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Tarot CardとAstolorogyのフィルターを通して観る  この世界への感想文とこの世の記憶帖
りんご農家の女性を一年以上調査した。
四十回以上りんごに薬がかかっても、彼女の畑で採れたりんごはこの世のものと思われないぐらいおいしい。
人間と自然の対立ではなく、彼女のりんごの木に対しての優しさをずっとカメラに収めて、
人間も自然の一部だということがよくわかった。
木も人間社会もコンビニのおにぎりも近代の産物なのだ。
なので、次女がコンビニは森だと思うことも間違っていないのかもしれない。
未来の森にはコンビニの中でしか出会わない可能性が高いから。
きれいな空気を吸うためにコンビニの森に行こう、というCMが目に浮かぶ。
空気が大手企業の資本になるから、渋谷の大きなスクリーンに家族の休日の過ごし方がきっとCMとして流れる。

「優しい地獄」 イリナ・グリゴレ著 亜紀書房 刊

スーパーブルームーンだなんだって言ったって、曇り空で観えやしないじゃないの。(´・ω・`)

多様性というもの、自分にとってだけ都合のいい話はない。
座りや居心地の悪さもまたそこに内包されている、不自由さもまた多様性の一つとして受け入れられるかどうか。
民主主義とか多様性ってやつはなかなかメンドクサイのだが、
これを選ぼうとするのは何としてもこの世の隙間のどこでもいい、
生き残りたいという生物としての泥臭い欲望や執念にほかならんのだろなって思うだな。(-ω-)

太陽は乙女サイン運行に入ると、初秋の香りが流れてくる。
夏の盛りを過ぎてもまだまだ暑いけれど蝉時雨はとっくに聴こえなくなったし、
空は高くなって、もう草むらからは秋の虫の声ばかりだ。
日が少しずつ短くなって、どこか寂しくなるけれど実りの時期。
この暑さを今年も乗り切った結果がくるのだ。( ・ω・)ヽ( ´ω` )

乙女サイン、6ハウスは人の下で使われる雇用や公衆衛生など。
自分自身の身体のヘルスケアや誰かに使役される側に立つことなのだが、
そこは一歩引いて自分自身と周囲の状況を観察する場や機会を得たことになる。
前の獅子サインは自分自身を表現することやイージーで解りやすい娯楽やお楽しみ、
どこかガキっぽい恋愛模様であったりというあまり込み入った話でなくただ自分本位に楽しむことだったり。
そこで散々遊んで一息ついて周りを見渡したり、散らかったとこをちょっと片付けるか、といった風情かも。
スン...、となった表情の自分自身を見るかのような。(・ω・)(-ω-)

I analyzeの乙女サインは双子の水星の初等教育をとっくに終えてある程度知識の使い方を覚えてから、
その後の社会に出てからの応用などに繋がる。
ちょっとした技術、テクニックを覚えて使ったりできるようになる時期、
そこで自分なりの使い方やさじ加減も覚えるのかも。
知恵と身体の使い方を人の下で働いたり学んで覚えていく。
経験の積み方は色々だけど、そんなところで自分と周囲の様子や個性を観察していくのかも。(`・ω・´)(・ω・ )

知識や言葉の使い方を双子はインプットしていくばかりだけれど、
乙女になるとインプットだけでなくアウトプットするための方法やタイミングを知ったり探る時か。
誰かの下で働く、自分の個性や特性ってなんだろう。
自分で思っていた自分とは違う何かを知ったり教えてもらえるのかも。
誰かが見ている私とはなんだろう。
得意と思ってたことが、意外と大したことないと知ってがっかりしたり、
大したことない、ダメだなと思ってたことが以外に他人様から受け入れられたり。
自分が知らない自分を知る時かも。( •᷄ὤ•᷅)ヽ( ´ω` )ノ(・ω・ )

誰かと共同して何がしかの働きをするとき、私と言う存在は一人ではない。(-ω-)(・ω・)

