、そのやり方はそれぞれのペースでいいし、
その人にとってのテーマもそれぞれ。
なのに、そこには「つながり」があった、確かに。

西欧的な知性とそこから沸き起こる批判精神って、一見スマートに見えて、
でもどうしても拒否感が自然と起こるのも否めなかった。
全てを言語化して理屈づけしようとする事への拒否感もあったんでしょう。

先日エントリーした「悪魔という救い」の参考文献なんですが、
これ、「癒し」って二言目にはお題目みたいに言う人達に読ませてあげたいなあ。
余計なお世話だと言う声も聞こえそうだけどさ。(苦笑)

闇の存在を否定しない、とことん嫌って追い込んで、苦しめて、貶めてっていう、
そんな西欧的悪魔祓いとは対極の有り様。
スリランカの土着の旧い仏教での悪魔祓いに携わる「太鼓叩きのカースト」は、
この国でも低い地位に甘んじていると言う。
日本でもかつて歌舞伎役者が河原乞食と蔑まれた様に。

社会から下賎とされた人々が、実は心身のバランスを崩した人々を救っている。
芸能人でもあり、儀式を執り行い治療するシャーマンとしてしぶとく生き残る世界。
日本で言えば人間国宝クラスと思しきゴーミス師のような、
深遠な空気と確かな経験に基づいた知識から醸し出す、
枯淡の境地を垣間見せる優れた呪術師もいたり。

ゴーミス師が世阿弥にも例えられる程の奥深さをたたえているのは、
日常的には決して恵まれているとは言い難い状況に身を置いていたからだろうか

占星術的に観てると、水と地の要素の強さを思わせるものがありますね。
感情とスピリチュアリティの水と現実と物質世界の地。
この二つのエレメントは一見すると相反するようで、実は親和性がとても高い。
お互いを必要としている要素ともいえる。

松村潔氏の「最新占星術」で紹介されていた、
水と地のサインしか無いネイタルチャートの持ち主が、
実は外界からの情報を故意に遮断してきた土地の出身者だったというエピソードを思い出したり。
その土地は昔から代々霊能者を輩出してきた特殊な地域だと言う。

情報、知性、そこから発展する批判精神とは風の要素であり、
火の要素はその人が生きる為に持とうとする精神論と行動力だったりします。
それらの要素を敢えて手放したり、意図的に遮断することで育つ人材というのが必要なシーンというのは、
未だあるんだと思う。

風と火が強ければ、自意識から自分にとって割り切れないものは遮断したり、
拒否するわけだけど。
敢えてそうしない、曖昧さ、Noではなく、Yesを選択して肉眼では見えない世界の力を利用する。
そこから最終的に残る何かが「癒し」という結果。

アメリカのニューエイジとか、「成功」の為の引き寄せ法則というのが何故自分には座りの悪い言葉だったのか。
あー、何だか腑に落ちた気がする。 ほっとした。

いまどきはよく「ワンネス」とかって言葉をあちこちで見かけますが、
やっぱり何か響いて来ないのは日本語じゃないというだけじゃないんだと。
そんな気付きもあったり。

だから「いいんだよ。」と一度は祓った悪魔を後で呼び寄せて、
お下劣な冗談や駄洒落大合戦を村全体で繰り広げてお笑い宴会でめでたしめでたし。
そんな不思議な幸せ感がちゃんと認識されてればいいなあ。

いまどき喧しい「アセンション」」ですか? 
まあ来るかどうか知りませんが、悪魔が寂しそうにしていない世界であればいいなと。

この本、読み終わる頃には何故かその昔に天文台のすぐ傍で、
近所の天文ファンの望遠鏡で見せてもらった白鳥座のアルビレオを思い出した。
闇の中で、コスミックなブルーとオレンジの二重星の可愛い綺麗な光だった。
.13 2008
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「虹のクリスタルワーク」の感想 「光の導き」のマントラを唱えてみる

坂本知忠氏の著書、「デール・ウォーカー流 虹のクリスタルワーク」というのが正式名称みたいです。
たま出版から出たものですが、アマゾンマーケットプレイスで古書で入手しました。
暫くは殆ど読まずに置いてたんですが、先日あるヒーラーさんがこの本の感想を書かれていたので、
改めて読んでみたところ、これはかなり実践的。
ヒーリングの施術もですが、私がこれはと思ったのはパワーグリッドの効果や作り方、
効能が実践的に書かれている事。

