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sota de copas

ゆらゆら

「これで合うわ!
 こんなこと、いままでいちども考えてみたことがなかった。
 でも、ほんとうはいまの瞬間なんてぜんぜんなくて、あるのは過去と未来だけじゃないのかしら?
 『おまえが三番目をよくながめようとしてもそに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!』っていうのの意味が。
 すると、そのあとのところもわかってくるわね。だって、三人のきょうだいのうち、いるのはひとりだけ。
 つまり現在だけだとも思えるし、そうでなくて、過去と未来のふたりだけとも思えるんですものね。
 それともうひとつ、三人のどれも、ほかのふたりがいなければなくなってしまうのだから、
 けっきょくだれもいないのとおなじだとも考えられるわけだわ!
 ああ、頭がこんぐらかってしまう!」

ミヒャエル・エンデ著 「モモ」岩波書店刊

映像、絵画、音楽などアート作品はタイムカプセルって以前書いたけど、
こういうのが積み重ねで価値や歴史になってくんでしょうかね。
なので、思いついたものはアウトプットして作品にまで仕上げなくても一応形にして残しておけばいいかと。
気に入らなければ後で破棄しても、忘れたっていい。
価値は物質化、結晶化しておくという。(土星)
そこに価値を見出すのは作った人、鑑賞や目撃した人それぞれで。(-ω-)(・ω・)

継承されて歴史になったら、次に一度ならず忘れられては復活、復古とか。
そこに斬新さを未来の誰かが感じて温故知新(天王星)へと転換して新たな展開を支えていく。
それがまたさらに歴史を生み出すのだから。
歴史は土星と天王星が作り上げていくのかも。( ・`ω・´)

一方、生み出された作品や製品が大衆や生活に溶け込んだものはアノニマス無名性を持つようになったり。
共有されるから、誰が作ったか提唱したかという名前はもういらなくなるんです。
無冠の帝王って感じ。
だいぶ前に書いたエントリーのすごいけど簡単に通じるかも。(木星)
月と木星は一般大衆や女子供、家庭や感情の蟹サインと関わってるよ。
おー、これは蟹サインに関わるかも。(`・ω・´)

必然が形になると、無名性を帯びるのは個性はそこにもう必要なくなるから。
すっかり手垢がついた感のある「人に寄り添う」だけど、それに個性やアクはただのエゴでしかない。
そういうものを失くしたところから始まる、無名性は何気ないようで優しくしたたかだ。
それは月(一般大衆、女子供、乳幼児)が求めるものや存在だ。
月は模倣、大人を真似る子供よね。( ・ω・)ノ ヽ( ´ω` )ノヽ(•̀ω•́ )ゝ (´・ω・`)

アノニマスでこの世界に存在しているのは頭でっかちな観念や精神論ではない、
それでは生き残れないほどの根源から湧き上がってくる何か。
生きるために必要だった、そして便利だったから、ただそれだけという、
安心という心の補償を文句無しに与えてくるので。
誰でも、みんなが知ってるのは本当はそんなところにしかないのだ。
無名性ほど強力なものはない。(・ω・;)

話題になるマスコミや世間が言ってる「いわゆる」カリスマ性なんてのは一時的な目を引く事象や存在でしかない。
本来のカリスマ(冥王星)はそんなものでは済まない心の爪痕を残すものだし、
まずは一般大衆(月)からは関係ないと避けられがち、反発されがちだ。
月のサインが蟹が本来の座、失墜するのが冥王星、古典では火星も本来の座であった蠍であること。
本来模倣や大衆に馴染む普段の生活や家庭である蟹サインで居心地よくして安定を望む月が、
それを根底から覆す蠍のカリスマ的な空気を避けたい気分になるのも無理ない。
移り気な気分を表す不安定な月だけに、安定を強く望んで要求する。( ・`ω・´)

それを作り上げるのはやっぱり時間の経過と何らかの制限やそぎ落とす力、
最後に現れる目に見える結果という現実(土星)なのだった。
月と本来の座蟹サインの対極にある土星と山羊サイン。
思えばこれらは揺れ動く月にとっての苦手アイテムだらけだな...。
目の前にあるたんこぶみたいなのが最終的に月の味方になってくれるなんて奇妙なものですが。
これを古来では因果などと言ったのかもしれませんが...。(´・ω・`)

