牛歩の如く
今年でもうこのブログ五年目ですか。
途中なんとなくタイトル変えただけ、ゆるゆるここまで続くとは。
以前から読んでくださってる方々、相変わらずこんなのですみません。(´・ω・`)
そんな極北ブログへようこそ。
気がつくともはや初夏の陽気の昼間ですが、まだまだ夜が寒いです。
だけど動植物がイキイキでキラキラ、風が爽やかなおかげで日差しの強さもまだしのげる。
個人的に一番好きな季節かも。
太陽が牡牛サイン運行中なので、春風駘蕩という空気があるのかと感じてもいいこの時期。
以前もこのサインについてのエントリーで緑のそよ風のイメージを書いたと思いますが、
エヴァーグリーンな空気のこの季節、なるべく外の風と光を浴びたいなと本能的に。
牡牛のルーラーが金星なのは古典からで、
同じ金星でも天秤の人様から見られる様子を気にした「気取り」の空気が一切無い、
生のエネルギーです。
限りある生命、生涯を存分に愉しみたい欲求の金星。
このところずっと軸で観る視点の取り方してますが、
人は一つだけの要素よりも二つで対応したほうが解りやすいようで。
サインやプラネットも対抗するもので観ると実に解りやすい作用が観えてきます。
牡牛の対の蠍、金星の対の火星は、それぞれが磁石のようで面白い。
さっき本能という言葉でましたけど、まさにそれです。
肉体に対応すると牡牛は鼻、口、喉、蠍は泌尿器、性器、肛門。
尾籠な話ですが、喰らって出す、という日常をそのまま表してると言ってもいい。
そこには生まれ育ち家柄など全く意味をなさない生の肉体の営みなわけですが、
特にその牡牛が語るのは自分にとって快適で安穏としていられる要素。
甘く楽しいそのときはまさにあっという間なのですが、
それだけに貪欲になることでもあり。
牡牛 I have
蠍 I desire
とよく表されるのも実に解りやすい欲求で、目に見える欲と目に見えにくい欲、とも感じられ。
それだけに8Hからは親密さ、深刻さを暗示する場になるのは、
理屈抜きに好きで価値あることが目の前にあるから、という。
現実のことは常に誰しも真剣な事柄。
それこそ下手な冗談や当てこすりなど言ったりしたら、手痛い反撃を喰らいかねない。
1ハウスは生まれたばかりの場所、その次の2ハウスは生きる手応えと醍醐味。
2ハウスと8ハウスがそんな場として観るわけですが、
2Hに土星があったりすると、その人に蓄膿など鼻の病気、
摂食障害や咀嚼嚥下が困難な体質であったり、
声を出すのにコンプレックスや難があることもあります。
いつもお金がない、金銭面で苦労している、など。
素直な欲求が出せない、2H的なことに嫌悪や苦手意識があれば、8Hを観察してみるなど。
逆に8H的なことについてもその様に。
牡牛土星なら、時間を掛けるだけの価値があることかもしれません。
牡牛の金星は自分にとって価値あること、個人的な価値観であり、
人目を気にして行う話ではありません。
人がなんといおうとそれを愉しみたい、美味しいと思える事柄。
それは満たしてやりたい本能的欲求。
五感、皮膚感覚で肉体的に。
牡牛や2Hでの話は現実、蠍や8Hでは奥まった意識の底。
どちらも欲であっても、表に出しやすいのはやっぱり現実でしょう。
牡牛や2Hはその人の肉体を現実の地上世界で生かすための話をしているわけです。
1Hでは生まれたばかりの状況ですが、次にその人が肉体を維持するには、という。
美味しい匂いのするご馳走が、人の身体をエネルギー源として通過していく間に、
あんなに悪臭芬々たるものに変化して排泄されてしまう、
まさに生と死だなあと。
どれほど人は生きるだけで大変なことであったり、精一杯なんだろうと思います。
美味しい料理は作るのに手間ひまも掛かるのに、食べるのは一瞬ですよ。
その昔、ウーマンリブ?辺りから批判されたCMで
「君つくるひと、僕食べるひと」なんてキャッチコピーありましたけど、
これ牡牛くさいなーって。
ただひたすら食べさせてほしいのだなーって。
なんだか私には微笑ましさもありますが。
ピーピーと大き過ぎる程のくちばしを広げて餌をねだる雛鳥みたいです。
親鳥はせっせと餌を運んで食べさせ、排泄物は加えて外に捨てにいって、と。
ただ慈しんで、遺伝子を残す次世代を育てるために必死で、そんなイメージ。
頭でっかちに役割がどうのこうの、
ではない本能からの欲求がストレートに出されるのは食べ物を目の前にしたとき。
食べ物の恨みは恐ろしいって昔から言いますけど、
その昔の飢饉の絵図や九相図がどんな意図で利用されたとしても、
本能を刺激するということには変わりないです。
なので、金星2Hはその人の好きなこと、と単純に。
これがあれば、人は牡牛が草を食んでるが如くにまったりした様子でいられるのかもしれません。
それはその人が結構気軽に身近に手に入れられる価値だったりするのです。
2Hに星(特に太陽月)など感受点が集中している場合、頑固になりがちですが、
よほどこの現実世界で生きるために必死の思いで生まれてきたのだろうなと観ることもできます。
なので、この世は実はそんなにも厳しい激しいわけじゃない、と説得力のあるものが欲しいのかも。
2H、8Hの状況を観察して自己を満たしてやることが、日々の生を積み重ね。
いつかは必ず終わるときが平等に来る、というアポトーシスが前提の二つのハウスとサインには、
金星火星がそのエネルギー源なんだなと実感します。
限りあるのに、どう急いでもあがいても同じことなら牡牛の歩みの如く、でいいような気がします、
ってなんかまた無責任ですみません。(´・ω・`)←また同じ顔
途中なんとなくタイトル変えただけ、ゆるゆるここまで続くとは。
以前から読んでくださってる方々、相変わらずこんなのですみません。(´・ω・`)
そんな極北ブログへようこそ。
気がつくともはや初夏の陽気の昼間ですが、まだまだ夜が寒いです。