だけどなによりいいのは、「光の導き」ですね。
石を持っていなくても、これをただ心で唱えるだけでかなりいい具合。

『内なる神の光を呼び出します。 私は清く完全なつながりなり。 光が私を導く。」

このマントラをとりあえず三回唱えてみただけで、なんだかレイキと同じ様なヒーリング効果が得られます。
レイキのアチューンメントを受けてない方、まだ施術を受ける機会に恵まれていない方も、
一度唱えてみては。

以下は坂本氏の著書からそのまま引用させていただきます。

「なぜこの言葉が大事かというと、言葉は単なる言葉ではないし、想いは単なる想いではないからです。
言葉や想いはエネルギーであり、そのエネルギーが私たちの住む物質世界、三次元の世界に現実を創り出す原因となるものだからです。」

実感。 人の想念とは本気で凄いもんなんです。

で、なぜこれをまた敢えて書くかというと。

「人から教えられて、学んだ事は、人に教えて全部出してしまう事です。
全部出してしまうと、神様はもっと素晴らしい、新しい智慧を与えてくれます。
私は『光の導き』を強制しません。
もしこれに変わる良い言葉があったらどうぞそれを使ってください。」

いつでも幾らでも出来るし、毒になる事はないでしょう。
そして新しいものをいつでも受け入れられる用意ができるみたいです、
この「光の導き」というマントラ。

懐かしいという感覚、懐古する時もあるし、時々振り返ることも大事だと思っている。
けれど、基本やたらに振り返らずに新しいところに向かえたら、その方がいいのかなあと、
なんとなく。
自分なりに成長していきたい気持が奥底にあるなら、自然とそうなるんでしょう。


実は坂本氏のブログを見つけたので、先日メールをお送りしたのですが、
まだお返事いただいておりません。
それでも、こうやって書いてしまったのは、
先に引用させていただいた言葉からもきっと大丈夫だと思うから。

デール・ウォーカー氏の原文

"I invoke the light of the God within,
I am a clear and perfect channele,
Light is my guide,"

言葉はただの言葉だけではないし、想いはただの想いだけではない。 確かに。
.11 2008
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Blind Moon

レイキでの遠隔ヒーリングを教わってから、暫くしてパワーストーンショップで水晶を買いました。
石自体はなんだか好きで15、6年前から標本とか大手書店でやってるミネラルショーみたいなとこでもよく買ってましたね。
多分、あの時は第一次パワーストーンブームのはしりだったかな。

色々買ってたけど、二年程前から何となく。
石に関する色んなサイトも増えたし。
で、昔は水晶やフローライトといった見た目透明感高い綺麗な石が好きだったんだけど、
レイキ始めてからは一時不透明な石の方が合う様な気がして、
マラカイトとか好きになってましたね。
多分、肉体の疲労の度合いが強い頃だったからでしょう。
精神の疲れがダイレクトに響く様になっていたんですよ。

反対にその頃は透明度の高い石、特に水晶は持ってると辛い感じになってしまった。
誕生石で、大好きなアメジストなんてもうダメ。
不透明な石の方が穏やかな感じがしたんですね。
透明なクリスタルが好きだった頃は、マラカイトやジャスパー、ロードクロサイトなどは見向きもしなかったんだけど。

今年からですね、また身につけても大丈夫になったのは。
ドッグティースアメジストという白い模様のあるアメジストのビーズだけのブレスレットが、
なにげにお店に一つだけあって、店員さんに訊くと「今日作ったばかりなんです。」と。
何故かそのブレスだけが他のブレスと一緒に掛かってても、一つぽつんと離れているように見えた。

で、速攻買ったものの、もうそれはそれはしんどい。
単一ではとても。 ものの数分で外してたりしました。
なんとなく買ったモスアゲートのブレスとアマゾナイトのブレスで三ついっぺんに付けるとなんとかなるという。

自宅で夜寝る前に色々やってて、その内にアメジストだけでもそんなに苦しい感じにならずになったのはわりと最近ですね。
透明水晶も大丈夫になったみたいな。

で、最初に書いた水晶ですが、ほんと何の変哲も無いもの。
ただ、山盛りあった中で一番透明で綺麗だった。
長さ4、5センチ程度で斜めに割れたもの。
でもいいんですよ、なんだか。 
トレイの上に山盛りで置かれてて、一つ210円の水晶でしたが。
ネットしてる時も、この石はいつも傍に置いてたり。
これで何時もレイキとかしたり、なんとなく眺めたりしています。
石って友達だと思って付き合えるのが一等いい。