さて、そんなこんなで時間が掛かることに実は現実の価値がある。
月がそれを認めざるを得ない現実がある。
揺れ動く不安定なところに気づくと引き止めて離さない存在に依存した方が楽なのかも、という気分か。
古典芸能が叩かれ、個性を封じ込められて型にはめられる、ってな話も以前のエントリーでしたはずだけど。
この辺りは水星土星くさいな。
自己主張(火星)もできない。
火星も訓練が必要な事項でもあるので、土星で制限加えられたり、ソーシャルプラネット扱いとして、
35歳前後からの年齢域になる設定でやるのが安全策として取られてるのかも。
一方でそのぐらいの年齢域で大人として扱われだすと肩書きやキャリアがつくこともあり。
権威(土星)というものは利用価値がある。
巧みに扱うためには時間と訓練、経験を踏まえた上でのものの見方という賢さがいるのだ。
土星が古典では乙女サインで強勢の位置にあるのは伊達ではない。
そこもまた現実の価値とされるところかも。
それにしがみついてしまっては帰って変なプレッシャーや土星ならではの制限に押しつぶされるでしょうが...。
自分を抑え込むためには使わないでねって話も。(-ω-)

実際、今の時代「自分らしさ」というのを見かけやすい昨今。
占星術脳だとこれは月と太陽の話になるんだろな、とか。
この自分は新月やそれに近い前後生まれでなければ別のサインなわけで、裏表あって当然なわけで今更感はある。
ありのままなんて世間に通用するわけないと否定的な話と、ありのままを認めて、もしくは認めさせて生きよとか。
しつけやらいわゆる自己啓発やらで90年代から今でも形を巧妙に変えつつ、しつこくやってますけどね...。
どっちが、じゃなくて太陽、月どちらもありのままの自身なのですよ。
そこを忘れちゃいかん。( ・`ω・´)

ただ、大昔からきっとこんなのは変わらぬテーマだったんだろな、とか。
月は私生活や本能、生理的な嫌悪の感情や安心を求めるところ。
太陽が公けでの社会生活で見せる自分自身、そして生命の与え主。
そこを押さえておくだけでも気持ちがおさまるかも。ヽ( ´ω` )

都市部と地方の田園地帯でどちらもそれぞれに課題や問題はあるだろうけど、
都市部は特に離婚率など高いというEU圏で仕事する機会の多い方の話。
自然に触れる機会の少なさがかなり原因としてあるんじゃないかって個人的に。
それでも欧州などまだ田園地帯を都市部から近い場所になるべく残したり、
公園の整備など都市生活での自然環境保全には割と早く取り組んできた方かもしれない。
2000年代ぐらいに月の暦とかで太陰暦が今更ながら流行ったりしましたけど、
温故知新とか生活系や文化系が好きですよね、月って。
まーそれでいいんです。
なりわいとはそんな平凡な繰り返しとリバイバルだと思う。クルクル(・ω・*)(ω・* )(・* )(* )( )( *)( *・)( *・ω)(*・ω・)クルクル

スローフードや地方再生みたいな話も欧米を追っかけてきた日本ですら70年代から実は何気に出てきたことでもある。
ディスカバージャパンとかね。
クールジャパン(ブレア政権のクールブリタニアを真似たのかもしれませんが)も悪くないけど、
なんにせよ泰然として余裕を持った方が、実は土星は扱いやすくなる。
土星は古典の書物でも杖をついてたり、足を引きずった老人のキャラデザで描かれてたり。
スピードを落として力を抜いた方が実は扱いやすいのだ。
力とかパワー(火星)で押し切らず、怜悧であるようにとりあえず装うだけでも土星の機嫌は違ってくる。
本来の座が山羊、古典では水瓶にも、強勢が乙女と地、風のサインにある現実性なので、熱くならない方がいい。
スピードは土星の後の革新と刷新、仕上げとして時間軸を超えた温故知新を行う天王星の管轄なのでね。(・ω・)ノ