だけど動植物がイキイキでキラキラ、風が爽やかなおかげで日差しの強さもまだしのげる。
個人的に一番好きな季節かも。
太陽が牡牛サイン運行中なので、春風駘蕩という空気があるのかと感じてもいいこの時期。
以前もこのサインについてのエントリーで緑のそよ風のイメージを書いたと思いますが、
エヴァーグリーンな空気のこの季節、なるべく外の風と光を浴びたいなと本能的に。
牡牛のルーラーが金星なのは古典からで、
同じ金星でも天秤の人様から見られる様子を気にした「気取り」の空気が一切無い、
生のエネルギーです。
限りある生命、生涯を存分に愉しみたい欲求の金星。
このところずっと軸で観る視点の取り方してますが、
人は一つだけの要素よりも二つで対応したほうが解りやすいようで。
サインやプラネットも対抗するもので観ると実に解りやすい作用が観えてきます。
牡牛の対の蠍、金星の対の火星は、それぞれが磁石のようで面白い。
さっき本能という言葉でましたけど、まさにそれです。
肉体に対応すると牡牛は鼻、口、喉、蠍は泌尿器、性器、肛門。
尾籠な話ですが、喰らって出す、という日常をそのまま表してると言ってもいい。
そこには生まれ育ち家柄など全く意味をなさない生の肉体の営みなわけですが、
特にその牡牛が語るのは自分にとって快適で安穏としていられる要素。
甘く楽しいそのときはまさにあっという間なのですが、
それだけに貪欲になることでもあり。
牡牛 I have
蠍 I desire
とよく表されるのも実に解りやすい欲求で、目に見える欲と目に見えにくい欲、とも感じられ。
それだけに8Hからは親密さ、深刻さを暗示する場になるのは、
理屈抜きに好きで価値あることが目の前にあるから、という。
現実のことは常に誰しも真剣な事柄。
それこそ下手な冗談や当てこすりなど言ったりしたら、手痛い反撃を喰らいかねない。
1ハウスは生まれたばかりの場所、その次の2ハウスは生きる手応えと醍醐味。
2ハウスと8ハウスがそんな場として観るわけですが、
2Hに土星があったりすると、その人に蓄膿など鼻の病気、
摂食障害や咀嚼嚥下が困難な体質であったり、
声を出すのにコンプレックスや難があることもあります。
いつもお金がない、金銭面で苦労している、など。
素直な欲求が出せない、2H的なことに嫌悪や苦手意識があれば、8Hを観察してみるなど。
逆に8H的なことについてもその様に。
牡牛土星なら、時間を掛けるだけの価値があることかもしれません。
牡牛の金星は自分にとって価値あること、個人的な価値観であり、
人目を気にして行う話ではありません。
人がなんといおうとそれを愉しみたい、美味しいと思える事柄。
それは満たしてやりたい本能的欲求。
五感、皮膚感覚で肉体的に。
牡牛や2Hでの話は現実、蠍や8Hでは奥まった意識の底。
どちらも欲であっても、表に出しやすいのはやっぱり現実でしょう。
牡牛や2Hはその人の肉体を現実の地上世界で生かすための話をしているわけです。
1Hでは生まれたばかりの状況ですが、次にその人が肉体を維持するには、という。
美味しい匂いのするご馳走が、人の身体をエネルギー源として通過していく間に、
あんなに悪臭芬々たるものに変化して排泄されてしまう、
まさに生と死だなあと。
どれほど人は生きるだけで大変なことであったり、精一杯なんだろうと思います。
美味しい料理は作るのに手間ひまも掛かるのに、食べるのは一瞬ですよ。
その昔、ウーマンリブ?辺りから批判されたCMで
「君つくるひと、僕食べるひと」なんてキャッチコピーありましたけど、
これ牡牛くさいなーって。
ただひたすら食べさせてほしいのだなーって。
なんだか私には微笑ましさもありますが。
ピーピーと大き過ぎる程のくちばしを広げて餌をねだる雛鳥みたいです。
親鳥はせっせと餌を運んで食べさせ、排泄物は加えて外に捨てにいって、と。
ただ慈しんで、遺伝子を残す次世代を育てるために必死で、そんなイメージ。
頭でっかちに役割がどうのこうの、
ではない本能からの欲求がストレートに出されるのは食べ物を目の前にしたとき。
食べ物の恨みは恐ろしいって昔から言いますけど、
その昔の飢饉の絵図や九相図がどんな意図で利用されたとしても、
本能を刺激するということには変わりないです。
なので、金星2Hはその人の好きなこと、と単純に。
これがあれば、人は牡牛が草を食んでるが如くにまったりした様子でいられるのかもしれません。
それはその人が結構気軽に身近に手に入れられる価値だったりするのです。
2Hに星(特に太陽月)など感受点が集中している場合、頑固になりがちですが、
よほどこの現実世界で生きるために必死の思いで生まれてきたのだろうなと観ることもできます。
なので、この世は実はそんなにも厳しい激しいわけじゃない、と説得力のあるものが欲しいのかも。
2H、8Hの状況を観察して自己を満たしてやることが、日々の生を積み重ね。
いつかは必ず終わるときが平等に来る、というアポトーシスが前提の二つのハウスとサインには、
金星火星がそのエネルギー源なんだなと実感します。
限りあるのに、どう急いでもあがいても同じことなら牡牛の歩みの如く、でいいような気がします、
ってなんかまた無責任ですみません。(´・ω・`)←また同じ顔
人生いろいろ
ちょっと昔、お水の花道なんて言葉が流行ったことあったけど覚えてる人いますかね。
昔の占星術本で特に男性が書いたものだと、
水商売は水の元素が効いてる人が向く、などと書かれてましたけど。
あー、全然解ってませんねー、って。(´・ω・`)
すぐ解ります、女だったら。
この辺りは、男女関係なくその人の視点、センスもあるんですが。
(書く側も読む人それぞれに、ということで...。)
最初に申し上げておきますが、水が効いた人は全く向かない職業です。(キッパリ)
↓ 私のリアル知り合いの皆さんならこれ読んで即効思ってそう。
キッパリ言っときながら、アンタ自分にその手の経験無いくせにー。