その誰か、は人間とは限らないかも。
遺伝子を汚さない、人為的に作られた品種の生き物を外へ捨てたり放ったりしない、
というのもまだまだ周知されないと。
混雑した種がもちろん生きていてもいいけれど、本来そこで生きている在来種が残ってくれることで多様性が保たれる。
そして沢山の遺伝子がプールされることで地球は豊穣さとより安全であったりするのかもしれない。
遺伝子が豊富なことはそれだけの可能性を持てるしね。
どんな存在がいざ自分が困った時の助けとなるかわからない。
もちろん災厄となる可能性もあるけれど、それも包括した上で受け入れるしかないのだから。
自然、天然というシステムはそういうものなのだろうと。
そして、それは一見して結びつかないようで、実は未来というところへ向かっているのだろう。(-ω-)(・ω・)

一見して弱々しかったり、あまりすぐに役立ちそうにない存在が、
いざという時、誰かや自分を支えてくれる。
乙女の眼前にあるのはなんでもありで最後の魚サインだ。
乙女の前の獅子サインの反対側にある水瓶が友愛と希望をくれたように。
人間が最後に誰かにプレゼントできるものは希望かも。
誰かの下で働くなんてつまんなそうだけど、期待せずにやってみたら意外と悪くない。
周囲から色んな知識と情報、技術が得られる場でもあるのだ。
社会貢献、献身なんて柄じゃないと思っていても、いつの間にかちゃんと上手く組み込まれてる。(-ω-)(・ω・)フーン

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【2023/08/31 20:21】 | Astrology
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元々俺は友達は多いものの、ひとりも好きだった。ひとりでいる時間も重要だった。
なので自分が結婚するなんてそんただベラマッチャなことは、ほとんど考えもしていなかった。
ただ、彼女はいわばもうひとりの俺だったのだ。
一緒にいてもよく喋るのだが、なぜだかある種、空気のように、ひとりでいるのとあまり変わらない精神状態でいられ落ち着けたのだ。こんな人は後にも先にも初めてだった。
何かにつけ「笑うポイント」なども似ていた。
これは長く一緒にいるには結構重要なことだと思う。


利権やつまらないプライドをめぐって、井戸の中で蛙達が争っている。
その中でより日本全国を回った俺が痛切に感じたのが、どんな田舎にもある立派なホールである。

中略

ところが見かけのハードばかり立派に構えたものの、肝心の中身、つまりソフトのことには全く頭が回っていないのだ。
だから客席が満員になることはまずない。

中略

「うちの町には古くて小さな施設しかないけれど、その分ホールを作るお金を演者に回して、毎月様々な催し物を行います!」
こんな町がひとつでもまともに出てこないものだろうか。

「たまという船に乗っていた」 石川浩司 著 双葉社刊

寒いの大嫌いで春夏を何より愛する自分にもことに去年からの猛暑っぷりに呆然としているわけですが。(・᷄ὢ・᷅:)

犬は犬自身、猫は猫自身、魚も鳥も動物、植物、菌類など皆して生き物は当たり前にその存在自身を生きているので、
生命力そのものが溢れているな。
なのに人間は意外とその人自身を生きられずに偽ってることが多いかも。(-ω-)

夏の土用、サイデリアル方式では太陽は蟹サインから獅子サインへ移動するこの時期、
獅子のガキっぽさがある意味太陽の本質でもあるというのは、タロットカードの太陽にも描かれてる通り。
主星が太陽であるということは、本人自身を何より表現することに他ならないのだけど、
その前に蟹サインで育まれていたことが大事なのかも。(・ω・)ヽ( ´ω` )

いろんな家庭環境や養育者がいるけれど、どんな環境や関係であったとしても本人自身が生きていること。
それだけで、人はすべからく表現者なのだ。
そんなことを過去エントリー書いたかもしれないけれど。
たとえ車椅子での生活、寝たきりであったり、どんなに年老いたとしても、その人は最後までその人自身でしかない。
ずっと呼吸を続けてこの世に存在している、それこそその人自身の表現なのだと。('、3_ヽ)_ ヽ( ´ω` )

獅子のハウス、獅子に星やアングル(ASC ,DEC、MC、IC) やノードなど感受点があれば、
そこはその人が主役のステージだ。
漫画、小説など誰かが創作したフィクションやファンタジー、TV、舞台では必ず代役が存在する。
だけど現実は待った無しでその人の人生にはその人しか主役は張れないのだから。
当たり前のことだけど、自身という存在に代役は存在しないのだな。(・ω・)(-ω-)ウムー