思い出の中でもいいものだけを思い出せるということは重要かも。
様々で雑多な思いの中から良かれと思うもの、穏やかでしあわせ感があるところをすくい取れるというのは、
これ自体がキュレーションかも。
そういった思い出を作ることが生き物としての人間の醍醐味かと。(・ω・)

冒頭で書いた映像や音楽などのアートは海王星、土星から後の天王星以遠の星は時空を超える。
遡って古い音源やフィルム、絵画やオブジェなどに残された作品から受け取るイデアは永遠だ。
リバイバル(冥王星)だってこんなトリガーがそれぞれなタイミングで否応なしに始まるのだから。( ・ω・)(・ω・ )

ふと思うのだけど。
例えば、世間的にはちょっと距離置かれる宗教とか教えというもの。
仏教やキリスト教が葬式のおまじないぐらいに思われるぐらいで実はちょうどいい。
ってかそれは宗教として「成功例」。
信念体系というのは日常に馴染んで役立たなければ忘れ去られて消滅するのだろう。
生活文化や法律など在り方や制度に落とし込まれるということは宗教(木星、射手サイン)が馴染んでいることに。
蟹サインと射手サインは本来150°のインコンジャンクトで関わり合いがないとされているのに。
しかし、その関わり合いが無いサイン同士が惑星を盛り上げているのだ。
木星が射手がルーラーだが蟹で高揚するのは、大衆化が最終目標なのか。
海王星発見以前の古典では木星は魚サインのルーラーで蟹と同じ水象サインでトラインの関係で馴染む。
火星の牡羊ルーラー、山羊高揚でやはり150°だが、古典での蠍なら山羊とはセキスタイルで友好的。
金星もまた牡牛天秤ルーラーで魚高揚で風の魚とはやはり150°だが牡牛とのセキスタイルがある。
それぞれでうまく計らう執り成し付けのサインが存在しているというこの配慮はなんなんだろう....。(`・ω・´;)

一見ハイブロウな有り様や事象など大衆とは関わらないものと思われがちだが、
実は何よりそれが不可欠なのが普段や生活という根っこなのだろう。
そこに落とし込まれてこなれないものは高邁でも何でもない、生きるために必要でない話かもしれない。(-ω-)

現実は穏やかでいながら、眺めていればなかなかワンダー。
日常(月)は淡々としつつ冒険や高度や教育、思想、おおらかさや優雅さを育んでいくもの(木星)を求めてやまない。
同じことを繰り返してるのかもだが、ちょっとずつ螺旋を登るように何かがジワジワ変わっていく。(冥王星)
時間もそういえば土星だな。
月はそんなのを満ち欠けしつつ、ゆらゆら眺めて日々をやり過ごしている。( ( (( ((・ω・)) )) )) ) ユラユラ

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ちょうどいい

画材も文房具も好きなんですけどね。
いやー文房具は特に面白い。
遊び心が活かされるのはやはり文房具だろうな。
これは学童期の子供(水星)から一般の大人まで使われて、
普通にありふれている道具、実用性のみならず身近にいつもある親しみやすさ。
そう、文房具は水星。ヽ(•̀ω•́ )ゝ

土星が関わる体の部位は主に骨、皮膚、髪の毛や爪、膝も。
骨、皮膚は特にそうだけど、身体を守るために必要なもの。
ヒトなど哺乳類は内骨格だけど、節足動物などは外骨格。
身体の表面の皮膚が硬くなっててそれが骨格なんですな。
土星は皮膚と骨という身体を固いもので守る鎧の役目なのだ。
なので、土星が関わることは固まること、乾燥させておくなど。(・ω・)ノ

人間の薄い柔らかな皮膚と違って、昆虫が脱皮するときなどは命がけだったり。
外骨格という守ってくれるものを脱ぐのだから。
脱皮そのものが失敗したり、成功しても直後の柔らかい身体で乾燥を待っている間に天敵に襲われて落命することも。
そのぐらい、実は土星の力を頼れない時は実は危険なのだ。
これが現実の価値とされるのはそんな面もあるからで。(-ω-)