う”あ”ーツッコまないで。(´・ω・`;)
お水の世界(って色々あるけど)でやっていける人は、むしろ火や風が効いているのです。
客を盛り上げ楽しませる、という辺りも、水の要素じゃない。
この辺りは5ハウスですね。
店のカラーもあるでしょうが、
基本、高級クラブなど解りやすい昔風ハデハデおもてなしを求められるところはそう。
(なんかバ○ラのグラス好きな人とかって、獅子や5H効いてそうだよな...。
ドンペリとかナポレオンとかド定番オーダーしまくってそな...。)
あ、すみません、どうでもいいな。
(静かな隠れ家的バーとかだったら、12ハウス要素。)
火、風サインでさらに1、5、9ハウスが効いていれば、この手の世界で稼げるでしょうね。
お水って情や涙、思いやりなんて基本どうでもいい世界ではあるのです。
そこでどうやっていくかによりますが。
少なくとも、いわゆる店のNo.1とか売り上げてイケイケで行くなら、
先に上げたドライで華やかタイプです。
髪の毛盛ってナンボって感じ。
特に火が効いていると、お金に基本困らない人になることが多いです。
出入りが激しいのですが、本人にガンガン働いて稼ぐ意欲満々ですから。
なんだかガンガンとかマンマンとかそんな感じ暑苦しそうですが、
このぐらい強さや周囲をものともしない在り方の方が楽そうです。
ただホステスとホストではちょっと違うかもしれない。
女性が男性を相手にするとの、男性が女性に対するのとではまた空気違うんですね。
男の目から見て気持ち悪いなコイツ、っていうのがむしろ女性からウケることも多そうな気がします。
まあ女の目からなんだこれ、ってタイプが男性から受け入れられる場合もあるから、
結構その辺、距離置いて色々観てたら面白いかも。
男性で月のアスペクトが効いている人は、
何にしても女性との縁や、付き合いに心が向いていきます。
基本食べ物や水を使った商売にも向いてたり、飲食業に就いてたり。
月金星合だとハンサムでなくても女性ウケがいい人だったり、
気がついたらその人の周囲が女性ばっかりでその中でのんびり喋ってる、
なんて光景目にします。
で、こういう人は普段の生活に困らない。
なぜなら月金星のおかげで
「安楽に過ごすための生活費ぐらいはいつでも稼げるし。」
という心が出来上がってるからです。
その辺りの不安要素がないんですね。
で、それが普段の表情に無意識(月要素)に顕われてて、穏やかで可愛げがある(金星要素)。
こういう人は自然にそうなので、嫌み無く受け入れられやすいのです。
特に女性から。
このアスペクト持つ男性はどのシーンでも人気あります。(月は人気も表す。)
逆に月ハードアスペクトだと、自分を棚に上げて面食いだったりして女性ウケが悪かったり。(苦笑)
でも得てして本人がそんな差別的態度を取っていることに気づかないのです。
なのに、モテないのはなんでだとかなんとか言っててもなあ、って。
↑ いやまあ、それだから大変なんだけど...。(´・ω・`)
逆に月に火星土星やアウタープラネットなどのマレフィックがハードアスペクトなら、
自分の感情に厳しい目な対応しますから、
暗い気持ちになってるな、とふと気づいたら、いや、こういう個性なんだな、
ぐらいにして「思いやり」を自分に向けることをしてあげるといいです。
で、話戻しますが。
ホステスなら女性が男性を接客するわけで、客の太陽火星要素を刺激してやれば良いのかなって。
このへんの機微が解るのは、火のサインが効いてて5Hが効いていれば、
相手のツボをくすぐるのは簡単です。
そして、店の中でも外でも同業者の悪口陰口は実は御法度らしい。
これは相手を貶めることで、自分のグレードも下げることになりますからね。
この辺りも「火」だなーって感じです。
火の良い意味で正々堂々、真っ向勝負、といった辺りでしょうか。
相手の優れたところは素直に認め、賞賛する、という。
基本、競争や戦い要素はあるけど、この辺りが楽しめるのは「火」なんでしょう。
そして風のクールさと人間関係での後腐れなさ、これがあればどこでもやっていけます。
水が効いてたら、どうやったって無理、という話、お解りいただけましたでしょうか。
女の人はこの辺り、理屈抜きですぐに感じ取れるものです。
ただ、個人的に今の若い子達は中性的になってるので、
その辺どうだろうなって思いますが。
時代は移り変わる訳で、世代間で積んでいく経験も現実も違ってきます。
ノーマライゼーションという言葉もあるように、普段や普通の概念は時間の経過で変わっていく。
それを感じ取るのも月かな。
月が表す感情や、空気を感じ取るセンスもある程度後から伸ばせるので(後天性)
気がついたら、そちらに意識向けることは実は大事なんですね。
高級感をウリにしているようなお店のお水な世界観は、基本生活感とは無縁です。
非日常感満載でいい、派手にやれ、その方が愉しい時間空間なんだよ、という。
それを生業とするのなら、水や地サインのように後をひかない方が楽ですね。
ついでに。
水、地のサインが効いてたら、むしろその手の世界と一見縁のない、
でも美的感覚問われる職人仕事的な方が上手く長く続けられます。
蟹サイン効いていれば料理人なんて解りやすい。
あとは学究肌なもの。 研究職とか。
地道にやって、世に認められるチャンスも多いです。
ちなみに風や火が効いててお水以外の場で、という場合、
接客の他は火が効いていればエンターテイメントな要素の強い企画、
人との間を取り持つ紹介や仲介業といったところです。
月は日常生活や普段を表しているとずっと書いてきてるんですけど、
これを大事にしたい、という今の世間の流れ、
まあ今時のリサーチやマーケッティングの視点も色々でしょうが、
基本、この辺りは大事にしていて損は無いとか「食いっぱぐれの無さ」という辺りは、
この地上で「暮らす」上で、永遠のテーマな感じがします。