今は透明なのも不透明なのもどちらも好き。
どっちも大事なんだという実感がありますね。
不透明な石は、なんだか肉体や大地の感覚を教えてくれるみたいです。
最近だとユナカイトがいいなと。 
勾玉の形に削ったのを持っていますが、素朴なのに凄くありがたい。
道端のお地蔵さんとか、小さいけれど静かなお社、鄙びたロザリオ、イコン、古びた天珠といった懐かしくもありがたい風情ですかね。

これらの石は皆安価なものですが、実は高価な石がダメなんですね、なんだか。
ダイアモンドが特に苦手。 あのギラギラした光は少なくとも自分にはキツ過ぎて。
あれ好きな人ってよっぽど強い人なんでしょうね。
私は安価だけど元気くれるガーネットやアメジスト、アクアマリンといった辺りが好きですね。
ジュエリーという形で売られているものだと、だいたいその辺り。

あと、処理されてるされてないもそれほどこだわらないです。
石は石と思っているし、熱処理などされてないのを探す方が難しいでしょ。
そんなに天然未処理、人の手をなるべく通ってないこと!みたいなのにこだわらない。
傍に来てくれただけで充分意味があるし、必要だからそこにいてくれるので。
友達の来ている洋服がちょっと変わっているからといって、
相性が良ければ別に気にすることでもないでしょう。 
それと同じ感覚ですね。 
多少手が加わって天然の時と何かが変質していたとしても、基本、人をサポートしてくれる何かはちゃんとあると思っています。

石はやっぱり友達なんだと思う。 

途中で上手くいかないと思っても、また何かの拍子でご縁が再開する事もあるんだと思います。
そんな風に再開するタイミングにはやっぱり意味があるんでしょう。
.09 2008
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水滴

レイキの中伝(いわゆるサードディグリーと呼ばれる段階)を受けた時なんですが、
霊授もなにもまだ受けてない、最初の講義を聴き始めた段階から既に両手のひらが熱くて仕方なかったですね。
うわー、なんだこれーって。

でも、自分は全く持ってサイキックではない。
スポーツクラブで初歩的な気功を習った時にもちもちした感じの気の塊を手の中に何となく感じた時はあったけど、
それも毎回必ずってわけじゃなかったんで。

修行というと難しそうだし、一般でなかなかそんな風に道を極めるって色々無理があるんじゃないかな。
当たり前だけど。 なるべく簡単で実践的なのがいいです。

で、あまり既存の宗教のバイアス掛かってないこと。 これ自分の中ではかなり重要。
なんとか教って感じじゃない方が気楽でいいなあ。
なんか政治的なニオイがやっぱりしますしね、宗教用語とか出されると。
権威付けってのがあるのかもしれない。
文化としての宗教って側面もあるから、基本そういうのって大事だと思うんですが。

こんな事言ってるけど、実は結構宗教画観るのは好き。
持っているGolden Tarotだって、そういう作品のコラージュだしね。
イコンとか好きですよ。
実はゴシック好きだったり。 
ファッションとかオブジェなどの美術的な側面をかなり愛してたりします。

ところが、いざ実践的な話となると、これまたしんどいもんですね。
私には無理。 きっと日本人だからでしょうね。
枠組みとか型にはまった感じというのはかなりキツい。 
なんか政治的な意図を感じるからじゃないかと。

なので、あまりその辺りは普段は気にしない方がいいですね。
レイキぐらいの緩さでちょうどいいかも。

TVでサトイモの葉っぱの上の透明な水のつぶがころころと銀色に輝いて転がってるのを観た。
だからかなあ、こんなことを思ったのは。
もう細かい事や小難しい理屈なんかどうでもよくなったりして。

命ある限り、という言葉がさっき何となく浮かんだり。
.07 2008
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Vision Quest Tarot

一応ウェイト版遵守なんですが、アレンジ入ってるタイプですね。

これ、最初に実物手にした時にあまり絵柄が好みじゃないなあと思っていたせいか、
上手くコミュニケーション取れない感じで。
暫く寝かせて置いて、先日ちょっと使い始めてみた。

なんだかなあ。
自分との関係性をワンオラクルで引くと、78枚フルデッキでTransformation。
もう一度ヘキサグラムで今後の自分自身ということで展開すれば、またしてもTransformation。
それも必ず正位置で。
今日もまた...。 かないませんねえ。 