海王星がヴィジュアルや音楽、律動感や美的なイメージで人を魅惑するというのを、
ビジネス面で活用できる場合もあり。
以前のエントリーで軍事面でそのイメージイングやヴィジュアライズが活用されていると書いた気がするけど。
映像作品のみならず、どのジャンルや製品であっても実は普通の営業や商談で、
そのイメージ戦略になにげに使っているはずなのだ。
作ったり使ったり利用してみた経験、その使用感やそれが存在するイメージを求めているかもしれない。
そこで夢(海王星)を「売る」、または「得る」のだ。
それで双方ともにWin/Winになるのだろうな。
作品化、製品かもそうそう上手くはいかないだろうけど、
そんなことをトライし続けているのが生活かもしれない。ヽ( ´ω` )ノ

ヴィジュアルやイメージを作品に結晶化するには土星の力、実際に作業するのは水星。
水っぽく柔らかく儚い夢を現実に落とし込む機能として土星を働かせるイメージはどうか。
水星は色々考えたりアイディアを言語化したり、手先を動かす。
土星が現実のものにしていくのは、海王星の彼方からやってくる何かだ。
あやふやな何かが世界には必要と気づくにも時間がかかる。
それぐらいでちょうどいいのかもしれないけど。(-ω-)

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若者のすべて

小さい差しかないことをずっとさせられていたら、多分子どもは大人しくなるのではないかと思います。
子どもが何か言うのは聞いてくれる人がいるからで、いなければ言わなくなります。
育児放棄されている子がコミュニケーション能力の発育が遅れがちなのと似ているかもしれない。
いつも無視されていると、何か自分から言ってみよう、やってみよう、という気がなくなります。

ブレグジット狂騒曲 ブレイディみかこ著 弦書房刊


乙女新月で水星、金星に火星までと集まってステリウムにしても団子状態ですな。
魚海王星、乙女水星共にディグニティでないですか。
まだ金星、月、もう少しすると太陽、水星がオポジションになる。
どこまで自分なりに楽しめるか、海王星。,。・:*:・゚'☆,。・:*:(-ω-),。・:*:・゚'☆,。・:*:

夏休み終わって新学期がちょうど太陽乙女の時期に始まるというのはなかなかのタイミングだなと思う。
欧米ならこれから進級進学なんですな。
同じ水星ルーラーの双子ならまだ知性の発露、発育の段階といったところ。
乙女は地のサインで水星だから、実用的で構築、実践していくための知性といった大人になってからの使い方ですかね。
実践したけりゃ、最初に学童期(水星)という準備でもあり、興味とワクワク感の元を自分で味わっておく必要。(`・ω・´)

乙女サインは真面目がいい、なので獅子サインでの自我を抑えてしまいがち。
こじんまりと収まって地味になるので、萎縮したようになったり。
ルーラーが水星、分析力がテーマだけれど、土星が強勢となるサインなので、制限の要素もあるな。
謙虚であることはいいのだが、度が過ぎれば反対に周囲も戸惑うところがあるのだ。
自我は加減して出していかないと、相手の人物像が解りにくかったり画一化されててもね。(´・ω・`)

宿題の提出とか新学期や新年度とか、秋分もあって色々節目。
さて、宿題にありがちな自由研究。
絵やイラストとかヴィジュアル化すると、自由研究的なものは割と自分の中で構築しやすい、
ってかヴィジュアライズは以前のエントリーでも書いたけど軍事訓練にも使われるぐらいで、
実は学習に必須ではないかな。
今時のフローチャートってそれではないかと思う。
自分でマニュアル作るには多少なりとも図案的なものを思い浮かべてみる。(・ω・)。○◯

絵心とか心得なくても視覚化するために映像を思い浮かべることは本来誰でもできる。
積極的に活用することで訓練になりやすい。
これは海王星を前向きにとらえているかもしれない。
空想や想像することを自分で絵空事など無駄、意味ないなどと思わず自分から受け入れてみる。
近年はコスパだのすぐに結果が出ないものに時間とお金費やすのは、
という話に不満や反対意見も出るようになって、その変化はいいことだなと思う。ヽ(•̀ω•́ )ゝ