昔の占星術本で特に男性が書いたものだと、
水商売は水の元素が効いてる人が向く、などと書かれてましたけど。
あー、全然解ってませんねー、って。(´・ω・`)
すぐ解ります、女だったら。
この辺りは、男女関係なくその人の視点、センスもあるんですが。
(書く側も読む人それぞれに、ということで...。)
最初に申し上げておきますが、水が効いた人は全く向かない職業です。(キッパリ)
↓ 私のリアル知り合いの皆さんならこれ読んで即効思ってそう。
キッパリ言っときながら、アンタ自分にその手の経験無いくせにー。
う”あ”ーツッコまないで。(´・ω・`;)
お水の世界(って色々あるけど)でやっていける人は、むしろ火や風が効いているのです。
客を盛り上げ楽しませる、という辺りも、水の要素じゃない。
この辺りは5ハウスですね。
店のカラーもあるでしょうが、
基本、高級クラブなど解りやすい昔風ハデハデおもてなしを求められるところはそう。
(なんかバ○ラのグラス好きな人とかって、獅子や5H効いてそうだよな...。
ドンペリとかナポレオンとかド定番オーダーしまくってそな...。)
あ、すみません、どうでもいいな。
(静かな隠れ家的バーとかだったら、12ハウス要素。)
火、風サインでさらに1、5、9ハウスが効いていれば、この手の世界で稼げるでしょうね。
お水って情や涙、思いやりなんて基本どうでもいい世界ではあるのです。
そこでどうやっていくかによりますが。
少なくとも、いわゆる店のNo.1とか売り上げてイケイケで行くなら、
先に上げたドライで華やかタイプです。
髪の毛盛ってナンボって感じ。
特に火が効いていると、お金に基本困らない人になることが多いです。
出入りが激しいのですが、本人にガンガン働いて稼ぐ意欲満々ですから。
なんだかガンガンとかマンマンとかそんな感じ暑苦しそうですが、
このぐらい強さや周囲をものともしない在り方の方が楽そうです。
ただホステスとホストではちょっと違うかもしれない。
女性が男性を相手にするとの、男性が女性に対するのとではまた空気違うんですね。
男の目から見て気持ち悪いなコイツ、っていうのがむしろ女性からウケることも多そうな気がします。
まあ女の目からなんだこれ、ってタイプが男性から受け入れられる場合もあるから、
結構その辺、距離置いて色々観てたら面白いかも。
男性で月のアスペクトが効いている人は、
何にしても女性との縁や、付き合いに心が向いていきます。
基本食べ物や水を使った商売にも向いてたり、飲食業に就いてたり。
月金星合だとハンサムでなくても女性ウケがいい人だったり、
気がついたらその人の周囲が女性ばっかりでその中でのんびり喋ってる、
なんて光景目にします。
で、こういう人は普段の生活に困らない。
なぜなら月金星のおかげで
「安楽に過ごすための生活費ぐらいはいつでも稼げるし。」
という心が出来上がってるからです。
その辺りの不安要素がないんですね。
で、それが普段の表情に無意識(月要素)に顕われてて、穏やかで可愛げがある(金星要素)。
こういう人は自然にそうなので、嫌み無く受け入れられやすいのです。
特に女性から。
このアスペクト持つ男性はどのシーンでも人気あります。(月は人気も表す。)
逆に月ハードアスペクトだと、自分を棚に上げて面食いだったりして女性ウケが悪かったり。(苦笑)
でも得てして本人がそんな差別的態度を取っていることに気づかないのです。
なのに、モテないのはなんでだとかなんとか言っててもなあ、って。
↑ いやまあ、それだから大変なんだけど...。(´・ω・`)
逆に月に火星土星やアウタープラネットなどのマレフィックがハードアスペクトなら、
自分の感情に厳しい目な対応しますから、
暗い気持ちになってるな、とふと気づいたら、いや、こういう個性なんだな、
ぐらいにして「思いやり」を自分に向けることをしてあげるといいです。
で、話戻しますが。
ホステスなら女性が男性を接客するわけで、客の太陽火星要素を刺激してやれば良いのかなって。
このへんの機微が解るのは、火のサインが効いてて5Hが効いていれば、
相手のツボをくすぐるのは簡単です。
そして、店の中でも外でも同業者の悪口陰口は実は御法度らしい。
これは相手を貶めることで、自分のグレードも下げることになりますからね。
この辺りも「火」だなーって感じです。
火の良い意味で正々堂々、真っ向勝負、といった辺りでしょうか。
相手の優れたところは素直に認め、賞賛する、という。
基本、競争や戦い要素はあるけど、この辺りが楽しめるのは「火」なんでしょう。
そして風のクールさと人間関係での後腐れなさ、これがあればどこでもやっていけます。
水が効いてたら、どうやったって無理、という話、お解りいただけましたでしょうか。
女の人はこの辺り、理屈抜きですぐに感じ取れるものです。
ただ、個人的に今の若い子達は中性的になってるので、
その辺どうだろうなって思いますが。
時代は移り変わる訳で、世代間で積んでいく経験も現実も違ってきます。
ノーマライゼーションという言葉もあるように、普段や普通の概念は時間の経過で変わっていく。
それを感じ取るのも月かな。
月が表す感情や、空気を感じ取るセンスもある程度後から伸ばせるので(後天性)
気がついたら、そちらに意識向けることは実は大事なんですね。
高級感をウリにしているようなお店のお水な世界観は、基本生活感とは無縁です。
非日常感満載でいい、派手にやれ、その方が愉しい時間空間なんだよ、という。
それを生業とするのなら、水や地サインのように後をひかない方が楽ですね。
ついでに。
水、地のサインが効いてたら、むしろその手の世界と一見縁のない、
でも美的感覚問われる職人仕事的な方が上手く長く続けられます。
蟹サイン効いていれば料理人なんて解りやすい。
あとは学究肌なもの。 研究職とか。
地道にやって、世に認められるチャンスも多いです。