ちなみに大アルカナの13番なんですよ、これ。
ウェイト版の「死神」。 
もしかして、死ななきゃ治らないほど頭悪いってか。(トホホ)

実際、普段使っているAquarian Tarotでも「死神」は馴染んでいるんですけどね。
好きと言えばかなり個人的に好きなカードですよ。
占星術では蠍座を象徴するカードですし。 
ネイタルが火星、サウスノード、海王星が蠍ですからね。
ご丁寧に全部オウンハウスの8ハウス入室してるし....。

このデッキ、「塔」は"Chaos"とか、「審判」は"Spirit Guide"とか大アルカナが結構アレンジされてるんですが、
基本、意味はそれほど大きく変えられてるわけではないという印象。
やっぱり精神の成長を促す系でしょう。
ネイティヴアメリカンモチーフだし。
カードの表の絵柄より、裏面の星空を経った一羽の鷲が舞う姿がいい。

そんなに変われ変われっていわれても...。
でも拒否ればもっと強烈なインパクトが来そうで怖いんで、
うーん、どうすればいいんだか。
面倒な事に巻き込まれたり、痛い目に遭うのが自分だけならいい。 
でも自分がそうならなかったとして、その埋め合わせが周囲とか家族とかに降り掛かったらどうすれば、とか。
あ”ー、もうやだ。 

基本、修行やら修養みたいなのって全然好きじゃない。
年齢的に量はもう食べられないけど、普段から肉、卵、乳製品、魚介類大好きだし。
こんなに動物性タンパク万歳なのに、このカード使う直前にAquarianにちょっと遊び半分で、
ベジタリアンになったらどうなる?って尋ねたら、
諸手を上げて酸性、いや賛成!是非ともそうしなさい!みたいな展開になってアワ喰ってしまいました。
「法王」が出てきた日には、迫力満点ですな...。

ドリーン・バーチューの本など読んでみたせいでしょうけどねえ。
でもこの人の物凄くクリスチャンなバイアス掛かった空気の本読むとしんどい。
理屈は解るけど、そこまでなあ...というのが正直なところ。
ただのにんげんだもの。(相田みつを風)

話がかなりそれましたけど、あまり基本的に魂の向上だとか成長だとかって、
そんな話を振られても正直困るんです。
だってこのままの自分を好きでいられた方が幸せですよ。
少なくとも、今の自分はそう。

なのに変容、Transformationっていきなりどうすりゃいいの、オレ!

Vision Quest Tarotに訊いたところで、そんなもん、自分で考えろって放り出されそうだし。

こんな妄想、それこそ考え過ぎで済めばいいのになあ。 むう。
.06 2008
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「悪魔という救い」

悪魔という救い (朝日新書 (098)) (朝日新書 (098))悪魔という救い (朝日新書 (098)) (朝日新書 (098))
(2008/02/13)
菊地 章太

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今年の春先だったかな、本屋で見かけて衝動買いしてなかなか面白かった。
帯のちっこい悪魔がなんだかおリボン付けられちゃった小型犬みたいな、
ちょいと情けない風情で憎めない感じだったもんで。(笑)

悪魔を排除するのではなく、とりあえず祓いはしたけど、
後で宴会で一緒に飲み食いして皆で仲良しになっちゃおうという発想が素敵だったなー。

「排除」ってなんか寂しいですね。
これは自分の心身に悪いものだから、避けよう、取り除いてしまおう、という。
一時的には何か変わるんだけど、それ自体がトランスフォーメーションになるわけではないんですね。
たまにきっかけ的に使えるアイテムかもしれないけど、基本あまり愉しくなさそうな。

もうね、やっぱりそのままが一番いいのかなあというところに。

実際、なにか取り憑かれた様にやってても、ふと我に返るとさほど意味がないことに気付いたりとかね。
達人とか、何かをその人なりに極めてしまうと、最後シンプルになっちゃう。

馬に乗り始めて、もう四半世紀経つんですが、段々となんだか適当というかいいかげんになってきまして。
別に理論とか道具とかもあるものでいいか、って感じになっちゃってたり。
乗る頻度もめっきり減りましたが、それでもやっぱり愉しいんですよ。

ちょこっと知識入ってしまうと、なんだか欲が出ますね。
上手になりたいって。
でも「上達」とか「上を目指す」みたいな考えやら思いが一番面倒なんで。
上も下もないんですよ、ほんと。
だって、馬の背中に乗ってる様子はその人のあるがままだから。
馬はそれなりにただ乗せてくれてるだけだから。