これが何か行動を起こす、発言する際に想像力をまず働かせることができるかどうかが人が成長する、
大人になる鍵ではないかと。
まず自分が何をどうしたいのか、なぜしてみたいのかがある程度ヴィジュアルができていれば、
実行に移しやすかったり、いい結果が出しやすいのではないかと思う。
考えすぎ、配慮しすぎはどうかと思うが、その辺の加減も見極めたり。
感受性はそのように発達していくのではないかと。
水星の知性は海王星による訓練も実はかなり必要でないかな。(-ω-)ノ(・ω・)

実際に物事を構築するにはヴィジュアライズ能力が欠かせないのでは。
今時のフローチャートというものを見れば、一目でわかるようにしてみた、という感じで。
これらを脳内で作り上げることで自分なりのマニュアルや対応策を講じる。
臨機応変に対応できるだけの緩さもどの程度設定するのか。
キチキチにならないよう、遊びをどの程度作るか。
自分なりの運転技術とハンドル操作がしやすいように構築するのだ。( ・`ω・´)ノ

個人的にある程度までやり方を教えるのはいいが、
どこかあやふやさを持ったふわっとしたやり方でないと、
昭和から続いてる日本の企業流なマニュアルでガチガチに固めてしまうのまずい。
しゃっちょこばった不自然さがどこかにあると、いずれ破綻するのでは。
教育の現場でそうなってしまう恐れは感じてるんですけどね。
先生の質が、というより保護者、親など家族として暮らす大人の側(土星)が子供をガチガチにしてしまってないか、とか。
学校よりもそれぞれのご家庭の方が本来、影響大なわけだからさ...。(´・ω・`)

大人は土星と木星の両方があって、前者は年長者、家父長、老人的なキャラで厳しさ担当に思われがちだけど、
結晶化、地固めする、長持ちさせるというあたりでまず何より子供以上に自分自身に厳しくあれと。
子供には毅然としても冷淡にならず、制限やキツさよりまずはその子に自信を持たせるように。
後者は寛容さ、とよく言われるが緩さと育くむ、受け入れとも言うけれど、一方で大らかすぎたり、
場合によってはそれが無関心さに変わってしまう恐れがあるかもしれない。
親戚のおじさんおばさんといった程よく距離感もあるキャラ設定だからかも。
どちらも一長一短はあるんです。
人間が使う時にはそれなりの不具合を感じるところや居心地の良し悪しを感じながら調整しないといけない。
火星とともに、ソーシャルプラネットは特にそんなとこがあるかも。(´・ω・`;)メンドクサー

やっぱり寛容さと無関心はちょっとリンクするとこもあるのかな。
まーどちらにしても余裕があるということは空白とか余白があるってことだよね。
心の余白は無関心なのか、距離感のある視点なのか。
どんな関係でもあまり相手にも自身にも関心や思い入れが強すぎはいかんのでしょうね。
余裕大事。(・ω・)人(-ω-)

乙女新月でタイミング的にもやれやれ、と思いがちな時期ですが。
まだ夏を惜しむ気分が残ってたり、日が少しずつ短くなっていく寂しさもあるんでしょうな。
そんな時ほど魚海王星で心が動くことを探ってみてもいいような。
射手木星、山羊土星と本来のディグニティを運行しているこの時期はいいチャンスだと思う。
学校、会社行きたくないヒト結構いるだろうけど。
大人になってしまうと自分で自分を見守ってやるしかない。
そんな時ほどイメージをいろいろ思い浮かべてこれからのことを模索してもいいかもしれない。(・ω・)

イメージしたものを伝えるのはその時必要なのは説明するための言語能力(水星)だけど、
そこにテンポの良さ、リズムや律動感と呼ばれるもので受け手のハートをつかむのだ。
律動感は海王星が与える能力でも意外と知られてないのかも。
人に何かを伝えて心動かすのは耳の小骨が振動して音を伝えるように、
動きにテンポやリズムを与える海王星の力だ。( ・`ω・´)