その人自身を生きるってなんだろう。
やっぱり太陽を意識するしかないんじゃないかな。
月(蟹サインの主星)だってもちろん生々しい肉体と感情、本能や本音の自分自身なのだけれど、
太陽の光を受けて輝く存在ということを念頭におくと、そこは太陽の輝きと保障があればこそでないかな。
そしてその対極に水瓶サイン、その主星の天王星と古典からの土星との見守りがあるのかも。
自分という太陽を水瓶の血縁関係や世代を超えた友人や手助けをしてくれる誰か、
思いもよらぬ展開や手を差し伸べてくれるチャンスだったり。
わざわざ表現するぞーとなどと意気込まずとも、
ただ自分を大事に労わったり楽しむことだけで十分その様こそが表現になっているんでないかな。(`・ω・´)(・ω・)

自身を何より愛する、この世で呼吸している限り。
誰かに褒められずとも、誰に見られるともなくただ何かを創り紡ぎ出すという作業を黙々と行っている、
そんな存在が世界中いたるところに存在してこの世界を支えているんでないかな。
何かを、自分が大好きなことを思い出したりしてるのかも。
そんな時にその表情に光がさす。
それはその人の太陽が輝きだした瞬間だったりするのでは。✧ヽ( ´ω` )ノ

自然の中の動植物、生き物たちや子供のように何かを作ったり呼吸するその瞬間、
表現、自身への偽りなく存在するんでないかな。╰(‘ω’ )╯三 (・ω・)

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【2023/07/31 20:20】 | Astrology
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ユダヤ教には聖職者は存在せず、ラビのなすすべてのことは基本的にほかの誰かが述べたりおこなったりできるものである。
ラビというのは共同体の人々かその人の学識の豊かさをよく知って導き手として選んだ人物というだけで、
いかなる方法でも人間と神の仲介をするものではない。

「死者と生きる」 デルフィーヌ・オルヴィルール著 早川書房刊


文学的なことを考えたり創作するなら科学的な知識が必須じゃないかな。
一方で以前にも書いたと思うけど、科学を学び探求するなら自分の中に文学を紡ぎ出していかないと、と。
自身の中に文学を紡ぎ出すなら、科学や実証を積み重ねていかないと。
豊かさを維持するためにも、一つだけではない、両方を。
何かを理解するということは。(・ω・)✧

社会や制度には物事をはっきりさせておかねばならないことが沢山あるけれど、
一方では曖昧でどっちつかずであることも生きる上で必要。
むしろそれが「けじめ」なのかもしれないし。(・ω・)(-ω-)

蟹に太陽入宮、夏至を過ぎて夏へ向かう時。
蟹サインの主星の月、高揚の木星、保護、育むというところが共通点かも。
緩さ、寛容であるということは。
ただ甘くなってしまってると周囲から見られがちかもだが、
その対極に山羊サイン、主星の土星と火星があるわけで。
土星の制限、ブレーキ、だけど現実の価値。
火星の火花、情熱、だけど一つ間違うと戦いや怪我、事故。
制御という話がいつも対極にあるというのは上手いこと出来てるもので。(-ω-)ヽ(•̀ω•́ )ゝ

たとえひとりぼっちに思えても、実は一人ではない。
やらかしそうになっても本来、必ず制御という見守りがあるのだ。
それでも間違い、事故、エラーは起こる。
そこも含めて日々を緩く、でも油断せず過ごすということは。
蟹サインの主星の月の水気と高揚の木星の緩さは、
対極の山羊サインの主星の土星の枠にはめる、地上の重力に委ねることでまずは形として地上に存在できる。
リラックスとは、何かが見ていてくれる、という何の実証も今の科学ではできないけれど、
それでも確かな何かがあるような、いわく言いがたい奇妙な懐かしさかも。
きっと、もしや何かが、という不思議だけど不思議じゃない何か。( •᷄ὤ•᷅)(・ω・)ナニガナンダカ