ちなみに風や火が効いててお水以外の場で、という場合、
接客の他は火が効いていればエンターテイメントな要素の強い企画、
人との間を取り持つ紹介や仲介業といったところです。
月は日常生活や普段を表しているとずっと書いてきてるんですけど、
これを大事にしたい、という今の世間の流れ、
まあ今時のリサーチやマーケッティングの視点も色々でしょうが、
基本、この辺りは大事にしていて損は無いとか「食いっぱぐれの無さ」という辺りは、
この地上で「暮らす」上で、永遠のテーマな感じがします。
冒険と計算
というのは、故武田泰淳氏の作品名だそうで、現在古書でしか入手不可能な模様。
私は未読なんですが。
これは大変解りやすいなと感じたのは、占星術フィルターで。
「冒険」は木星、射手サイン、9ハウス。
「計算」は土星、山羊サイン、10ハウス。
という具合にさっそく脳内変換されてしまうのです。
これはまさに大人になってからの醍醐味と言えるのでは。
どちらも「意思的」に「やる気」という要素がないと出来ませんね。
愉しく思い描いて、形にするために頑張りたい要素とも言えます。
つまりMC要素なわけですが、その人が現実世界でやってて愉しく前向きになれるけれど、
形に残すにはそこそこハードルや条件設定している場、です。
この地上では常に冒険と計算とが繰り広げられて、丁々発止のやり取りが個人の内側外側で。
思ったことのすべてが叶うとは限らないけれど、
削ぎ落されて残った何かが価値(勝ち?)と取ることも出来ます。
子供や学生の時期ではこの感覚は得られませんから、
ここまで来たか、な印象を得るのは年齢域では木星期の45歳以降。
その時はどんな境遇であれ、自分に取っての豊かさとか余裕とは何か、
「等身大」の自分を知る時期が始まったと言えるのでしょう。
社会という俯瞰する場所を経験した後だからです。
太陽期や火星期というがむしゃらに自分を出してきた時期が終わって、
これからの身体の使い方や頑張りどころが変わっていくと。
ここでリカバリーという時期でもあります。
以前にもエントリーしましたが、
その後に訪れるノードのハーフリターンを迎えるに当たっての準備としてもいいです。
更年期とはなんぞや、というとこの時期に当たります。
木星のディグニティが射手、エクサルテーションが蟹であり、
土星のディグニティが山羊、エクサルテーションが天秤ということは。
共通して言えるのは、これらのサインの空気が持つ意味は、大人の時期を豊かに過ごす鍵。
挟持というのは両方で支え合うという意味だそうですが、
木星と土星は基本支え合わなければ本来の意味を発揮できないとも言えます。
MCは支え合った結果を表示する場でもあるのかもしれません。
「冒険」と「計算」は一人っきりでは出来ない話かもしれません。
頑張る、というのは自分一人だけのためには出来ない話だからです、実は。
個人的ではない、誰か、とか社会や対人関係の最中で初めて発揮しやすいと感じる辺り、
ソーシャルプラネットはパーソナルプラネットの使い方や制御を教える役割を担っているな、
という感じです。
木星土星のどちらもガス惑星で、
太陽や月、水星金星火星といったパーソナルプラネットのような地球型惑星とは別タイプ、
という辺りからしても解りやすいです。
空気を読む、という辺りを教えているのかもしれません。
MCとICの対比を観るとよく解る。
知性を社会に表現するには、まず個人的な感情を無視せず侮らず、真面目に扱う必要がありますが、
その知性と感覚のバランスが上手くいった時、大変ハマった表現を得たりするのです。
それが「的を射る(得る)正鵠を得る」というヤツかも。
人はその時々の空気とタイミングを読み、感じながら、
地上で冒険と計算を愉しみ繰り広げて生きるようです。
私は未読なんですが。
これは大変解りやすいなと感じたのは、占星術フィルターで。
「冒険」は木星、射手サイン、9ハウス。
「計算」は土星、山羊サイン、10ハウス。
という具合にさっそく脳内変換されてしまうのです。
これはまさに大人になってからの醍醐味と言えるのでは。
どちらも「意思的」に「やる気」という要素がないと出来ませんね。
愉しく思い描いて、形にするために頑張りたい要素とも言えます。
つまりMC要素なわけですが、その人が現実世界でやってて愉しく前向きになれるけれど、
形に残すにはそこそこハードルや条件設定している場、です。
この地上では常に冒険と計算とが繰り広げられて、丁々発止のやり取りが個人の内側外側で。
思ったことのすべてが叶うとは限らないけれど、
削ぎ落されて残った何かが価値(勝ち?)と取ることも出来ます。
子供や学生の時期ではこの感覚は得られませんから、
ここまで来たか、な印象を得るのは年齢域では木星期の45歳以降。
その時はどんな境遇であれ、自分に取っての豊かさとか余裕とは何か、
「等身大」の自分を知る時期が始まったと言えるのでしょう。
社会という俯瞰する場所を経験した後だからです。
太陽期や火星期というがむしゃらに自分を出してきた時期が終わって、
これからの身体の使い方や頑張りどころが変わっていくと。
ここでリカバリーという時期でもあります。
以前にもエントリーしましたが、
その後に訪れるノードのハーフリターンを迎えるに当たっての準備としてもいいです。
更年期とはなんぞや、というとこの時期に当たります。
木星のディグニティが射手、エクサルテーションが蟹であり、
土星のディグニティが山羊、エクサルテーションが天秤ということは。
共通して言えるのは、これらのサインの空気が持つ意味は、大人の時期を豊かに過ごす鍵。
挟持というのは両方で支え合うという意味だそうですが、
木星と土星は基本支え合わなければ本来の意味を発揮できないとも言えます。
MCは支え合った結果を表示する場でもあるのかもしれません。
「冒険」と「計算」は一人っきりでは出来ない話かもしれません。