一番上手に乗れてたのは、最初に調馬策で廻して貰って、いつのまにか駈歩までさせてもらった時です。
今でも思い出すなあ。  馬場の砂は真っ白に輝いていた。
ただ愉しくて、なんでもっと早く馬に乗らなかったんだろうと!
その日の帰り道、自分の目の前のなんでもない光景が金色に光っているみたいな気がした。

最初から、何でもちゃんと出来ていたし、過不足なんかなかったんだな。
そのままで全て知っていたし、上手くできていたのは、自然のままだったからだと思う。
今でも。

その今は、なんだかさっぱりなのが寂しいですね。
何時かまたあの感覚を取り戻すときはくるんだかどうだか。

「悪魔」という存在がもし在るとするなら、
それは自分が混乱した姿の戯画化したもの、ぐらいに思ってみると楽になるかもしれません。
.03 2008
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日蝕あれこれ

昨日の八月一日は獅子の9度で日蝕だったわけですが、
この辺りにパーソナルプラネットを持つ人、どうだったでしょうね。

私の月は獅子8度、ノースノード牡牛、サウスノード蠍ですから、こりゃ大変かも、
ということで、一日家で寝て過ごす事にしました。
これでいいのだ。
人によっては風邪に似た症状がでたかもしれませんね。
個人的にはその十日前から眠気と頭痛が身体症状として出ました。

メンタル面では、やっぱり過去を振り返りがちで。
「赦す」という言葉がよく浮かびました。 
流石だ。 月とノードに響いてるだけあったなー。

明日ぐらいまでは日蝕の影響は残っているかもしれませんが、
週明けにはほぼ体調など元通りになるでしょう。

先月ぐらいから、実際届いてるかどうかはともかく、
故人や普段嫌っている人物に向けてレイキを送ってみたりしてました。
勿論、シンボルは第三、第二、第一という順番で。
生前には精神的な摩擦もあったんですが、
そういうのを自分の中で何時までも持ち越したくなかったので。

最近は、少しずつシンボルやマントラも省略できればなあと思っているので、
だんだん楽して適当になってるかも...。
手放すというのには程遠い動機だな、こりゃ。
とりあえず、思いだけはちゃんと持って、届くと信じて送るのが大事だー。

実は結構スピリチュアル好きとか、そっち系(占師も含む)で仕事してる人って頑固な人多いと思うんですよ。
動物性食品(肉、乳製品、卵とか特に)食べない方がいいとか、
その方が天使とかその辺りのエネルギーに近づけるという。

事実そうかもしれないけど、人間なのだからもっと楽にすればいいのになあと思う。
実際、ベジタリアンだから崇高な魂かどうかってのも疑問だし。
自分で十年以上前にダイエットで高カロリーのものを控えただけで、
随分匂いなどに敏感になって困った事があります。
日常生活でも困ったけど、感覚が鋭敏になったのを自覚すると余計に戸惑うんですよ。

これって自分が望んでいた「自分自身」かなあとか。
変なこだわりが出来てしまうみたいで怖かったし。
で、さっさと辞めて肉ふつうに食べ出したら、逆に落ち着きましたね。

別に「上の方々」にそこまでして近づこうとしなくったっていい。
少なくとも、今はそんなこと望む必要はないのかもなー。
と、思ってると楽。 変なこだわりを持たない様にする生活の方がいいな。

レイキマスターってのも色々居てるなあと思います。
自分の中では、前にもエントリーしたような何事に対しても「いいんだよ。」と言える人がいいですね。
今は色んな名称のエネルギーのアチューンメントが増えて、
レイキも自分が霊授受けた臼井式の他にも色んなタイプのが増えたようで。

私はレイキでも西洋系のエネルギーワークでも、色んなものがあっていいし、
その人が気に入ったところで受ければ良いと思います。
少なくとも他所でやってるレイキはおかしいとか、変だとか貶めたり、
自分のところだけが本物、他所は偽物だ、などと言う様な人でなければ、ね。



なんとなく、ちょっとした妄想など...。
一昨年ぐらいだったか、「もう帰ろう。」という声が頭の中に聴こえた事が。
自分の声の様に聴こえたけど。
まだ占師になるなんて思いつきすら無かった時。
その時、私は家の中にいたと思う。
すかさず、「え、何処へ?」と思ったけど、その声はすぐに消えてしまった。
あれは何だったんだろう。 
.02 2008
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Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

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