判断を表す木星はその人の理念、善なるものではあるけれど、
蟹サインが生々しい感情の月と共に木星が高揚するのは、
それが人を人たらしめたり、生かす何より大事な根源に近いところにあるからかも。
それは何かとのパイプ役なのかね。(・ω・)?(・᷄ὢ・᷅)

木星は海王星が発見される前の古典から学術、宗教、外国などの大きな話をしてきたけれど、
対極の土星も年長者、制限、努力、真面目に取り組む姿勢など、共に教育のために使われてきたのは、
どちらも車の両輪だ。
蟹の前の双子サインは車輪という陸路を移動するためのものを表してたり。
近距離の移動なら車輪だけで済むが、海(海王星)を渡るには船や飛行機(天王星 一説には海王星)だったり。
時代が進んで社会の有り様、居場所が生まれ育った場所から移ったり変わっても、
木星の寛容と月の感情と緩く育む力はたくましく生きるエネルギーだと思う。
たとえ遠く実家や祖国から離れても、その場所で生きるためには。
そんな世界の有り様は数千年、数万年も実は基本同じところな気もする。
自身を取り巻く世界を見ていてくれる、大きな誰かがどこかで、という感覚は一体どこから。( ・`ω・´)

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【2023/06/30 23:40】 | Astrology
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僕のやりたかったのはただ一つ、整頓され練り上げられた演技以前にある「もやもや」した気持ちを表現したいとうこと。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった、と嘆いた詩人がいたが、それを言うのも言葉、僕らは言葉に縛られている。世の中言葉で出来ている。
しかし、言葉にする以前のもやもやした感情、あるいは突然湧きあがってくる情動といったものが人にはある。これらは出来立てほやほやだから、まだ頭脳の検閲が済んでいない。その分、新鮮で刺戟的。当然危険性もあるのだが。

「俳優の肩ごしに」 山崎努著 日本経済新聞出版刊 


青梅が出回るようになったものの、なかなかの梅雨寒で。
しかし夏に備えてシロップはまず仕込むべきか。(・ω・)

太陽が双子運行中のこの頃、ちょうど学生や生徒は学期中で授業真っ最中だし、
新入社員であれば仕事覚え始める時期だしということで学習期間真っ最中なんだなと。
学習は人間だけでなく生き物は皆して経験して学んで知識、言葉へと落とし込む作業をしてる、
死ぬまで、ずっと。(-ω-)(・ω・)

言語そのものは鳥達や他の哺乳動物も使うし、すべての生き物はそれぞれの言語を持っているのでないかな。
脳の仕組みは少なくとも脊椎動物なら魚類から人類まで基本がほぼ変わらない。
そんなところも恵みになったり、その扱いに厄介さを感じたりする。
野生と知性、賢さとは何だろうというところで。( •᷄ὤ•᷅)(・ω・)

双子は学習するので、風のサインながら受け身なところがあるのは、
以前にも書いたダブルボディーズサインだから。
射手、乙女、双子、魚はその星座図のデザインから二つのものが結びついてて、
その属性の中でも受け身で流れるように変化するところ。
柔軟宮ミュータブルはどっちつかずなところを活かしていく。(・ω・)人(・ω・)

水星は主星を双子と乙女で分け合ってるのもまた興味深く、
学んで知識を得る面白さは双子、長じての分析は乙女がやる。
双子はまだまだ学童期のチビッ子だ。
近距離を移動しながら、いろんな知識を吸収したり、言語を覚えて喋ってみたい。
その対極には木星が主星の射手サインが高度で専門的な学問、学術、
社会での恩恵や保護といった大人としての知識の使い方、
知性の前向きな有り様を伝えるタイミングを待っているのかも。( ・`ω・´)(・ω・)

水星はもっぱら中性で男女の区別もなければ、善悪も単独で判断はしない。
知識に善いも悪いもないので、使いよう一つでどちらに転んでもおかしくないものをどう取り扱うのか。
そんなところも、見守るのが対極の射手サインの役目かも。
学童と壮年期の大人との対話、人文の香りとも過去書いたことあったような気がする。
まだノード軸が牡牛と蠍サインで運行している、そして木星も天王星と共に牡牛にいるこの時期、
頭でっかちにならない実践的な知性の使い方と有り様、
肌に合うものの考え方とハートに響く言葉を見つけるにはちょうどいいときかもな、と。
ダブルボディーズサインは誰かと一緒にいる、その誰かは人なのか、それ以外の存在なのか。( •̀ω•́ )✧