頑張る、というのは自分一人だけのためには出来ない話だからです、実は。
個人的ではない、誰か、とか社会や対人関係の最中で初めて発揮しやすいと感じる辺り、
ソーシャルプラネットはパーソナルプラネットの使い方や制御を教える役割を担っているな、
という感じです。
木星土星のどちらもガス惑星で、
太陽や月、水星金星火星といったパーソナルプラネットのような地球型惑星とは別タイプ、
という辺りからしても解りやすいです。
空気を読む、という辺りを教えているのかもしれません。
MCとICの対比を観るとよく解る。
知性を社会に表現するには、まず個人的な感情を無視せず侮らず、真面目に扱う必要がありますが、
その知性と感覚のバランスが上手くいった時、大変ハマった表現を得たりするのです。
それが「的を射る(得る)正鵠を得る」というヤツかも。
人はその時々の空気とタイミングを読み、感じながら、
地上で冒険と計算を愉しみ繰り広げて生きるようです。
最近は
ヒマにあかせて下手ながらもベーコンとか焼豚とか、
ジャムやマーマレード手作りなんてことをしてますが。
https://twitter.com/#!/kuruhowa/status/173475211344228352
カレールーとかもそうなんだけど、
大手食品メーカーのお手軽に使える調味料や、
出来合いですぐ食べられるインスタントものを叩きたがる人の上から目線ぶり、
実に痛い。
メーカーさんの開発とマンパワーをなめてんじゃないぞ、
本気で物を売る、売る物を作る、という力を解らずに小賢しい理屈をこねてんじゃないって思う。
手作り、実践してみて解るのは、そんな企業努力とか組織力のエネルギーだな。
中途半端なエコって一番始末に負えませんが。
未だに「自然派」とか「無添加」変な憧れ持ってると、
逆にそれがブロックになってる現実がもう出来上がった感じ。
とか言ってる間にベーコン仕上がったみたいな。
フライパンで紅茶燻すと部屋中におうのが難点。
そして市販の味に近づくにはまだまだ。
添加物がどうの、波動がどうのという以前に、じゃあ自分はどうしたいのか。
クック○ッドでよくあるな。
もう市販品は変えません!買いません!なんてコメント。
ずいぶんだなーと。
調子に乗ってちゃダメダメ。
手作りのつもりが、材料自体は結構市販品で助けられてるでしょ。
大豆と麹と塩で出来る手前味噌ぐらいならともかく、
醤油までご家庭で醸造してるとは滅多に聞かないし。
有機無農薬たって、作ってるところを逐一見てたわけじゃなし。
自分に合うかどうかの判断も常に変化していくだろうと思います。
シリコンスチーマーやレンジ調理など昔にはなかったお手軽さですが、
ジャムやマーマレードを直火で煮る時の香りは手作りならではかも。
真夏などは熱すぎて無理かもですが。
作る過程の食材の変化など何気に観察しています。
実践が何よりです。
手作りというのは、ある程度時間の余裕がなきゃ無理、ってイメージあります。
材料揃えるとか準備に手間ひま斯かるのは、実は最初だけで。
後は結構アレンジやそこそこ手抜きでもいいのです。
むしろ、やり方なんていくらでも変えて応用効かせていい。
マニュアル通りでないところを見つける試行錯誤は一つの愉しみでもあり。
応用力は総合力と観てもいいです。
個人チャートでは木星と土星で観ています。
アイディアを膨らませる木星と形にする土星とで作り上げる現実。
土星に合やスクエアなどハードアスペクトが優勢でも意外とこれは使えます。
現実に形にしたいパワーが強い、と。
むしろ問題は以前からエントリーしてる話ですが、木星のハードアスペクトが目立つ場合。
なかなかまとまりや歯止めがつかず、本人がそれを意識しにくいので。
「調子こいてしまいそうな」木星を「引き締めてる」土星。
アイディア倒れだったり、状況を見渡せてるようで全くそれが機能していなかったりします。
実態がよく掴めないと、形にしたり、自分なりの方法論が作れません。
実際性、作り上げて完成させるのが土星なので、
必ずこの二つをコンビネーションとして意識し、使うことです。
暮らしというものに焦点が当たり、マーケットに多大な影響をあからさまに及ぼす昨今ですが、
昔から「家政」という、「家いえ」と「政まつりごと」は切っても切れないわけで。
山羊サインがルーラー土星でエクサルテーション火星。
蟹サインがルーラー月でエクサルテーション木星。
MC-ICの子午線は、現実の見方と対処の仕方、土星と木星の使い方の指標でもあるのです。
木星土星はソーシャルプラネットとして位置づけられて、
普段は公共性の高いことや企業、事業運営に関わったりしますが、
個人レベルでならまさにマネジメント力だろう、と観ています。
その昔の主婦が特に日本では我が家の大蔵大臣などと言われてたりしていましたが、
家事一切を見渡し取り仕切る能力を厳しく問われていた時代とはまた様変わりしているかも。
それでも全体像を把握する、ということは家だろうが社会に出ようが変わりません。
土星は現実に使いやすい。
だけどその冷淡さと厳しさを木星の緩さと包容力がとホッとする空気で、
受け入れやすい環境や成長を促すというところもあります。
完璧を目指すよりも今を愉しんでまあまあのところで余裕もって愉しんだっていいんじゃないの、って。
人の肉体精神は完璧さを目指すと、そこで行き詰まりや閉塞感、つまらなさを感じるので。(土星)
隙や緩さから、次世代へ向けたアイディアや向上発展の糸口が掴めるので。(木星)
人の成長は緩やかなところから何かが育まれるのです。(木星)
月がその人の母親像や家庭環境を表していますが、
そこから家や生活をどう観て運営改善していくか、
木星土星との関連を観ながら指標をたてるわけです。
マネジメントはその人の「普段」の中から既に始まっている話なのです。
ジャムやマーマレード手作りなんてことをしてますが。