空想やイメージの世界に遊ぶとき、
それは他人や外側から見れば無為、無駄な時を過ごしているかのように誤解されやすい。
ヒトを何かから解放したり引き上げる天王星の役割を受け止め、海王星はそんな解りにくさでもう一つの世界を見せる。
ひとつ別の答えや解決策が見つかるかも、という何かからの提案かもしれない。
ヒトによっては誘惑と捉えられるのかも。
それがただの幻惑や無駄な悪夢で終わらせてしまうのか、自分にとって必要な答えだったのか、
それは当人にしか解らない、それはすぐには解らない、長い時間を経てから受け取るのかも。
時間や効率にとらわれてる時、それこそ時間どろぼうに幻惑されているのかも。
新たな世界観、イデアはイメージに遊ぶ見えない場所から。
自身で何かを考える、自らも周囲も動かすのは外からは無為に見える時間を過ごした後に。
,
。・:*:・゚'☆,。・:*:(-ω-),。・:*:・゚'☆,。・:*:


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うちゅうひこうしのうた

巷では「無農薬、無施肥」をウリにする野菜まで売られているが、無施肥でも育つのは過去1万年かけて黒ぼく土に蓄積した腐植、窒素、リンが眠っているのと、長年培ったプロのノウハウがあるからだ。

化学肥料のなかった時代、渓流水の恵みだけでは足りず、スギの針葉や小枝も鋤き込んでいた。スギの枝葉はカルシウムを豊富に含んでいる。桃太郎のおじいさんの柴刈りには肥沃な土を維持する意義もあったのだ。

バーチャル・ウォーター(仮装水)という概念がある。食糧を輸入することは、その食品の生産や移動に要した水をも消費していることを意味する、ということだ。
土と水は一緒にその大切さを語られることが多いが、直接口にしない土の方が説得力に欠ける。バーチャル・ウォーターに対抗する意味を込めた「バーチャル・ソイル」の目指すのは、「食糧を輸入することは、土の栄養分まで輸入している」とか、「土を大事にしましょう」なんていう啓蒙だけが目的ではない、それ以前に、土と私たちの見えないつながりを発掘することにある。自分がどんな土に生かされているかを理解することで、自分の身を守ることもできる。

「土 地球最後のナゾ」100億人を養う土壌を求めて 藤井一至 著 光文社新書

今年の梅雨も去年に引き続き結構長かったようで、やっとこさ梅の土用干しに取り掛かったり。(´・ω・`;)フーヤレヤレ

連作障害でやられた土を忌地イヤチ(イヤシロチってスピスピな言葉の語源か?)というのが本来でしょうね。
農地を見れば、毎年必ず作物はダブらないように色々なものを栽培、収穫している様子が見て取れる。
作物も一種類だけを求めるのでなく、相性さえよければ多彩な種類を土に育ててもらうのだ。
一つだけ、決まりきったものだけに固執しないのがいいんでしょうな。( ・ω・)ノヽ( ´ω` )ノ(・ω・ )

育ててみるものが多種多様であるという環境は、生き物の体を維持する栄養分をまんべんなく提供してくれることになる。
また、その土自体のの栄養が偏らずに済み、肥料をうまく節約することにもなる。
リンも水もそうだが有限なのだ。
期限があればこそ有効に精一杯その間を無駄なく大事に活用させてもらう。
有限とはいえ、これを人類に与えて自在につかうことを許してくれている地球は恐ろしいほどの寛容さを持つ天才だ。
確かにこの世界、宇宙はあまりにも「都合よくできすぎている」と言われるだけのことは。( ・`ω・´)

土は土星の分野ですな。
土木、建設、不動産も文字通り土の上でなされるので、
金が絡むとこの辺で土星を観るということが占星術関連にでは多くなるかもだが(マンデーン、金融占星術など)
ここは個人的に農や食糧という興味のあることしか考えないことにする。
まー最近なんとなく書いちゃう牡牛天王星絡みかもだけど。(・ω・)

牡牛サインのルーラーを地球にという話は以前エントリーしたけど、自分の中ではこれ確信になっているので。
金星と共に地球もルーラーとしているのには個人的に納得がいく。
物質や感覚、所有や価値については金星的な有り様に基づく方が建設的ではないかと思う。
金星と共に太陽の近くにある水星が知性や言語能力を担当してはいるもののあくまで中性であり、
善悪の判断にそれだけでは関われないし、その分不安定でもある。
水星をルーラーとするサインが双子、乙女という柔軟宮の流動性を考えると当然だ。
その人自身を生かし(活かし)照らす太陽が生きる地上には、何よりもまず愛が不可欠だろうな。(-ω-)

