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能動的な何か
ここ数年の間に商業的なところでも嫌という程使われる言葉、「癒し」。
自らも人を癒す仕事がしたいという気持ちから、占いの世界へ入っていこうとしているけれど。

この「癒し」ですが、使われる時は飽くまでも受け身なニュアンスを感じます。
これってどうなんだろう...。

癒しというのはもっと能動的なものなんじゃないかな。
何故、癒す、よりも癒される、という欲求の方が大きい様なニュアンスを自分は感じてしまうのだろうと。

社会に出て間もなく辛い状況になり、途方に暮れて電車に乗っていたある日、
目の前にお爺さんが立たれました。
落ち込んで消えてしまいたい様な気持ちになっていた私でしたが、
その時はふとこの場から去りたい様な気持ちまじりで席を譲りました。

「いいのですか?」とそのお爺さんは、真っ直ぐな目で驚いた様な表情でした。
ちょうどバブル華やかなりし頃、お年寄りのそんな素朴な表情を垣間みられたのです。

もうその頃から随分経って、今何故か思い出してしまうのです。
普段は席を譲るなんて照れや恥ずかしさが先立ってしまう自分なのに、
落ち込んでいたその時はそんな浮き立つような感情は一切ありませんでした。

ただ、寂しさと哀しみから、誰かに優しくしたかった。
何をしたところでこの哀しみから逃れる事はできないのに、
何故かか弱い様子の人に自分で出来る限りの優しい事をしたくなった。
この感情は一体なんだろう...。

その時のお爺さんはまだ何処かでお元気にされてるかどうだか。
でもこれから先も私は、その時のお爺さんの素直な表情と、
「いいのですか?」の声を忘れない。


「癒し」は誰かから与えてもらうものじゃない。
自ら誰かに働きかけて、そこからじんわりと生まれて広がる。
あのお爺さんに出逢わなかったなら、この感情も考えも生まれて来なかった。

お金で買えないものって、以外と身近にあるもんだなあ。
これからの愉しみ
一昨日、昨日と激しい雷雨でした。
雷はやっぱり怖いので苦手ですが、雨は好きです。
雨の匂いと土の匂いを窓を開けて愉しんでおりました。
電車から見える景色も緑が日に日に濃くなっていきます。
雨に打たれる樹々や草の葉が喜んでいる様に思えます。

自然の風景や力を眺めていると自分の運命を変えられないかと、ふと思ったり。
ネット上で占い師の方に尋ねた事があります。
不器用で決して賢く世間を渡る様な事が出来ないものの、
自分なりに社会性を持ってなんとかやっていきたいともがく日々でした。
いや、今もそうなんですが。

その時は運命は自分でも変えられるけれども、日々を愉しく明るい表情で過ごしていけば
自然と良い方向に変わっていきますよ、というお答えを頂きました。

自然や運命に逆らう事は出来ないけれど、その流れに乗りながらも
丁度いい早さや自分が好きな風景を眺められるような、
そんな流れを見つけていけたらいいと。

TVやネットのニュースなどの過剰な情報の中では、悲観的な事ばかりが。
昨日の先生とのリーディングのレッスンでも政治、要人の事を自分でリーディングしたところ、
どちらもかなり厳しい結果が。
年金や介護といった自分も含めた人々の老境の暮しの環境は厳しくなる一方でしょう。
そして権力を我がものとして自らの利益を追求した人は、
最終的に孤独しか残らない様な結果が。

昨日のリーディングの結果を総括して思った事。
今の世の中は毒や膿を出そうという自浄作用がまだ残っているのかも。
そう考える様にしています。
この苦しさは、いずれにしても過去の負の遺産を清算する為にどうしても必要な過程なのではと。

そんな中で誰かを頼る以上に誰かと支え合うとはどういうことなのか、
損得以上の何かをその中に見出す為には、一生かけて自分から何かを学ぶ心を持ち続けるしかないんだと。

何かを期待しがちな甘えの多い自らに、誰かに何が自分は出来るんだろうと、
昨日のリーディングを思い出しながら、運命や宿命という言葉、
過去と現在と未来という繋がりを考えています。