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【2023/05/31 21:45】 | Astrology
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丸い卵型のヒョウタンの側面に複数の穴をあけ、鼻から息を出して奏でる鼻笛は、ブラジルのアマゾンの先住民とハワイで知られる。

(中略)

オカリナ状の構造なのに口で吹かず鼻で吹くのは、ハワイの古いことわざによる。それは口はウソをつくが、鼻はウソをつかないからという。おもしろい由来である。近代化と共に価値観が変わり、鼻笛を吹く人はいなくなった。三〇年前は四人ばかり演奏できる人が残っていたが、現在はどうであろうか。

「ヒョウタン文化誌」 ー人類とともに一万年 湯浅浩史著 岩波新書刊

うーむ、黄砂アレルギーなんて発症するとは。
久しぶりに喘息まで出るしキッツイ....。( ;-`ω -´)
ムリシナイ _(:3 」∠)_

太陽は牡牛運行中、天王星、ノースノードと共にしばらく一緒に。
水星が逆行中というけれど、個人的に月のヴォイドと共にあまり気にすることがないのは頻繁に起こるから。
月と水星はセンス、感覚や感情、マインドというそもそも揺れ動きやすいものだし、
逆行なども意識しずぎず、予定変更、延期など無理しないって程度の感覚。((((((・ω・)))))) ユレユレ

ライヴ感のあるこの季節、北半球は春だけど南半球は秋になるわけで、この辺どうなんだろうと思ったり。
とりあえずまずは牡牛の太陽が運行しているところはその太陽の光が当たっているわけで、
どの季節であれ、太陽が自分のハウスのどこを動いてるかはなんとなく把握しておくといいかも。
その反対のハウスも意識しておくとバランス取れるかも。
太陽は公の場での振る舞いと思うので。( ・`ω・´)(・ω・)

牡牛は I have
自分が好きだったり必要と思うもの、生理的な感覚なので嘘がつけない。
ここは感情と同じ、なので月のJoyとなっているのも納得。
理屈抜き、自身の好き嫌いはここで決めていると思っていい。
ルーラー主星が金星だけれど、パートナーシップ、誰かがあってのことの天秤サインと違い、
まず最初に金星を持つサイン牡牛は自分の好き嫌いを表明していると思う。
自身の充足感、合うかどうかが大事という、それは生命と個人という私の根源。(-ω-)(・ω・)

もしもネイタルの金星の品位が良くないとされる蠍、牡羊、乙女だったとしても、
牡牛サインがあるハウスや星があれば、それを参考にしてみると何かその人にとってのヒントが得られるかも。
その人にとって生きる上で必要な事、大事な事がそこに現れてるかも。
まったり春風駘蕩と今まで牡牛サインのイメージを表現してきたけれど、
そんな空気を牡牛のハウスや金星以外でも牡牛サインの星が持っているはず。
太陽の光が当たる時、前向きにそこが使える場所になってると思う。
太陽は一年掛けて全てのサインを巡って光を投げかけているので。 ( •̀ω•́ )✧  (・ω・ )

品位失墜してるとはいえ天王星と共に巡っている牡牛太陽、
突然の変化もあるけれど、肉体感覚への意識を。
牡羊は頭の上半分、牡牛は下半分の鼻、咽喉という食べる、呼吸する最初の場を。
何より生きる上で必須の場と働き、そして声を出すという最初の自己主張、
自分の好きなもの必要なもの、欲しいものを表明する場でもあるし。
強欲というマイナス面を出さないようにするには、
対極の蠍サインのあの世という何も持っていけない場所を意識するといい。
そこは充足と解放のみの世界だったりするかも。
好きで必要と思っているものや場所の対極には死という終わりが必ず目の前にあるのかもしれない。(・ω・)(-ω-)ソウダッタノカ

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【2023/04/30 22:11】 | Astrology
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