ポルトガルで子供が何かをして褒める時、「お前は美しい」と表現するということをネット上で以前知ったのだけど、
日本では「お前は賢い」と褒めることの方が多いわけですな。
人としての在り方や行動の結果など評価する際に賢明さや巧みさより、
その人個人としての麗しさや有り様の気高さとして評価するのだろうかと思ったり。
賢さは集団の中で発揮されて評価されることが多いようなイメージがある。
美しい、という評価は個々の一対一の関係性の中から始まって、集団の中でも発揮されるけど、
最終的にまた一対一の間を通って、個人の中に戻って蓄積されて潜在していくのでは、と思う。
どこか冥王星もそこで関わってきそうですな。
牡牛の反対にある蠍サインのルーラー冥王星はそれを望んでいるのか、とか。
「うまくやったね」じゃなく「きれいだね」という言葉のこの魅力よ...。( -`ω-´)

ヘーゲル先生の否定の矢って放つのも難しいんではなかろうか。
矢を射るのもそれなりの腕前がいると思う。
海外の演出家や指導者とかがよくやる役者や生徒を褒めてから「いいんだけど、ここを直して。」みたいな。
より良くするには経験とテクニックと愛想もいるんだよ。金星土星くさいな。(・ω・)

褒めて伸ばす系が流行りっぽくなったりした時期があったかもだが、
そういうのも相手を見てやらんと勘違いさせかねん気がする。
意地悪い言い方になるが、それだけのレベルの人相手でないと。
そこまでに底上げされたクラスにならないと意味ないかも。
一人で自主的にこもって練習や実習をコツコツ続けてみたり。
たった一人で過ごしたり思う孤独(土星)あればこそ共感(月)の楽しさや安心感もひとしお。(-ω-)

あまり観ない連ドラで作画担当に製作者が木の妖精の歩き方や樹齢何年かという設定聞いてきた場面があったけど、
これ当然だと思う。
子供たちはそういうこと想像して思うし訊くぞ。
根拠がないものは子供への説得力がない。
由来や根拠とかって基本というところが土星くさい。
月や水星の年齢域の子供たちは土星の大人の現実のあり様や設定を知りたがるし、その権利があると思う。
子供の「なぜ」「どうして」に答えられるものを蓄積することが大人の責任(土星)かもしれない。(-ω-)


「我々は天体の動きについての方が分かっている、足元にある土よりも」
などとレオナルド・ダ・ヴィンチに言われる始末ではな。(´・ω・`)


地面に触れてみるのは楽しい。
特に子供時代は泥んこ遊びに精を出して泥団子やただ手を引っ掻き回したり、
草むしりや花を摘んでみる、虫やカエルを取っ捕まえるのが面白かったり。
そんなことばかりして遊び呆けていた時、親とか大人とは違う何か別な存在がニコニコ眺めてくれていたような気がする。
一体何だったんだ、あれは。
,。・:*:・゚'☆,。・:*:(-ω-),。・:*:・゚'☆,。・:*:

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うめぼしのうた

われわれに関係があるのは二つの容体の間の力の交換ではない。
問題は生きている生体とその容体との関係であり、
この関係はまったく異なるレベルで、つまり、主体の知覚記号と容体の刺激との間でおこるということである。

(中略)

時間はあらゆる出来事を枠内に入れてしまうので、出来事の内容がさまざまに変わるのに対して、
時間こそは客観的に固定したものであるかのように見える。
これまでは時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、
いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないであろう。
....空間にも同じことは言えることがわかるであろう。
生きた主体なしには空間も時間もありえないのである。

「生物から見た世界」 ユクスキュル/クリサート著 日高敏隆・羽田節子訳 岩波文庫


どんな自分が好きか、と改めて考えるとどこか漠然として判りにくいんだけど、
誰といるときの自分が好きか、というと思い出しやすい。
これはネイタルにオポジションが効いている人ほど解りやすい。
自身の相手に対する振る舞いや態度が好ましいと思えたら、
その人との交わりはどこかからプレゼントされたようなきがするかも。(・ω・)人(-ω-)