タロットは遠い未来を見通せないといいますが、過去と現在と近未来を繋げてくれる。
これから先の運命を知り尽くそうとせずに、
愉しめるように生きなさいとカードは告げているのかもしれません。
コミュニケーション
夕べの雷雨は今日の午前中まで断続的に。
お昼前には見事に晴れました。
そんな午後からまたリーディングのレッスン。

自分でも夜寝る前に自分なりのリーディングを練習するのですが、
そこで出るのと同じカードが出るのです。
気持ち的にそろそろ安定して来たのかも。
前のエントリーでも書いた様に、顔が正面を向いた大アルカナが出やすいのです。
小アルカナも自分一人でリーディングするときによく出るものが。

普段とは違うテーマでのリーディングでやると、また違ったカードが出てくるのですけどね。
カードの力を実感する今日この頃。
いずれは自分独自のスプレッドを開発していければいいな。

幾つか持っているデッキにもそろそろ馴染まないといけないなと思います。
アクエリアン・タロットにすっかりお世話になっていて、いざという時には必ず頼るでしょうが、
他のデッキともコミュニケーション取っていかないと、アクエリアンも疲れてしまうだろうなと。

さて、これから他のデッキ達にもどんどん出番をお願いしないと。
The Fool
修行中の身である為、リーディングの練習といっても漠然と自分の事や
身の回りの事を占う事が殆どです。
まだ友人知人など人様を占った事は殆どありません。
先生と、差し向かいで展開を見てストーリーを組み立てると言った感じ。

そんな中で、最初は大アルカナのみで占っていたのを今ではフルデッキでのリーディングを行う様になりましたが、
未だになかなかお目にかかれないカードと言うのもあります。

その中で一番気になるのが今回のタイトルの「愚者」。
これもまたリーディングの難しいカードですね。
もっとも簡単なカードなんて一枚も無いけれど。

不安があったとしても、その目の前には無限の可能性を信じる心があると思わせてくれるカードです。
ですが、自分自身の事では特にこのカードは出てくる事が殆どない。

これからフリーの身の上になろうというのに、以外にもこのカードは
私の目の前には現れて来ないのです。
出現するのは、以外にもTemperanceや、Justice、Strength、The Empressといった
それはそれは堅実そのものの表情のカード。
これらは正逆共によく出て来ます。

不思議な気がします。 やっぱりカードは嘘をつかないのだと。
心は自由と新しい世界を欲しつつも、地に足の着く力を身につけたいという気持ちが「愚者」を遠ざけてしまうのでしょうか。

「愚者」は狂人であるという解釈もあるようです。
精神のバランスが変わってしまう事で今まで留まっていた世界を飛び越える、
超越するという意味合いもあるでしょう。

そんな「愚者」に憧れ過ぎているのかもしれません。
Definition of Insanity
このタイトル、直訳すると「狂気の定義」となります。
元々はアインシュタインの言葉だとか。

大まかな意味は同じ事や変化の無い日々を繰り返しながら、違う結果を期待する事だとか。
こういう日々を過ごしてしまう人は少なくないでしょう。

耳の痛い言葉かもしれませんが、思えば自分を変えるなんてそんな簡単に出来るのかなとも。
日々のしがらみを感じる中にも、そこから離れる事の不安と恐怖はあるのが人の本音の様にも思われます。

しかし、彼が敢えてそれを「狂気」と定義したのは
「神はサイコロ遊びはしない。」と言う言葉を残している事とも関連する様です。

この世には偶然などは有り得ない、必然ならば存在するという事でしょうか。
同じ日々に倦んでいる日々や時間も、その人に取っては某かの必然かもしれませんね。

実際には人は変わるのかというと、どうなのかまだなんとも言えない処を感じます。
私は最近思うのですが、人の本質は元々変わらない気がします。

例えばある時期から考え方、感じ方や言葉にする事が変わったと周囲の人やその人自身が思ったとしても、
それはその人自身のなかに元々そういう要素や資質があったからではないかなと。

以前のエントリーにも書きましたが、「気付き」という考えを教わらなかったら
私もこのような思いを持たなかったかもしれません。
そして、この「気付き」にもタイミングが決まっている様な気がします。
やはり「神はサイコロ遊びはしない」のかな。
プロフィール

Gatos Blancos

Author:Gatos Blancos
占星家

ある日とある街角でタロットカードと西洋占星術の再会から始まったとりとめない憶いの記録

当方では対面、メールでの有料個人セッションのみとなります。
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