https://twitter.com/#!/kuruhowa/status/173475211344228352
カレールーとかもそうなんだけど、
大手食品メーカーのお手軽に使える調味料や、
出来合いですぐ食べられるインスタントものを叩きたがる人の上から目線ぶり、
実に痛い。
メーカーさんの開発とマンパワーをなめてんじゃないぞ、
本気で物を売る、売る物を作る、という力を解らずに小賢しい理屈をこねてんじゃないって思う。
手作り、実践してみて解るのは、そんな企業努力とか組織力のエネルギーだな。
中途半端なエコって一番始末に負えませんが。
未だに「自然派」とか「無添加」変な憧れ持ってると、
逆にそれがブロックになってる現実がもう出来上がった感じ。
とか言ってる間にベーコン仕上がったみたいな。
フライパンで紅茶燻すと部屋中におうのが難点。
そして市販の味に近づくにはまだまだ。
添加物がどうの、波動がどうのという以前に、じゃあ自分はどうしたいのか。
クック○ッドでよくあるな。
もう市販品は変えません!買いません!なんてコメント。
ずいぶんだなーと。
調子に乗ってちゃダメダメ。
手作りのつもりが、材料自体は結構市販品で助けられてるでしょ。
大豆と麹と塩で出来る手前味噌ぐらいならともかく、
醤油までご家庭で醸造してるとは滅多に聞かないし。
有機無農薬たって、作ってるところを逐一見てたわけじゃなし。
自分に合うかどうかの判断も常に変化していくだろうと思います。
シリコンスチーマーやレンジ調理など昔にはなかったお手軽さですが、
ジャムやマーマレードを直火で煮る時の香りは手作りならではかも。
真夏などは熱すぎて無理かもですが。
作る過程の食材の変化など何気に観察しています。
実践が何よりです。
手作りというのは、ある程度時間の余裕がなきゃ無理、ってイメージあります。
材料揃えるとか準備に手間ひま斯かるのは、実は最初だけで。
後は結構アレンジやそこそこ手抜きでもいいのです。
むしろ、やり方なんていくらでも変えて応用効かせていい。
マニュアル通りでないところを見つける試行錯誤は一つの愉しみでもあり。
応用力は総合力と観てもいいです。
個人チャートでは木星と土星で観ています。
アイディアを膨らませる木星と形にする土星とで作り上げる現実。
土星に合やスクエアなどハードアスペクトが優勢でも意外とこれは使えます。
現実に形にしたいパワーが強い、と。
むしろ問題は以前からエントリーしてる話ですが、木星のハードアスペクトが目立つ場合。
なかなかまとまりや歯止めがつかず、本人がそれを意識しにくいので。
「調子こいてしまいそうな」木星を「引き締めてる」土星。
アイディア倒れだったり、状況を見渡せてるようで全くそれが機能していなかったりします。
実態がよく掴めないと、形にしたり、自分なりの方法論が作れません。
実際性、作り上げて完成させるのが土星なので、
必ずこの二つをコンビネーションとして意識し、使うことです。
暮らしというものに焦点が当たり、マーケットに多大な影響をあからさまに及ぼす昨今ですが、
昔から「家政」という、「家いえ」と「政まつりごと」は切っても切れないわけで。
山羊サインがルーラー土星でエクサルテーション火星。
蟹サインがルーラー月でエクサルテーション木星。
MC-ICの子午線は、現実の見方と対処の仕方、土星と木星の使い方の指標でもあるのです。
木星土星はソーシャルプラネットとして位置づけられて、
普段は公共性の高いことや企業、事業運営に関わったりしますが、
個人レベルでならまさにマネジメント力だろう、と観ています。
その昔の主婦が特に日本では我が家の大蔵大臣などと言われてたりしていましたが、
家事一切を見渡し取り仕切る能力を厳しく問われていた時代とはまた様変わりしているかも。
それでも全体像を把握する、ということは家だろうが社会に出ようが変わりません。
土星は現実に使いやすい。
だけどその冷淡さと厳しさを木星の緩さと包容力がとホッとする空気で、
受け入れやすい環境や成長を促すというところもあります。
完璧を目指すよりも今を愉しんでまあまあのところで余裕もって愉しんだっていいんじゃないの、って。
人の肉体精神は完璧さを目指すと、そこで行き詰まりや閉塞感、つまらなさを感じるので。(土星)
隙や緩さから、次世代へ向けたアイディアや向上発展の糸口が掴めるので。(木星)
人の成長は緩やかなところから何かが育まれるのです。(木星)
月がその人の母親像や家庭環境を表していますが、
そこから家や生活をどう観て運営改善していくか、
木星土星との関連を観ながら指標をたてるわけです。
マネジメントはその人の「普段」の中から既に始まっている話なのです。
アヴァンポップ
引き続いてなんとなく月テーマで。
大衆的な流行は月で現れるのだけど、
大衆音楽と言われるポップス、ジャズ言われる辺りは二十世紀を彩る音だった。
ルネサンス期の音楽の演奏を聴いてて思ったのは、
当時は教会で演奏されるものと民間でダンスミュージック、ラヴソングとして作られたものと、
聴いててあまり差が無い感じ。
演奏法やメロディラインが二十世紀に生まれ育った人間の耳にはほぼ同じに聴こえてしまった。
いまの音楽ジャンルの豊富さは全容がつかめないような感じ。
もはや何でもありな状況なので、古典を聴くと反ってまた新鮮な心地よさもある。
昔の人は耳がピュアだったというけど、
いまどきみたいなどでかいスピーカーや音圧で音楽聴くなんてことしませんからね。
音響効果といえば、せいぜい教会やお堂のような天井の高い場所ぐらい。
後は町中や門付、祝いやお悔やみの席で生の唄と演奏。
アコースティックしか無い世界で、空気に自然と乗っている音を直接耳で受け取るだけ。
アンプラグドが当たり前でそれしかない時代ですから。
店舗や町中で無制限にスピーカーで流れ続けている中に身を置く今の環境は、