これらはまず7ハウスとその人の金星、2ハウスの状況も合わせて観るなど。
振る舞いには色々あるし、言語を使うなら水星も関係するんだけど、
見た目の様子やどこに好ましさを感じて喜びを表現するか、
5ハウスと対抗する11ハウス(友人関係など)も関わってくるもだが、まずは金星の愛想、可愛らしさかと。
ひいては媚態とも取れるような魅惑したりされたりといった空気も漂っている。 ,。・:*:・゚'☆,。・:*:(・ω・),。・:*:・゚'☆,。・:*:

牡牛天王星は品位が失墜している上に不動宮でもなかなか腰の重さNo.1なイメージだけど、
金星的な牡牛サインの特質を持った天王星と捉えると、いろいろなんとかなりそうな。
金星という安楽で快適さや甘美さを受け取る女性性の突然のラッキーやチャンスが降って湧いてくるイメージ。
あと試験的にだけど、女友達とのコミュニティや関係性を観察するなど。
女性は男性よりも今の社会では特にそうだけど、快適さを大っぴらに追求しやすいと思う、ってかやっていい。
そこを牡牛天王星が刺激しやすいのでは。( `・ω・´)ノヽ( ´ω` )ノ

冥王星、土星が地のサインである山羊にあればかなり援護射撃がもらえそうなきがする。
牡牛天王星を助けるのはこの山羊サインが特に太陽、月(ルミナリーズ)に効いている人達かもしれない。
地のサイン、水のサインはこの牡牛天王星がまだ使いやすい立場かも。
天王星は友人、共同体、クラブ、同人関係、公共や組織的なシーンや関わり合いで使われる。
牡牛は個人的なサインなだけに、周囲との交わりでは個々の女性性が鍵になるかもしれない。
自分の好きなようにするため、敢えて周囲との関わり合いに目を向けてみるとチャンスや機会を得られるかも。ヽ(•̀ω•́ )ゝ

何かあっても気にしない、いいことはちゃんと覚えてて嫌なことは忘れられずともそれを「踏まえて」歩む、
それができる才能は寛容の木星と制限をもたらしつつ現実の価値の土星が伝えるのでは、と思う。
今年の夏至図チャートでは月水瓶で双子金星とトライン、ルーラー回帰の射手木星とセキスタイルで、
友愛に満ち満ちた楽しそうな月でもあったり。
このイメージは友人やコミュニティ、生活圏の地域での交わりに使いやすいイメージを想起するといいかも。
あっさり爽やかな距離感と知性のフレーバーが掛かった自然な振る舞いと思いやりを。( ・ω・)ノ(-ω- )

暮らし、生きる、食という普段あまり公式の場で垣間見せないはずの月「私生活」ないがしろにすると、
最終的に社会生活がうまくいかない。
前にも何度か生活、男女の区別なく、自身の中の女性性を無視しないことをエントリーで書いたと思う。
月のJoyが牡牛サインであることはまさに自身を中心に据えて肉体や皮膚感覚をこの地上において忘れるな、
何よりも肝心なバディ、パートナーはこの肉体と感覚だという話をしてきているのだ。
これは一見まったく関係なさそうに見えるが事実だ。( ・`ω・´)

月がもたらす泥臭い生活の場は現実、その人の本音や本能であって、
これに誠実な対処ができている人は社会でも居場所と恩恵が与えられる。
これは当然、男女共全く同じで、イクメンなどという造語でなんとかできるもんでもないし。
家にこもってるのが嫌だからという理由であってもそれだけでは歪みが出てくる。
家と社会は相互関係にあることは、虐待云々と密接に関わると思う。( -`ω-´)

人間て何で社会生活ってのを営むと顔が歪んで非対称になるんだろ。
野生の動物はあまりそんな状態見かけない気がするけど。
群れを作るものでも人間ほど非対称な顔立ちに老いる存在っているかな。
キメラみたいな雌雄同体でも不思議とどこか融合しようとしているように見えるし。
自然ってシンメトリーなんじゃないのかな。(・ω・)

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