音楽の消費の仕方や意識も当然変わっているんだろうなあ。
それだけ今は当時とストレスへの考え方や対処が変わってるのかもしれませんが。
クラシックとされてるルネサンス期やバロック期の音楽と、
今の大衆音楽は全く様変わりした感があるけど、
私は基本どっちも聴いて愉しめているので、音楽そのものの根っこはあまり変わらないんだと思います。
ただ、以前あるミュージシャンのテキストを読んでいて、
大衆音楽はどんなに高度なテクニックを使っていてもそれとは気づかれないようにすることがキモ。
というくだり。
これがよく普段から思い出すこと。
「これ見よがし」になったら、その時点でダメダメなんですね。
大衆的とされるものは「すごいけどかんたん」風の仕上がりでないと。
そうでなければ、「大衆」から受け入れられない。
月や蟹サイン流行と女子供の要素に土星、山羊サインの重厚長大さ。重鎮的な空気が対抗していると、
そこで常にやり取りや綱引きがあるんだなあって感じです。
クラシカルな物が大衆的な要素に落とし込まれたり、
軽妙なイメージのハヤリモノが落ち着いたところへ辿り着いたり。
現実化というのはこのラインで観てますが、
甘さとミルキーなとこに苦み渋みもあると、不思議と長くその要素を愉しめますね。
人の身というのは面白い物で、一つだけではやっぱり全般に機能しにくいんだと思います。
実によく出来た物だと。
音は目に見えないのに、空気と同じくこの現実に存在していると誰もが認めているもので、
演劇や踊りと同じ無形文化財なわけですが、
その時間と場所に居合わせなければ基本体験することが出来ないもの。
なのに時空は超えて伝わるという辺り、流行ポップ大衆というのはしたたかで不思議です。
月は記憶してるんですよ。
なので大衆的とされることは、記憶、模倣されやすい、解りやすくないと、って仕上がりになります。
アヴァンギャルドな要素はなかなか大衆的なとこへはすぐには落とし込みにくいように観えますが、
時代の変遷でこれもまた変わっていきます。
大衆性は月、変化や揺れ動きを要求するので。
そうなると、土星的な忍耐や時間の経過も必要ということです。
大衆音楽、現代音楽と言われるジャンルを聴いていても、
ふとした時にクラシック的要素や懐かしさを感じ取る時、時空を超えた何かにアクセスしてるのかも。
現実はこんな風に作られるのかな、という妄想。
大衆的な流行は月で現れるのだけど、
大衆音楽と言われるポップス、ジャズ言われる辺りは二十世紀を彩る音だった。
ルネサンス期の音楽の演奏を聴いてて思ったのは、
当時は教会で演奏されるものと民間でダンスミュージック、ラヴソングとして作られたものと、
聴いててあまり差が無い感じ。
演奏法やメロディラインが二十世紀に生まれ育った人間の耳にはほぼ同じに聴こえてしまった。
いまの音楽ジャンルの豊富さは全容がつかめないような感じ。
もはや何でもありな状況なので、古典を聴くと反ってまた新鮮な心地よさもある。
昔の人は耳がピュアだったというけど、
いまどきみたいなどでかいスピーカーや音圧で音楽聴くなんてことしませんからね。
音響効果といえば、せいぜい教会やお堂のような天井の高い場所ぐらい。
後は町中や門付、祝いやお悔やみの席で生の唄と演奏。
アコースティックしか無い世界で、空気に自然と乗っている音を直接耳で受け取るだけ。
アンプラグドが当たり前でそれしかない時代ですから。
店舗や町中で無制限にスピーカーで流れ続けている中に身を置く今の環境は、
音楽の消費の仕方や意識も当然変わっているんだろうなあ。
それだけ今は当時とストレスへの考え方や対処が変わってるのかもしれませんが。
クラシックとされてるルネサンス期やバロック期の音楽と、
今の大衆音楽は全く様変わりした感があるけど、
私は基本どっちも聴いて愉しめているので、音楽そのものの根っこはあまり変わらないんだと思います。
ただ、以前あるミュージシャンのテキストを読んでいて、
大衆音楽はどんなに高度なテクニックを使っていてもそれとは気づかれないようにすることがキモ。
というくだり。
これがよく普段から思い出すこと。
「これ見よがし」になったら、その時点でダメダメなんですね。
大衆的とされるものは「すごいけどかんたん」風の仕上がりでないと。
そうでなければ、「大衆」から受け入れられない。
月や蟹サイン流行と女子供の要素に土星、山羊サインの重厚長大さ。重鎮的な空気が対抗していると、
そこで常にやり取りや綱引きがあるんだなあって感じです。
クラシカルな物が大衆的な要素に落とし込まれたり、
軽妙なイメージのハヤリモノが落ち着いたところへ辿り着いたり。
現実化というのはこのラインで観てますが、
甘さとミルキーなとこに苦み渋みもあると、不思議と長くその要素を愉しめますね。
人の身というのは面白い物で、一つだけではやっぱり全般に機能しにくいんだと思います。
実によく出来た物だと。
音は目に見えないのに、空気と同じくこの現実に存在していると誰もが認めているもので、
演劇や踊りと同じ無形文化財なわけですが、
その時間と場所に居合わせなければ基本体験することが出来ないもの。
なのに時空は超えて伝わるという辺り、流行ポップ大衆というのはしたたかで不思議です。
月は記憶してるんですよ。
なので大衆的とされることは、記憶、模倣されやすい、解りやすくないと、って仕上がりになります。
アヴァンギャルドな要素はなかなか大衆的なとこへはすぐには落とし込みにくいように観えますが、
時代の変遷でこれもまた変わっていきます。
大衆性は月、変化や揺れ動きを要求するので。
そうなると、土星的な忍耐や時間の経過も必要ということです。
大衆音楽、現代音楽と言われるジャンルを聴いていても、
ふとした時にクラシック的要素や懐かしさを感じ取る時、時空を超えた何かにアクセスしてるのかも。
現実はこんな風に作られるのかな、という妄想。


